「ヒトの脳生理学」から道徳・教育を問い直す⑴
「人間とは何か」の生物学的視点から伝統的人間教育の実践に努め、教育荒廃の解消を目的とした、ヒト教育の会を創立された井口潔先生(九州大学名誉教授・日本外科学会名誉会長・世界外科学会名誉会長)は、一昨年9月5日に99歳でご逝去された。
私は「感知融合の道徳教育」をテーマに3つの学術論文を書き、日本道徳教育学会と日本感性教育学会で、8回の個人研究発表、2回の共同研究発表を積み重ねてきた。情動学、大脳生理学、脳科学、脳神経倫理学、臨床教育学等の視点からアプローチしてきたが、井口潔先生から「ヒトの脳生理学」に基づく「感知融合の道徳教育」という新たな視点のヒントを示唆された。
「人間生存の理法」という心の生物学的基盤に立脚した「生物学的教育論」から学ぶべきものは一体何か?地球上に生物が生まれたのは約38億年前のバクテリアで、約10億年前に真核細胞が現れ、進化に進化を続け、700万年前頃に二足歩行の類人猿が現れ、人類の歴史が始まった。
150万年前頃から母指が他の4指と離れ、かつ両者の指腹が向い合せられ、手指が拇指対向型になり、手指による工作を行うようになり、火を使うことを覚え、言語を話すようになって急速に脳の容積が巨大化し、人類はチンパンジーの約3倍の巨大脳になった。
●人間教育は「感知」の二重構造の5段階
井口によれば、「人間の教育は感性・知性教育の二重構造」になっており、ヒトの心は約10年の「生理的早産」(スイスの動物学者ポルトマンによる)で、体は誕生の時が生物学的出生であるが、心は子育ての営みを受けて10歳頃に社会的出生をするという。
「ヒトは教育によって初めて人間になる」というのが心の成長生理の基本で、この仕組みの上に立って、人間は他の動物には見られない人間固有の年齢に応じた適時・適切な子育て・教育法を身につけて伝統的に継承してきた。「感性は先祖との間を循環するが、知性は代限り」であり、次の5段階が「心で生きる人間の生物学的姿」であるという。
⑴ 乳幼児期には、躾と絶対的愛情によって人間的感性を目覚めさせ、
⑵ 幼年期には、伝統的な基礎訓練(善悪の区別、「素読」等)で感性を仕 上げ、
⑶ 青年期には、自律的学習で知性を仕上げ、理想の素描・「立志」をして、
⑷ 社会現役期には、家庭をまとめ、問題意識で社会に奉仕して、
⑸ 高齢期には、次代に尽して、勇ましく高尚なる人生を完結する。
生後約10年かけて「人間教育」によって感性を仕上げ、さらに10年かけて職業・専門教育によって知性を仕上げ、感性と知性が調和した人格を創り上げて成人となる。ヒトの体は胎内でほぼ完成して出産するが、心の所在地である大脳の表面にある「大脳皮質」の神経細胞を見ると、まだニューロン化(細胞が樹状突起を出した状態)しておらず未熟の状態であり、生後の養育刺激を受けて急速にニューロン化して3歳頃には大人の約8割、10歳頃には社会的出生をすることが脳生理学によって判明している。
「モラルブレイン」「共感脳」等の脳科学研究によって、道徳性の3本柱である「道徳的心情」は「ミラーニューロン」、「道徳的判断力」は「メンタライジング」という脳の神経基盤と深い関係があることが明らかになった。
●「遺伝的進化機構」から「文化情報伝達機構」へ一知性偏重の人類の危機
井口によれば、人間以外の生物は環境自然との調和は感性的本能がこれを司っているが、人間は巨大脳の機能によって自意識による価値観でこれを行わなければならなくなった。人間以外の「体で生きる生物」は環境との適応で選別されるので、それ自体の生得的本能で環境との調和がなされるようにつくられている。
しかし、ヒトだけは環境との調和は大脳の価値判断の思索に委ねられているので、自我・わがままは人間の意思で調節されなければならない。ここに道徳・教育という理性の営みが登場するのである。
元々人間には絶対的に帰依する宗教心があり、聖賢による道徳心の指導に導かれて、自分の心の中に「内なる神」を置き、いつもそれと対面して自分を高めることを生きる目標とするようになった。つまり、「ヒトは躾・道徳によって初めて人間になる生物」との自覚が生まれたのである。
大脳新皮質という新しい脳を賦与された人間の知性は従来とは全く異なる文明の開発方法を案出し、それまで生物を進化させてきた遺伝子の突然変異、自然淘汰の「遺伝的進化機構」の仕組みとは全く別種の知性が作った「文化情報伝達機構」によって、億万年単位の系統発生的、生物的進化は事実上停止し、「人為的進歩」が一人歩きを始めたのである。感性だけが頼りで、知性偏重が人類の危機だという指摘はこの点に由来している。
●国民の道徳葎になった「武士道」
紀元前500年頃に世界各地で聖賢が現れて躾・教育・道徳という「自己抑制の規範」を説いた。仏教の世界では空海が真言宗、最澄が天台宗、法然が浄土宗、親鸞が浄土真宗、栄西が臨済宗、道元が曹洞宗を興し、8世紀から13世紀にかけて、日本は古来の神道と融合させて日本独自の仏教を創り上げた。
江戸時代に入ると、儒教・仏教・神道を融合した「武士道」が士農工商全ての国民の道徳葎となった。新渡戸稲造の『武士道』には次のように書かれている。
<仏教は武士道に運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なるものへの静かな服従、災難を目前にしたときの禁欲的な平静さをもあらわした。仏教がもたらさなかったものは神道が教えた。主君、先祖への崇敬孝心等であり、万物を神の意思である魂が宿る至誠のところとして崇拝する。道徳的教義に関しては孔子の教えが武士道の根幹になった。>
この武士道による人間教育は明治、大正、昭和と継承された「自己抑制的教育法」であり、「我欲の抑え」という、人間としての最重要課題を真正面に見据えた「世界に冠たる人間教育の理念」であると井口は高く評価している。
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