信仰と宗教は異なる。カルトとは何か?
数年放置していたnoteの筆を取る
2022年7月8日、受け入れ難き、悲しく衝撃的な事件が起きた。
追悼やお悔やみも十分にされぬまま、それに関するニュース、報道を通じてカルト宗教というものが話題に上ることが増えた。
そんな中、こんなツイートをしたらこれまた数年ぶりにバズった。
勘違いされてる方も少なくないが宗教とカルト宗教は異なる。この連続ツイートを読んでいただければ大体の事はわかると思う。
noteに昔書いた記事があり、それに付け加える形でこの記事を更新した
「信仰」という言葉と「宗教」という言葉はよく混同されがちだが、別物である。
「信仰」と呼ばれるものは神や仏など人間を越える存在を信じ、敬い恐れる心。
そしてその心を基に他の人とともに幸せでありたいと願う心だと思う。
一方「宗教」と呼ばれるものはそれらの考え方を持った人の集まり、共同社会組織(教団)であったり、その考えを実践する為の教えである。
厳密には宗教=団体ではなく、教えや規範であるが、世間一般にはそれに基づく生活や活動を意識される方が多い。
「宗教とは何か?」についてはこんなツイートもした。
話を戻して、いわゆる「教え」を実践する事が宗教活動と呼ばれるものである。
しかし、宗教活動は時として本来の信仰する心とは矛盾する行動を取ることがある。
指導者の考えや言葉を神や仏のものとして扱い、多くの場合他の宗教や文化に対して排他的になる。
「人々を救済するためにはこの宗教を広めることこそが唯一の方法である。」
この考えを免罪符としてしまう。
人間の幸せの為に始められた当初の目的が、その団体の勢力拡大が第一の目的になってしまう。
また、 宗教活動に熱中し、のめり込む人達の中には、その団体内での地位や名誉を得ることに快感を覚える人が存在する。この人達は他の団体との争いに情熱を燃やし、その過程において、人を陥れたり、憎んだり、殺したりすることすらある。 教えを広めるといいながら、他の人を不幸にする行動を取る。
これは完全に信仰する心とは相反するものだ。
カルト化している。
信仰が深いことと、宗教活動に熱中することは必ずしも同じではない。
宗教のこのような面の存在を多くの人が認識する事によって、宗教がこのような方向に進むことを防いでいく事が必要だと思う。
そして、これと同じ事が政治団体や市民団体などの組織にも言える。
団体を結成した当初は社会を良くするという崇高な理想を掲げているのに、いつかその団体を存続させることが目的になってしまい、当初の目的とは相反する行動を取ってしまう。
人間は団体を作ることで個人では出来ない大きな力を発揮するが、時に大きな過ちをも犯す。
団体が間違った方向に進まないためには、その中で一人一人が自分の考えをしっかり持つ必要がある。
人間の持つ素朴な価値観を保ち、おかしいと思うことを上の者や周りの人がしようとしたとき、それをおかしいと指摘する勇気が必要だ。
また、定期的に自身が行う活動に社会性が担保されている事を確認する事も大切だ。
目的を告げずに連れ出したり、目的を誤魔化して人を呼び出したり招いたりしてないだろうか?
人の不安に付け入るような事はしてないだろうか?
目的の為に手段を正当化していないだろうか?
自己完結の領域を逸脱していないだろうか?
貴方にも思想良心の自由があるように、貴方の目の前にいる人にも思想良心の自由、信教の自由、改宗の自由がある。
改宗の自由、つまり脱会(脱退)の自由がある。
また、家族だからと必ずしも一緒に住まなければならない訳ではないのと同じように、必ずしも信仰を同じくする必要はない。
貴方には貴方が幸せになる権利がある。
それを忘れないで欲しい。
どこかのツイ廃(Twitter廃人おじさん)が勝手に言ってるのではない。
今言ったことは、日本国憲法で保障されている事なのだ。
そして、今もしこれを読まれた方の中に家族や親しい人が「カルト」と呼ばれるものにハマっていたらこう伝えたい。
もし余裕があれば、帰ってこれる場所を残しておいて欲しい。
余裕がないなら、余裕ができるまで、しっかり十分な距離を取って欲しい。
そして、今もしこれを読まれた方の中に私は大丈夫だと思っている方がおられたらこう伝えたい。
「私は大丈夫!騙されない!」
それはカモの台詞です
くれぐれも舐めないように
そもそも、人の熱意を馬鹿にする事は避けた方がいい。
そして、今もしこれを読まれた方の中に「カルト」と呼ばれるものから距離を置きたい人へこう伝えたい。
誰しもに脱会の自由はある。貴方の主人は貴方であり、貴方の人生の主人公は貴方自身である。
まだ幕は降りていない。
新しい章に進むのだ。
『倶舎論』には
「信とは心をして澄浄ならしむ」
とある。
真の信仰とは心の働きのうちで、すべての善心と相伴うもの。と説かれているように、自己の閉鎖性を破り、自己を世界に開放してゆくものである。
どうか、日々をより好く生きてください。
頭の中があまり整理できず、長く、取り止めのない文章を書いてしまった。
お目汚し失礼しました。
誰が言ったか忘れたが、バズるのとバグるのとパクるのは紙一重なのかもしれない。
どうか皆さま穏やかに過ごせますように
悲しみがいつか少しずつ癒えますように
故安倍晋三元総理大臣 従一位 大勲位菊花章頸飾 大勲位菊花大綬章
紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士霊位の頓証菩提を祈念します。
合掌。
皆様の哀しみがいつか和らぐ日が来ますように。
故人の遺された様々なものが大切にされますように。
ありがとうございました。