改心の為には
自身の悪しき精神を改める為(改心)には、自身の悪しき心(精神)の原因や要因が分からないと治しようがないのです。
そして、真剣に悪しき心(精神)を改める強い決意が必ず必要となります。
悪しき思いを消す(改める)方法は、自身の心からの反省と、火の鎮魂にて自身の御魂を改め清浄にしますが、その為には必ず正しい神の内流が必要となるのです。
※ その為に、皆に内流についてお伺いしたのですが、大変勿体ない事に既に
2週間以上も費やしているのです。
また、正しい神からの内流を受ける為には、絶対に正しい信仰が必要となります。
この正しい内流とは、自身の御魂の奥の内部から自身の御魂に受ける神様からの働き(神力)であります。
つまり直霊の働きであり、正しい信仰の元であれば、正しい内流によって自身の御魂(精神)が正しく健全に保たれるのです。
これは本守護神の働きで「神の内流」、「神流」「正流」とも言います。
しかし、御利益を目的としたような神を利用し自らの願望の為や、他者を蔑ろにしたり悪事を好んで行う無信仰の者などは、直霊は正常に働かずに曲霊となります。
曲霊は幽界と繋がりますので、幽界からの悪しき内流が起こるのです。
●よって、自身の心(精神)を清浄に健全に正しく維持する為に、「心から
の正しい信仰(神を信じる)」 が第一等に必要なのです。
(※ 神の内流によって精神が健全に正しく維持できる)
また、この正しい神からの内流を自身の御魂で受け入れる為には、心の中心に「我」が居ては、我の思いに囚われ神の内流をせき止めて塞いでしまうのです。
また、この中心に座る「我」により、自身の我欲や思いが御魂の奧の霊界へ逆流し幽界へと霊線を繋いでしまい。
そこから悪しき幽界の思想の流れを再び起こす事になるのです。
これが悪しき「我流」となるのです。
(常に悪事や争いを好み、人を疑い不安や精神も付きまとう)
●この為に根本からの改心が必要なのです。
※ 自分本位(我)がある間は、真の隣人愛は芽生える事はありません。
むしろ、信仰と改心により隣人愛は芽生えてくるものなのです。
必要な事は 「・心からの正しい信仰」 と 「・自分本位(我)の改心」 なのです。
●心からの正しい信仰
・心から感謝とお詫び(反省)
(天地の神々様への恩恵、人々の恩恵に対しても)
●自分本位(我)の改心
・自分の悪しき心(精神)を知る事。
・その原因、要因を出来るだけ知る事。
・真剣に悪しき心(精神)を改める強い決意が必ず必要。
(これがないと絶対に変われません)
★「心から限りなく純粋で素直である事、飾らずに偉ぶらず限りなく謙虚
に、限りなく真面目に正直である事」 これらを常に意識して心がけてく
ださい。(特に必要です)
「思いを無くす方法」
●火の鎮魂では、最初に 「 悪しき心の感情、思い、自身のコンプレックスや
トラウマなど」と共に自身が火に入る事を強くイメージし、その後は意識
をしなくても良い
※火の鎮魂だけが精神の不和を消し去り清浄と健全を保つる唯一の方法なの
です。これからの鎮魂は火の鎮魂だけを行ってください。
※火の鎮魂で、自分の悪しき心を意識しないで勝手には消えないのです。
できるだけ消す内容を意識するようにします。
(すぐには消えませんが継続することで必ず少しずつ薄れてきます)
悪しき心(精神)や思い等を 「無くそう、捨てよう、消し去る!」と 強く思う事は反作用の力が生じるので、宜しくないのです。
また、物質的欲求、地位、名誉、睡眠、食欲、また性的な欲求などの肉体的欲望など、無理に抑制(我慢)しようとすると、反対に強い反発力が生れ、余計に欲望に対する思いが強まるものです、これは欲求を強く意識するから生じるのであります。
※ 欲望を「消し去る」とする事は反作用の反発する力が必ず生じるので、抑えよう、我慢しようという思いが強ければそれだけ欲望に対する思いもより強まる事になるのです。
このような欲望を制御する方法として、欲望や欲求が出てきても 「放っておく(放置する)、相手にしない、気にしない)」事です。
すると、欲望は次第に薄れて忘れてまいます。
繰り返し出てきてもその都度同じように気にせず 「放っておく事」 です。
つまり、欲望・欲求に対し、意識しない事が大切なのです。
(そして火の鎮魂を行う事です)
また、「天界入りする意志が必要」がどうしていけないのか?ですが、
これは、天界に入る事が目的になってしまう為に私的な徳や益を求める欲となるからなのです。
※ また、過去に安易に天界に入る為に、ローマ・カトリック教会で免罪符と
言って、これらを購入する事で罪が許され天界に入れるというバカげた事
も行われてきたのです。
過去、本田霊学顕神会においても、先生に付いていれば死後に救い拾い上
げてくれるというような安易な思想の人もおられたのです。
このように人間は必ず精神が妥協し堕落するものなので気を引き締めて気
を付けなければならないのです。
天界入りする意志は必要なく、自身の御魂を正しく磨く事に徹する事で結果として天界に行く事になるのです。
この内容が改心の核となる部分です。
これら改心と内流の事については、神示では以下のように言われているのです。
(640)
何事も早い改心結構。
自分で自分の心の中は中々につかめんものであらうがな。
その中に又心あり、又中に心があるのぢゃ。
心は神界ぞ。
霊界や神界のものを肉体の自分で掴まうとしても中々ぢゃ。
うなぎつかみと申してあらうが。ヌラリクラリと掴んだ筈が掴んでないぞえ。掴むには身と魂と一つに和せねばならん。
(648)
人民と云ふものは奇跡見ても、病気になっても、中々改心出来んものぢゃ。
死後の生活がハッキリ判っても、未だ改心出来んのぢゃ。それは外からのものであるからぢゃ。
まことの改心は、中の中の﹅ のキいただいて、ほっこんの改心出来ねばならん。
※「﹅ のキ頂いて」=神の内流を頂いて
厳瑞