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【則天去私とは?】

【則天去私とは?】

則天去私とは何でしょうか?

故事ことわざ辞典に、

こう書いてあります。

「天の定めるところに従って、私情や私心を捨て去ること。

天に則(のっと)り、私を捨て去るの意で、
夏目漱石(なつめそうせき)が晩年に到達した人生観を表す語として知られる。」

大辞林には、

こう書いてあります。

「夏目漱石が晩年理想とした心境。

我執を捨て、
諦観(ていかん)にも似た調和的な世界に身をまかせること。

『明暗』はその実践作とされる。」

新漢語林には、

こう書いてあります。

「天にのっとり、私心を用いない。

自我を去って自然の中に物事を見きわめる。

夏目漱石(ソウセキ)の晩年に到達した文学観。」

現代社会+政治・経済用語集には、

こう書いてあります。

「晩年の漱石が自己本位の個人主義を徹底化した末にたどり着いた境地で、
小さな私(自我)を去って、
天(大我・自然・運命)の命ずるままに生きるという考え。

西欧的な倫理的精神と、
東洋的・禅的解脱の世界の双方を超克、止揚(しよう)しようとする考えがあった。」

倫理用語集には、

こう書いてあります。

「晩年の漱石が自己本位の個人主義を徹底的に問い詰めた果てに辿り着いた境地で、
小さな私(自我)を去って、
天(大我・自然・運命)の命ずるままに生きるという姿勢をあらわす。

漱石はイギリス文学を専攻し、
小説では日本の近代的自我の問題を追究していたが、
そのかたわら漢詩や俳句に親しみ、
また参禅経験もあった。

そこから得られた東洋的な天道(てんどう)や解脱(げだつ)の感覚が生かされた境地である。」

『則天去私』に関して、

『漱石と仏教――則天去私への道』(著者 水川隆夫 平凡社)

の中に、こう書いてあります。

「私は意識が生のすべてであると考へるが 同じ意識が私の全部とは思わない 死んでも自分[は]ある、しかも本来の自分には 死んで始めて還れるのだと考えてゐる」(156頁)

「大正五年(一九一六)一月一日から『朝日新聞』に掲載された『点頭録』(一)において、
漱石は、唐僧の趙州(じょうしゅう)和尚が六十一歳になってからはじめて道に志し、
百二十歳まで人々に仏道を説いたことを紹介し、
次のように結んだ。

寿命は自分の極めるものでないから、
固(もと)より予測は出来ない。

自分は多病だけれども、
趙州の初発心の時よりもまだ十年も若い。

たとひ百二十迄生きないにしても、
力の続く間、
努力すればまだ少しは何か出来る様に思ふ。

それで私は天寿の許す限り趙州の顰(ひそみ)にならつて奮励する心組でゐる。

古仏と云はれた人の真似も長命も、
無論自分の分でないかも知れないけれども、
羸弱(るいじゃく)なら羸弱なりに、
現にわが眼前に開展する月日に対して、
あらゆる意味に於ての感謝の意を致して、
自己の天分の有り丈を尽さうと思ふのである。」(166頁〜167頁)

「漱石は、『則天去私』ということばについて、

普通俺が自分がといふ所謂(いわゆる)小我の私を去って、
もつと大きな謂(い)わば普遍的な大我の命ずるままに自分をまかせるといつたやうな事なんだが、
さう言葉で言つてしまつたんでは尽くせない気がする。

その前に出ると、
普通えらさうに見える一つの主張とか理想とか主義とかいふものも結局ちつぽけなもので、
さうかといつて普通つまらないと見られてるものでも、
それはそれとしての存在が与へられる。

つまり観る方からいへば、
すべてが一視同仁だ。

差別無差別といふやうな事になるんだらうね。

と語ったという。」(169頁〜170頁)


漱石の提唱する『則天去私』と、

老子の提唱する『無為自然』には、

共通するものがあります。

それは、

『天に身をゆだねる』

ということです。

我(が)を張ったり、

無理をして、

我を通したりせず、

運を天に任せましょう。

成り行きに任せましょう。

小我より大我を大切にしましょう。

『運は天にあり』

(参考図書)
『漱石と仏教――則天去私への道』
(著者 水川隆夫 平凡社)

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