「ナナメの夕暮れ」若林正恭著 書評。
生きていると、
くだらない、みっともないと片付けてしまうことが多々ある。
・やりたいことを全力でやっている人。
・大したことでもないのに、それが自分の集大成のように発表している人やそれを取り囲む雰囲気
ストリートミュージシャンとか、
路上パフォーマンスとか。
すごいな、面白そうだな、とか思ってもすぐさま、
”くだらない”
と思う自分に勝利を渡してしまい、素通りする。
ただやっぱり、前向きに生きられている人がカッコいいなと、後で思う。
だから誰もいない夜に1人、ベッドでゴロゴロしながら、そういった人たちや作品をツイッターで検索しては、憧れたみたり、尊敬したりする。せめてもの意思表示と尊敬の証しとして、”いいね!”をしたりも然り。
そんな”いいね!”は、届いているかもわからないのに。
簡単にいってしまえば、最強にめんどくさいツンデレみたいなものだ。
オードリー若林正恭さんの著書
「ナナメの夕暮れ」を読了して、若林さんもそんなことを考えていたんだなと思った。
本書は、文芸雑誌「ダ・ヴィンチ」での連載に、大幅に書き下ろしを加えたエッセイ集。
「自分探し」完結編!と謳っているように、自意識過剰で世界をナナメに見ていた著者の変化の過程が書かれています。
著書独特のワードセンスや世界の受け取り方、その感受性の鋭さには驚くばかり。
中でも心に刺さったのは、第一章の終わりから第二章にかけての、”ナナメ”から卒業した著者が世界を肯定して行く姿。
忙しい人は、このあたりにかけての数十ページを読むだけで価値があると思う。
○誰かが楽しんでいる姿や挑戦している姿を冷笑していたらあっとゆう間に時間はすぎる。
第一章の終わりのこの一文にハッとさせらる。
著者は、それが父の死によって気づくことができたと言っている。
自分の話になってしまうが、観察眼だけはそこそこあったので、人のことばかりわんわん言ったり、相手にアドバイスを求められたり、結果多少なりとも感謝されたことは時々あった。
しかし、それではあなたは?と言われると、途端に言葉に詰まってしまう。
ぐうの音どころか、音も出ない。
でも最近、それではいつまでたっても、前に進めないなと思っていた。
それが、著者の言葉で、やっぱりそうだよな、と。改めて腑に落ちた。
○スタバで”グランデ”と言えるために
第一章の終わりで、このままではいけないということは大枠としてわかった。ではどうすればいいのか、それが結構具体的に書かれているのが第二章。
第二章の一発目のタイトル”ナナメの殺し方”。
なかなかストレートなタイトルである。
ここでは、スタバで注文の時に、”グランデ”と言えない自分(何か自分が気取っているような気がして恥ずかしがる自分)を例に話が展開されていく。
”自意識過剰である。自意識過剰なことに対して、「誰もみてないよ」と言う人がいるがそんなことは百も承知だ。誰も見ているのは知ってるけど、自分が見ているのだ。”自分が見ている”のはどういうことかと言うと、「グランデとか言って気取っている自分が嫌だ」ということだ。”
ここら辺はウンウン頷きながら読んでいた。
そして、その原因をこのように説いている。
”こういう気持ちはどこから来るかというと、まず自分が他人に「スターバックスでグランデとか言っちゃって気取ってんじゃねぇよ」と心の内で散々バカにしてきたことが原因なのである。他者に向かって剥いた牙が、ブーメランのように弧を描いて自分に突き刺さっている状態なのである。昔から言っているのだが、他人の目を気にする人は、”おとなしくて奥手な人”などでは絶対にない。心の中で他人をバカにしまくっている、正真正銘のクソ野郎なのである。その筆頭が、何を隠そう私である。”
幸せは周り回って自分に返ってくるというが、返ってくるのはそんな素晴らしいものだけではなくて、こういう類のも返ってくるんだと、と改めてこの章を読んで感じた。
なんでも、できないこと、やらないことを、みっともないと片付けてやらなかった自分にドロップキックでもしてやりたい。(運動神経悪いのでできないが・・・)
では、これに対して著者がとった対策は?
というと、”肯定ノート”を取ること。
まずは自分の肯定。自分の肯定が慣れてきたら他者を肯定し続ける。
ここは本当に今に悩んでいる人は読んで欲しい。
その結果著者は、”まず自分が”他人への否定的目線を”やめるしかない。グランデという人を否定するのをやめれば、自分がグランデと言っても否定してくる人がこの世界からいなくなる。”
という考えに達することができたという。
○ナナメではなく、”正面”に向かってみる方が奥深いかもしれない。
この本をの書評を見てみて、「若林さんはもう昔の若林さんじゃない。お金も名誉も手に入れて、書き方が変わってしまった。」と書いているのを見つけて、面白いなと思った。
そういう捉え方もあるかもしれない、若林さんこっち側の人じゃないの?仲間だよね的な(笑)
ただ、多分著書が言いたいのは、”そろそろナナメはやめて、
こっち側にもたまにはおいで”と言っているのだと思った。
著書の中で、こんなことが書かれている。
”自意識過剰は、あり余る体力だよ”
その体力を、無理にポジティブになろうとしなくていいから、今、これからの人生に向けてみてはどうだろう。と言っていると思った。
著書の中にこんな一文がある
”エネルギーを”上”に向けられなくなったら終わりではない。”正面”に向けるほうが、全然奥が深いのかもしれないと思えたのだ。”
そして、少しずつ、向こう側に立てれば楽しいのかもしれない。
僕も少しずつ、やって行きたい。
今池袋の喫茶店でこの書評を書いているが、パソコンを閉じて外に出たあと、
もしも、”面白いな”というものに出会ったら素直に面白がりたい。
とりあえずはそんなところから始めてみよう。
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