名選手が名監督になるとは限らない
小西康陽さん=ピチカート・ワンがニューアルバムをリリースした。3枚目のアルバムはライヴアルバムで、しかもヴォーカルを小西さん自らがつとめるという。
昨年10月の台風前夜に収録したものだ。
いままでヴォーカルをやっていないのにどういった心境の変化があったのだろう?まあ、ピチカート・ワンと名乗っている以上は自身がヴォーカルをつとめる事は必然だったのだろう。インタヴューでは「ソングライターが歌うアルバムが昔から好きだ」とも語っている。
さて、このライヴ。巷では評判が良かったらしいので期待していた。期待しすぎたのかもしれません。ただ、一聴して「これじゃない感」が私にはあった。私の耳が試されているのか?もちろん、ライヴという一発録りの制約上、スタジオ録音盤との違いはあると思う。また、元曲を知っている分そのイメージとのギャップもあるのかもしれない。
これじゃない感とは具体的には次のような違和感に似ているのかも。
・ノッポさんが最初で最後に喋った時のこの声じゃない感、
・大好きなマンガがアニメ化された時のこの声じゃない感
いやちょっと違うか。
そして、名選手が名監督になるとは限らないというように、必ずしも名作曲家が名ヴォーカリストではないということなのだろうか。※あくまでも個人の感想です
名選手が監督になるのに有利なのは圧倒的に説得力があるということだろうが、やはり名作曲家も同じだろう。たまたま今回が私には合わなかっただけなのかもしれないが。
似たような感覚が過去にもあった。
・今をときめく藤原ヒロシさんのソロアルバムで全編ヴォーカルをつとめた時
・INO HIDEFUMIさんというフェンダーローズプレイヤーがヴォーカルアルバムをリリースした時
この2枚にも同じように違和感があった。これらのアルバムも巷では絶賛されていたのだが、どうしても私には合わなかったのである。
逆に、SAKEROCKのリーダーだった星野源さんやBUCK-TICKの櫻井敦司さんはもともとヴォーカルをやっていないのにヴォーカルに転向して大ヒットを飛ばしている。こういった例もあるのでヴォーカル転向=違和感とは一概には言えないのだが。。。
こんなところに書いてないで、お前の心に留めておけよと言われればそれまでで、まあ、なんかエラそうなこと言ってすみません。