宗教教育はいかにあるべきか一臨床教育学を道徳に活かす
●宗教教育と「政教分離」
宗教教育は通常、特定の宗教による宗派的教育、宗教に関する知識教育、宗教的情操教育の三つに分けられる。政教分離と宗教教育についての誤解が今日もなお根強く存在しているが、政教分離の「政」は政治、政府、政権のいずれを意味するのか、「教」は宗教、教団、信教のいずれを意味するのかによって政教分離の意味がずいぶん異なってくる。
まず政教分離という概念には一体どういう内容が含まれているのであろうか。わが国において政教分離ということが言われる根拠になっているのは、日本国憲法の第20条と第89条である。すなわち、同20条一項には、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とあり、二項には、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」、三項には、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と書かれている。
また、憲法第89条には、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と記されている。これらがわが国において政教分離の根拠になっている。
アメリカの政教分離の根拠になっているのは合衆国憲法の修正第一条で、「連邦議会は、特定の宗教を国教にするような法律をつくり、あるいは特定の宗教を信奉し、および実践することを禁止するような法律をつくってはいけない」と書かれている。
アメリカでは宗教は重要であるという立場がとられているが、フランスでは、迷信的なものを除去して近代精神を植えつけるためには、教会の影響力を小さくすべきであり、そのために国家の機構から教会を分離しなければならないと考えられている。
このような政教分離の類型の違いを、上智大学の相沢久教授は「友好的な政教分離」と「非友好的な政教分離」に区分している。すなわちアメリカのような、宗教自体が自分の生命力を発揮するためには国の影響から離れた方がいいという立場から出てきた政教分離は、国が宗教に対して「友好的」な類型である。
一方、フランスのようなタイプは、政府が近代国家を樹立するために、近代工業社会の必要とする合理主義の精神を樹立するために、宗教の悪しき影響力を排除すべきだという理由で政教分離を推進する。このようなタイプは「非友好的」な類型である。
わが国の政教分離はアメリカ型の友好的な政教分離の典型であるというのが通説になっているが、この通説には疑問を抱かざるを得ない。この点については、神道指令や日本国憲法第20条の成立過程についての歴史的考察が必要不可欠であるので、以下、歴史的に考察したい。
● 戦前における宗教と教育の関係
まず、連合国軍の日本占領政策に深くかかわった東大の岸本英夫教授は次のように指摘している。
「アメリカにおける宗教と教育の相関は、主として民衆の間における信教の自由の問題を中心として展開した。しかるに、日本においては、その同じ問題が、主として国家との関係を中心として現れている。その出発点においては、両者の間に著しい対比がある。日本の学校教育において、宗教と教育の問題がはっきりしてきたのは、明治20年代に入った頃である。その根本的な動機となったものは、アメリカの場合のごとく、信教の自由の尊重ということではなかった。むしろ、当時の欧化主義のゆきすぎに対する思想的反撃を基調として、キリスト教的精神の学校教育に対する浸透を抑止する意図のものであった。」
明治23年に教育勅語が出され、同25年には井上哲次郎博士が『宗教と教育の衝突』を著し、キリスト教と国家主義は矛盾すると主張した。そういう背景の下で、明治32年に私立学校令の制定とともに、文部省訓令第12号「官公立学校等ニ於ケル宗教上ノ教育儀式施行禁止ノ件」が出され、「官公立学校及学科課程ニ関シ法令ノ規定アル学校ニ於テハ課程外タリトモ宗教上ノ教育ヲ施シ又ハ宗教上ノ儀式ヲ行フコトヲ許サザルベシ」として、キリスト教を警戒して、宗教教育の一切を学校教育から排除した。
学校教育から一切の宗教教育を排除した行き過ぎを是正するために、昭和7年に文部省通牒が出され、「特定ノ教派宗派教会等ノ教義ヲ教へ又ハ儀式ヲ行フヲ禁止スルノ趣ニシテ宗教的情操ヲ陶冶スルコトハ モ拘束スル所ニ無之」と述べ、宗教教育の禁止には、宗教的情操教育は含まないことを強調した。
さらに、昭和10年に文部省通牒「宗教的情操ノ涵養ニ関スル留意事項」が出され、「学校ニ於テ宗教的教育ヲ施スコトハ絶対に之ヲ許サザルモ人格ノ陶冶ニ資スル為学校教育ヲ通ジテ宗教的情操ノ涵養ヲ図ルハ極メテ必要ナリ」と宗教的情操教育の必要性を確認した。また、「授業ニ差支無キ限ㇼ適当ノ機会ニ於テ高徳ナル宗教家等ノ修養談ヲ聴カシムルモ亦一方法タルベシ」と書かれていた。要するに、宗教的情操を尊重するということは、戦前のわが国の教育方針として宗教的風土に定着していたといえる。
● 宗教的情操教育と政教分離
ところが、こういう動きの中で、第二次大戦後の連合国軍による占領下の宗教教育論争が大きな意味を持ってくるのであるが、特に戦後の宗教と教育の関係を見る場合、総司令部内の動きと日本側の動き、つまり文部省の通達や教育基本法の制定をめぐる動きとどのように関連しているかを明らかにする必要がある。
昭和21年8月15日に、次のような「宗教的情操教育に関する決議」が国会で行われた。
<永久に戦争を放棄し、国民の安全と生活をあげて世界の公正と信義に委ねようと決議したわれらは、「戦争は罪悪である」という信念を以て、世界恒久平和運動を展開しなければならない。そのためには宗教的自覚による四海同胞、隣人愛、社会奉仕の思想を普及徹底させると共に、宗教的情操の陶冶を尊重せしめ、以て道義の昴揚と文化の向上を期さなければならない。>
この決議が行われたのは、神道指令や日本国憲法第20条3項で規定している宗教教育の禁止事項が、前述した昭和10年の文部省通牒「宗教的情操ノ涵養ニ関スル留意事項」とどのような整合性になるのかということが議事として持ち上がったからである。
そこで、第90回帝国議会において田中耕太郎文相が、国民の道義的退廃を救う道は宗教であり、憲法が禁止するのは一宗一派の宗教教育であって、憲法が規定する政教分離の意味は反宗教、非宗教の意味ではないことを、この決議によって明らかにしたのである。
● 憲法・教育基本法と宗教教育
宗教的情操を尊重することは、わが国の戦前並びに終戦直後の教育方針としてコンセンサスを得ていたが、神道指令の「宗教と国家の分離」という絶対的政教分離原則にひきずられたために、実際の教育現場においては、宗教教育自体が危険視される傾向が強く、文部省も占領下の宗教教育論争や占領政策の影響を受け、戦後の国公立学校における宗教教育が消極的ないしは否定的な方向に進んできたことは否定できない。
諸外国の宗教教育の実態調査によれば、回答国54ヶ国の約8割が宗教教育を実施しており、非国教国で宗教教育が行われていない国は12ヶ国であるのに対して、非国教国で宗教教育のある国は25ヶ国と倍以上になっており、多くの非国教国でも国公立学校で宗教教育を実施しているが、特定宗派立の学校を援助する形で間接的に宗教教育を助成しているという事実が明らかになっている。
公立学校における宗教教育については、旧西ドイツのように憲法でこれを保障している国もあれば、イギリスのように単に法律でもって宗教教育を保障している国もある。また、アメリカやフランスのように、憲法は宗教教育について特に規定せず、宗教教育が許されるか否かは、もっぱら憲法の定める政教分離をいかに解するかによって決まる国もある。
その中でもわが国の特殊事情から考えて最も参考になるのはフランスである。フランスでは、憲法や政教分離法にみられるように、建前としては政教分離を採用しているが、実際には、第一次大戦から第二次大戦にかけて次第に友好的分離へと移行している。
教育基本法第9条2項は、憲法第20条3項の精神を具体化したものであり、禁止している宗教教育や宗教的活動は、「特定の宗教のため」のものである。ところが、憲法は特定の宗教教育でなく、広く人間の宗教的価値の育成に関しても、国家がそれに触れることを禁止していると誤解されてきた。この、誤謬は、神道指令の字句だけにとれわれて、その後の指令の運用の実態を全然見ようとしない知的怠慢が生み落としたものであるといっても過言ではない。
宗教に関する知識教育や宗教的情操教育を憲法は禁止していない。教育基本法制定過程においてGHQの一方的指示によって「『宗教的情操』は特定の宗教(宗派宗教)を信仰することによってしか涵養できない」という理由で「宗教的情操の涵養」という字句は消えたが、特定の宗派宗教によらなくても宗教的情操は涵養できると考えてきたわが国の伝統的な考え方に立ち戻り、宗教的情操教育について改めて見直してみる必要があるのではないか。
●「問題児」が立ち直った実践を理論化した「臨床教育学」
私は30代の時期に現場主義に徹し、全国のフリースクール、少年院、教護院を数十か所視察し、「問題児」が立ち直る教育実践を事例に即して徹底的に分析し、『悩める子供たちをどう救うか』(PHP研究所)、『魂を揺り動かす教育』『教育再生の課題(上・下)』(日本教育新聞社)、『癒しの教育相談(全4巻)』、『感性・心の教育(全5巻)』(明治図書)、『「学級崩壊」10の克服法』(ぶんか社)、『心を育てる学校教育相談』(学事出版)、『臨床教育学と感性教育』(玉川大学出版部)などの著書を出版した。
玉川大学大学院の修士課程と博士課程の学生に「臨床教育学」を教え、神奈川県教育委員会の学校不適応対策研究協議会の専門部会長として、不登校やいじめ対応に関する教員研修を長年担当してきたが、教師や学校の子供や時代の変化への「不適応」も深刻であることを痛感した。
1999年に全国に広がった「学級崩壊」もその一つであり、同年にNHKの朝のニュース番組「おはよう日本」で学級崩壊問題について解説したところ、全国の50代、20代の教師からの電話相談が殺到した。この世代の「子供への不適応」が浮き彫りになった。この電話相談に基づいて『「学級崩壊」10の克服法』を出版した。
子供の「学校不適応」のみを問題視しがちであるが、子供の問題行動の背景に本質的な教師と親の子供観、教育観、人間観などの問題があることを見落としてはならない。現象的な問題行動に対する「対症療法モデル」から本質的な「予防―成長促進(主体変容)モデル」への転換が求められている。
理論と実践の往還を積み重ねる中で、臨床教育学が切り拓いた新たな地平を 道徳の実践に応用し、「臨床の知」に立脚する「感知融合」の新たな道徳教育学の理論と実践の体系化を図る必要がある。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?