お詫びについて
お詫びとは、自らの過ちを認める事であります。
また、お詫びでも 「口先だけのお詫び」 もあれば 「心からのお詫び」 もあります。
違いは、自らの過ちを認めいない状態と、自らの過ちを深く認めて心から悔い改めているかの違いなのです。
口先だけのお詫びは、心では悪いと思っていませんので何遍お詫びされても全く意味も力もないのです。
心からのお詫びとする為には、先ずは自身の心や言動(行為)を冷静に客観的に見れる事が必要です。
また、他者から注意や指摘された場合においても冷静に客観的に聞く事が必要となるのです。
そして、自身の過ち(非)を 「素直に」 認め、受け入れられる余裕の心がとても重要となるのです。
ですが、大いにして特に他者から指摘された時には、自らの思いに囚われて非を認めず 「醜い嘘や言い訳、理屈を言い、話をはぐらかしたりして自分を正当化し、言い逃れ」 などをしますが、このような頑固を張って非を認めぬ姿を他者から見ると、とてもちっぽけな所に拘り抵抗している愚かな行為として見えるのです。
★これら自らの過ち(非)を認めない原因は、 「「我でありプライド」」
が邪魔するのです。
★また、過ちを素直に認める「潔さ(いさぎよさ)」と「素直」 に謝る事が
必要なのです。
自らの我が強い為に、直霊本来の「自らを省みる」働きが出ずに、過ちを認められない心にしているのです。
自らを省みる事が唯一出来るのが人間であり、過ちを認められない、気が付かない心は既に人間の御魂ではなく動物に近い霊魂と化しているのです。
これが、幽界の霊魂なのです。
後からでも、冷静になり自らを省みて、非を認めたならば、素直にお詫びし、次回から改める事が人として大切な事なのです。
また、日々の拝礼において神様に口先だけの感謝やお詫び申し上げても、神様に対して嘘を言い続ける事となるのです。
言葉は、心と言葉と一致しないと人にも神にも通じないのです。
お詫びは、心を込めて、強く意識してお詫び申し上げるようにします。
拝礼において、世の罪穢れをも代理者として代わりに詫びる精神を培い備える事で霊魂は磨かれ肥えるものなのです。
厳瑞