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自分のアタマで考えよう

と、ちきりん氏は書籍のタイトルで言ったが、世の中情報が溢れすぎて自分の頭で考えることが少なくなってきているのかもしれない。
テレビを観ることは普段あまりないが、バラエティ番組では過剰なテロップで観る側の思考を固定化するような演出がもてはやされているし、街を歩けば説明のテロップ=貼り紙をいたるところで目にすることができる。

コンビニのコーヒーマシンは説明のテプラがビッシリだし、建物に入ると手指消毒や感染防止のための説明がこれでもかという位に貼ってある。ひどいところは自動ドアに貼り紙がしてあって、読もうと思っても読めないくらいだ。

家電製品の取扱説明書を見ても分厚いマニュアルにそんなことまで!と思うような注意事項が書かれていたりする(PL法の絡みもあるのかもしれないが)。

このような現象は「デザインの敗北」とか「テプラ文化」と呼ばれたりもするそうだけど、過剰なテロップ文化に慣れすぎて自分の頭で考えることが少なくなってしまった現代人特有の現象なのかもしれない。わかりにくいデザインは敗北するべきだと思うが。考えなくてもわかるデザインでも負けを認めている例がありすぎる気がする。

かつて、北野武監督は自身の映画で説明的なセリフや演出が少ないことについて「だって、普段の会話の中でそんな(説明するような)セリフないでしょ」と言っていた記憶がある。たしか「HANA-BI」の頃だ。

私自身のnoteにしても、時々説明過多になってしまう傾向があるので、気をつけている。理想は読者の想定より少しハードルが高い文章にしたいと常々思っている。なかなか難しいところではあるが。

Eテレの「デザインあ」という番組で「考えていない」というコーナーがある。普段何気なく行っている動作を解説するというものなのだが、上記で述べたコンビニコーヒーマシンでも、家電製品でも、「デザインの敗北」していったサイン等でもこの「考えていない」のように無意識に使えるようになることが理想だなと思う。

スティーブ・ジョブズ氏は生前、「ユーザーはバカだと思って物作りをしている」というようなことを言っていた。これは決してユーザーを馬鹿にしているわけではなく、ユーザーが余計なことを考えなくても済むように徹底してシンプルなプロダクト作りをすることで、上記の「考えていない」ような体験を提供しているということだ。私はデザイナーではないのでUIやUXについて語ることはできないが、これだけiPhoneが受け入れられているのは「デザインの勝利」なんだろう。

と長々と書いてみたが、自分の頭で考えなくてもよいスッと入ってくるデザインや文章って難しい。

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