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幸不幸論: 内的願望と外的現実の不一致と価値創造 - 牧口常三郎の「価値論」とともに
はじめに
この記事は、私が2007年から2011年にかけて日本で通信制大学の教育学部で学んだ心理学・精神医学の知見をもとに、不幸感と幸福感のメカニズムを考察したものです。
私たちは人生の中で「理想(こうありたい)」と「現実(こうである)」のギャップに直面し、不幸感を抱くことがあります。しかし、そのギャップをどのように乗り越えるかによって、人生の意味や幸福感は大きく変わります。
ここで鍵となるのが、創価教育の創始者・牧口常三郎の「価値創造」の概念です。
牧口は、人生において価値を生み出すことこそが幸福への道であると説き、価値には「利(利益)」「善(道徳)」「美(感動)」の三つがあるとしました。
この価値論は、カントの「真・善・美」の三価値論とは異なります。カントが「真理」を不変の普遍的なものとしたのに対し、牧口は「利益」を価値創造の中心に据えました。
なぜ彼はこの転換を行ったのか? その背景を探りながら、不幸感を「価値創造」によってどのように乗り越え、幸福を設計することができるのか、私自身の経験と心理学・精神医学の視点を交えて考察していきます。
1. 不幸の構造:内的願望と外的現実の不一致
私たちが不幸を感じる要因の一つは、「内的願望(理想)」と「外的現実(現状)」の間のギャップです。
この不一致が大きいほど、ストレスや不満、不幸感が強まります。人は本来、「こうなりたい」「こうあるべきだ」という自己像を持っています。しかし、その理想と現実がかけ離れていると、心理的葛藤が生じます。
例えば、社会の中で「成功=安定した職業に就くこと」「幸福=結婚して家庭を持つこと」といった価値観が広まっている場合、それに当てはまらない人は「自分は失敗したのではないか?」と不安を感じることがあります。このように、社会的な価値観と個人の状況が一致しないとき、人は不幸を感じやすくなるのです。
(1) 認知的不協和と心理的ストレス
心理学者レオン・フェスティンガーの「認知的不協和理論」によると、人は自分の信念や期待と現実が矛盾すると強いストレスを感じます。
自己一致(Self-Consistency)の理論とも関連しており、自分の理想と現実が調和している状態が保たれることが精神的安定につながります。逆に理想と現実がかけ離れていると、「自己不一致(Self-Discrepancy)」が生じ、不安や抑うつが引き起こされるのです。
(2) マズローの欲求階層と不幸感
マズローの欲求階層説によると、人間の欲求は以下のような階層を成しています。
生理的欲求(食事・睡眠・住居)
安全欲求(安定した収入・健康・生活の保障)
所属欲求(家族・友人・社会とのつながり)
承認欲求(他者からの評価・名誉)
自己実現欲求(自分の可能性を最大限に発揮する)
この階層の中で、特に所属欲求・承認欲求・自己実現欲求が満たされないと、人は強い不幸感を抱きます。私自身の経験を振り返ると、不登校や引きこもりをしていた時期には、まさにこの三つの欲求が満たされていませんでした。
2. 価値創造の力:逆境から価値を生む
(1) 「不登校」という経験を「教育の価値」に変える
私は子どもの頃、不登校になり、「普通の学校生活」を送ることができませんでした。当時は「なぜ自分だけが?」と絶望を感じたこともあります。
しかし、その経験があったからこそ、「子どもたちに楽しい学校生活を送らせてあげたい」という強い思いを抱き、教員免許を取得しました。
結果的に、多くの生徒の成長を見届けるという、「善(人々の幸福)」の価値を創造する人生を送ることができたのです。
(2) 「引きこもり」の暗闇を「芸術の価値」に変える
ある時期、私は社会とのつながりを失い、引きこもりの日々を過ごしていました。
しかし、その孤独の中で、私は光を求め、荒川土手の夕陽をカメラに収めるようになりました。
そして、その写真が偶然ロンドン在住のシンガーソングライターの目に留まり、彼のアルバムジャケットに採用されたのです。
私が撮影した一枚の写真が、世界中の人の心を動かすものになった。
これは、「美(感動)」の価値を創造した瞬間でした。
3. 牧口の価値論:創価教育と価値創造
牧口は、教育の目的を「子どもたちの幸福」に置き、そのために「価値創造の力」を育むことを重視しました。
その根幹となるのが、「利(利益)」「善(道徳)」「美(感動)」という三つの価値です。
私の経験を振り返ると、不登校や引きこもりという「暗闇」こそが、教育者としての使命や、写真家としての表現力を育てる糧になりました。
これは、まさに牧口が提唱した「価値創造」の実践そのものだったと感じます。
4. 利益と価値、真理と価値
(1) 牧口の「利益」とカントの「真理」
価値論の歴史において、「価値とは何か」 という問いに対する答えは、時代や思想によって異なります。
カントは「真理・善・美」を価値の基本要素としましたが、牧口は「利・善・美」を価値の根幹に据えました。
この違いは単なる哲学的な視点の違いではなく、実践の場における価値の考え方の違い から生じています。
カントの「真理」は、客観的で普遍的なものとされ、変容することはありません。したがって、牧口は「真理」は人間が直接創造できるものではないと考えました。
一方で、「利益(利)」は、変化し続ける現実の中で人間が生み出し、獲得できるものです。よって、人間が能動的に創造できる価値の基盤として、「利益」を据えるべきであると牧口は考えたのです。
(2) 「利益」は自己中心的なものか?
「利益(利)」という言葉を聞くと、多くの人は「自己中心的」「経済的なもの」といった印象を持つかもしれません。しかし、牧口が提唱した「利益」とは、単なる個人的な利益ではなく、社会全体にとって有益なものを指します。
例えば、教育においては、教師が生徒に知識やスキルを提供することで、生徒は成長し、社会に貢献できる人材へと育ちます。これは「教育の利益」です。
また、医師が患者を治療することで、健康を取り戻し、人間としての生活の質が向上します。これも「医療の利益」です。
このように、「利益」は決して個人の欲望を満たすだけのものではなく、社会の幸福に資する要素となるのです。
(3) 価値創造と真理の関係
カントが提唱した「真理(真)」は普遍的な法則であり、人間が意図的に創造するものではなく、発見するもの です。
これに対して、牧口は「価値は創造するものである」と強調しました。そのため、「普遍的な真理」は価値そのものではなく、むしろ価値を創造するための道具の一つと捉えました。
例えば、科学の発展を考えてみましょう。
科学者たちは自然界の法則を「発見」することで、さまざまな技術を開発してきました。重力の法則、電磁気学、量子力学など、これらの理論自体は「真理」であり、人間が作り出したものではなく、自然界に元から存在するものです。
しかし、これらの「真理」を活用し、電気を使ったインフラを作る、インターネットを発展させる、医療技術を向上させるといった行為は、「価値の創造」 に他なりません。
つまり、真理は発見されるもの、価値は創造されるものという区別があり、牧口は「価値創造」にフォーカスすることで、人間が現実の社会の中で幸福を生み出す方法を探求したのです。
(4) 実生活における「利・善・美」の実践
① 私の「不登校」という経験を価値創造に変える
私自身が不登校であったことは、当時は大きな不幸のように感じられました。
しかし、その経験を活かし、教育に携わることで、「不登校の生徒に寄り添い、楽しい学校生活を送らせてあげたい」という「善(道徳)」の価値を創造 しました。
また、教育における生徒の成長は社会全体にも利益をもたらします。これは「利(利益)」の価値の実践です。
② 「引きこもり」の暗闇から「美」を生み出す
引きこもりの日々は、外から見れば「何も価値のない時間」に見えたかもしれません。
しかし、その中で私は光を求め、荒川土手の夕陽を撮影しました。そして、その写真がCDジャケットに採用され、世界中の人々を感動させることができました。
これは、まさに「美(感動)」の価値創造の瞬間でした。
結論:不幸感を俯瞰し、価値創造によって幸福を設計する
不幸とは、「内的願望」と「外的現実」の不一致から生まれます。しかし、そのギャップこそが「価値を生み出す余白」となります。
人生の中で、私たちは「理想通りにいかない現実」に直面することが多々あります。
不登校、引きこもり、失敗、挫折——これらの経験は、一見すると「負」のものに見えます。
しかし、視点を変えれば、それらは「新たな価値を生み出す素材」となるのです。
牧口は、「価値を創造できる人間こそが幸福を築く」と述べました。
これは、単なる理論ではなく、私自身が経験した現実です。
私が不登校だったからこそ、教育の現場で生徒と向き合うことができ、
引きこもりの暗闇にいたからこそ、「美」を求め、写真を通じて世界中の人とつながることができたのです。
カントが「真理」を価値の中心に据えたのに対し、牧口は「利益(利)」を価値創造の基盤としました。
これは、単に哲学的な違いではなく、「人間が主体的に幸福を創り出せるかどうか」 という点において、実生活に即した価値観の転換だったのです。
不幸感をただ嘆くのではなく、それを「価値創造の材料」として受け入れることこそが、真の幸福への道なのです。
人生は「理想通り」には進まないことがほとんどですが、だからこそ私たちは「価値」を創造し、幸福を築いていくことができるのです。
もし今、不幸の中にいると感じる人がいたなら、その現実を否定するのではなく、「ここから何を創造できるか?」と考えてみてください。
あなたが生み出した価値は、やがて誰かの人生を変え、世界をより良くする力となるでしょう。
不幸を受け入れ、価値を創造し、幸福を築く——それが、私たちに与えられた無限の可能性なのです。