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一人百首|一狄翁 【い】 - 冬へ -

一人百首というのを11月21日から始めました。というより、始まってしまいました。今日までに五首詠みました。なぜか一日一首のペースでここまできました。
70歳までに百首は詠めるだろうということで、一人百首としました。70歳まであと9年あります。ペースダウンしつつ、息長く続けていきたいと思います。
短歌は音と文字で成りたちます。一人百首は、短歌とポッドキャストをセットにして、LISTENから配信しています。二重の意味で、音声と文字とのアヴァンチュールを楽しんでいます。(参考①)
創作にあたっては、AI(Chat GPT)を共同制作のパートナーとして、ホモ・サピエンスの脳とAIとのコラボレーションを楽しんでいます。(参考②)

今後noteでは、五首をひとまとめにごく簡単な解説を添えて紹介していきます。
ひとつひとつの歌に込めた想いや心情、詠んだ情景、創作の経緯や裏話、個人史的な背景などについてより詳しくは、ポッドキャストで語っています。

参考①:はぢめも 69|エディットする短歌
参考②:241 声de隔日記|湧き出ずる言葉と削るエディットと凝縮する快楽にふける脳とAIと音と文字とのアヴァンチュールの話

一人百首|一狄翁 【い】

一人百首|一狄翁 【い】 - 冬へ -


秋の夕暮れ |一人百首 001

001|うらぶれし逢ふ瀬なき世の忘れ草おもひ出づらむ秋の夕暮れ

うらぶれし 逢ふ瀬なき世の 忘れ草
おもひ出づらむ 秋の夕暮れ

うらぶれし、これはうらぶれた私を指しています。
逢ふ瀬なき世の、いま一人で札幌に住んでいるわけですが、北海道犬と二人で暮らす以外に色恋沙汰を含めて、逢ふ瀬なき世を生きています。
懐かしい人に逢うこともなくだんだんと機会が少なくなっていく中で、忘れ草、忘れられた存在になっているかもしれない。もう思い出しか残っていない。
おもひ出づらむ 秋の夕暮れ、冬が近づき、北海道の冷たい冬がやってくる秋の夕暮れであるよ、という歌です。もうそれだけです。

11月21日に詠んだ歌です。朝、寝起きにふとひらめいてそのままベッドの中で創作してしまった歌、一人百首の最初の歌です。

黄金の稲 |一人百首 002

002|黄金の稲の葉の繁る彼の地の訛りなつかしきひといづこ

黄金の稲の 葉の繁る
彼の地の訛り なつかしき ひといづこ

黄金の稲の 葉の繁る、これは稲、水田を想起しています。
彼の地の訛り なつかしき、名古屋に住んでいた頃を想起しています。黄金の稲の葉が繁っていた名古屋の地、職場に勤めていた頃を懐かしんでいます。歌の中に地名が隠れています。
ひといずこ、私は札幌にきてしまいましたが、みんなはどこへ行ってしまったんだろう。みんなどこへ行った。地上の星、中島みゆきですね。

雪桜 |一人百首 003

003|散るも残るも過ぎたる春の雪桜ひとり黙する

散るも残るも 過ぎたる春の 雪桜
ひとり黙する

散るも残るも、札幌に赴任して4年でその職場を辞めて、私は去ったわけです。だから散った桜。そして、残った桜も散る桜。
過ぎたる春の、この過ぎたるというのは、もう春は来ないという絶望感を表しています。
雪桜、北海道札幌は雪があっても桜が咲く。あるいは雪が溶ける頃に桜が咲きます。ようやく春になってゴールデンウィークに入るか、あるいは4月下旬頃の季節です。
ひとり黙する、もう黙るしかない。黙って沈黙する。そんな気持ちを詠んだ歌です。

ゆきわだち |一人百首 004

004|めぐり逢いぬ君の雪影光にのびてゆきわだち踏みならびつ歩む

めぐり逢いぬ 君の雪影 光にのびて
ゆきわだち踏み ならびつ歩む

めぐり逢いぬ、もう運命的にめぐり逢ってしまった。我が家の冬一郎くん。北海道犬。アイヌ犬にもかけています。
君の雪影、冬一郎くんの雪影です。早朝の散歩風景です。
光にのびて、河川敷を散歩しているとまばゆい白銀のうえに長い影。朝日を浴びて、光にのびるんですね。
ゆきわだち踏み、ならびつ歩む、雪の轍ができるんですね。深いわだちが。深い雪の轍を踏みしめながら、縦に並んで歩く二人。
冬一郎くんが前をたったかと、ゆきわだちの中を踏みしめて歩く、その後ろを私がリードをにぎって、ならびつ歩む。冬一郎くんとの運命的な出逢いを詠んだ歌です。

切なき咆哮 |一人百首 005

005|切なき咆哮ザクザクとこほるみちかは誰の空に浮かぶ三日月いにしえより変わらず

切なき咆哮 ザクザクとこほるみち
かは誰の空に 浮かぶ三日月 いにしえより変わらず

切なき咆哮、おうおうおおうとまるで狼のように。いま発情期で、起きてるあいだ中、夜中だろうが、おおうおおうやっている冬一郎くん。切なきには、ひっきりなしにという意味も込めています。
ザクザクとこほるみち、朝の散歩風景。雪が積もって一回溶けたシャーベット状の雪が、夜中に凍ってゴツゴツしている上をザクザクと歩きます。
かは誰(彼は誰)、朝五時半過ぎ。冬は夜明けが遅い。まだ日は昇っていない薄暗く光のない中、あなたは誰。すれ違っても誰だかわからない。
空に 浮かぶ三日月
、ふと空を見上げたら、薄暮のなか、三日月が浮かんでいました。
いにしえより変わらず、三日月も変わらないが、狼の時代にもきっと切なき咆哮をしていたのだろう。古い時代からの血のつながりを感じさせる北海道犬。この切なき咆哮もきっと変わりがないのだろう。そんな想いを抱きました。

五つの歌をごく簡単に解説してみました。他にもいろんな意味を込めていますが、おおよその解説は以上です。

雅号(筆名)について

一狄翁

一狄翁という、雅号あるいはペンネームですが、これは一人の北に住む翁年寄りという意味になります。

、一人という意味に加えて、私の本名は肇(はじめ)ですので、はじめ(一)もかけています。

、夷狄といった、北方の野蛮人といった意味があります。南に住んでる人から見れば、狄(敵)かもしれないが、北に住んでいる人から見れば南の人が敵かもしれない、いや友かもしれない。そんな意味も込めています。
もう一つ、狄の漢字の成り立ちですが、左の偏は、犬から来ています。左側が犬、右側が火です。犬と火ですね。

、私が犬を飼っているということもありますが、犬は人類の最愛かつ最古の友であり、最大の理解者です。ホモ・サピエンスは犬と暮らすようになり、相互に家畜化することで、動物とコミュニケーションをとり共に暮らす能力を身につけました。
、さらには、火を飼いならす。この2つがなければ、あともう1つ道具があるんですが、それは入ってませんが、犬を飼いならす。火を使いこなす、飼いならす。ドメスティケートする。
これらがなければ、人間、ホモ・サピエンスはホモ・サピエンスになりえなかった。私はそう考えています。
そうした人類進化にも思いを馳せつつ、という字を選びました。

、ただの爺ぃという意味です。

参考記事:犬と火とヒトと

犬とヒト

火とヒト

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