【景観を考える(1)】守るために、少しずつ変える
景観まちづくり
景観まちづくりという授業の一環で、この度のcovid-19のパンデミックを受けて、今後のまちづくりを考える。その前の準備として、以下のヒントが与えられた。
1)都市を大きく変えたモータリゼーションについて、以下のことを調べてまとめること。
・モータリゼーションはいつ頃どのような形で起きてきたか。
・モータリゼーションをポジティブに捉えた新しい都市の具体的な例を挙げて、そこではモータリゼーションがどのような効果や恩恵をもたらすと考えられていたか。
・モータリゼーションがもたらしたマイナスの影響を具体的に挙げて、それに対する対応策としてどのような取り組みあるか、3つ以上探す。
2)都市や地域で暮らす主体が、その環境とどのような関わりを持つかについて、以下のことを考えてみること。
・都市や地域で暮らす主体がその環境と関わる、その関わり方には、どのようなことがあるか。できるだけ、時間的、空間的スケールのレンジを拡大して、その関わり方をイメージし、できるだけ異なる関わり方を5つ以上考えてみること。(これまで学んだ都市やまちづくりの歴史から、その時、そこにいた人はどのような関わりを持っていたかを想像してみるのも良い)。
思うに、都市計画・まちづくりはこれまで良くも悪くも単一のパラダイムを欠き、実践者の数+研究者の数だけアプローチがあった。なぜだろうか。
歴史の積層、civitasとurbs
都市のcivitas(社会的共同体)も urbs(物理的なかたち)も、その時代、地域、社会の様々な条件に対応するべく変化してきた。その変化の積層の上に現在がある。
ミュンヘンの街を歩いてみると、かつて城壁都市であった頃の城壁の線形が、そのまま現在の建築や道路の線形に生かされていることが、目で見て明らかにわかる。歴史的な積層の延長線上に立っていることを自覚できる。ぼくがこの街を訪れたのは7歳の頃だ。建物の色やかたちをじっくり観察しながら石畳の道を歩いていたら、いつの間にか家族から離れて迷子になったことを覚えている。
ウィーンのリングシュトラーセ。歴史や音楽に限りなく詳しい人とこの街を歩くのは、一つの僕の夢である。この街もやはり、時代の変化とともにurbsを変えつつも、歴史的な積層を色濃く残したまちである。オスマンの猛攻からまちを守った城壁の線形が、そのまま道路の線形に投影される。このような歩いていて楽しいまちは、土地利用計画一辺倒ではなく、こまやかな交通計画とアーバンデザインによってこそ実現される。
変化するのはurbs(物理的なかたち)だけではない。以下は、リーガルハイの一場面である。地方のcivitasの変遷のテンプレートがテンポよくまとめられており、痛快である。
【古美門】かつてこの地は、一面に桑畑が広がっていたそうです。どの家でも蚕を飼っていたからだ。それはそれは美しい絹を紡いだそうです。それを讃えて人々は、いつしかこの地を絹美と呼ぶようになりました。
養蚕業が衰退してからは稲作に転じました。日本酒に適した素晴らしい米を作ったそうですが、政府の農地改革によってそれも衰退した。
その後はこれといった産業もなく、過疎化の一途を辿りました。市町村合併を繰り返し、補助金でしのぎました。五年前に化学工場がやってきましたねえ。反対運動をしてみたらお小遣いが貰えた。多くは農業すら放棄した。
ふれあいセンターなどという中身の無い立派な箱物も建ててもらえた。使いもしない光ファイバーも引いてもらえた。ありがたいですねー。
絹美という古臭い名前を捨てたら南モンブラン市というファッショナブルな名前になりました。なんてナウでヤングでトレンディなんでしょう。
そして今、土を汚され、水を汚され、病に冒され、この土地にも最早住めない可能性だってあるけれど、でも商品券もくれたし、誠意も絆も感じられた。ありがたいことです。本当によかったよかった。これで土地も水も甦るんでしょう。病気も治るんでしょう。工場は汚染物質を垂れ流し続けるけれど、きっともう問題は起こらないんでしょう。だって絆があるから!
変化するのはurbs(物理的なかたち)だけではない。遡れば数百年、もしかしたら数千年にわたって、人々が生活を営んできた場所。社会環境の変化に適応しつつ、産業構造を変えることで生計を立て、コミュニティを形成してきた。しかるにふるさとの魅力とはなにか。先人たちの工夫と改善の物語である。
歴史的な積層を完全に無視したまちづくりは成立しえない。画一的に見えるニュータウン開発ですら、地理的・歴史的制約を受ける。モダニズムの画一的な理想都市のアプローチには一長一短がある。人間は物語のかたちで思考するため、遠く離れた地のまちづくりの実践家に情報を伝達するには、ある程度抽象的で応用の利くドクトリンの開発が極めて重要である。しかし、場所性を無視した結果の没個性的な都市の姿は、20世紀がもたらしたモダニズムまちづくりの一つの発露であろう。なんとか良いところだけを抽出できないだろうか?
守るために、少しずつ変える
クラシック音楽、という伝統芸能がある。ぼくは中一以来、オーケストラのオーボエ奏者として多くの時間を過ごしてきた。世の中で語られるオーボエ奏者の諸相はおよそ、目立ちたがり、職人気質、繊細、おおざっぱ、自由奔放といったところであろう。あえて言おう。すべて事実である。
オーケストラは、ぼくの原点だ。もし万が一、麻布学園管弦楽部のメンバーがこれを読んだ時のために軽く自己紹介をしておくと、17卒の西川である。第68回文化祭で"Don't imitate the past"(過去を模倣するな)の掛け声のもと、もう何十年も飲食展示大賞を取り続けてきた「名曲喫茶」の伝統が途絶え、「とびだせ!楽器の森」を展示した代である。過去を模倣するな。味わい深いことばだ。
クラシック音楽は近年、市場規模の減少や担い手不足といった問題に直面しており、指揮者の先生によっては70年後にクラシック音楽という文化が存在するのか疑問視されている方もいる。だから、いかに伝統を守るかという問いはいつもぼくの念頭にあった。
19~20世紀の偉大な作曲家、グスタフ=マーラーは「伝統とは火を守ることであり、 灰を崇拝することではない」と言った。時代が変われば、人々の価値観も感性も変わっていく。ただ過去のことを繰り返すだけでは、人々の感性の変化についていけずに、ついには伝統は滅びてしまう。だから、伝統を守るために、伝統を少しずつ変えていく必要がある。
守るために、少しずつ変える。これが、僕がオーケストラを通じて得た最も重要な知見の一つである。
「ジャジャジャジャーン」で有名な、ベートーヴェン交響曲第5番第1楽章 Allegro con brio冒頭。指揮者によって速度が全く違うのがお分かりいただけるはずだ。これが、時代の変化に伴う感性の変化だ。数十年周期で、速い演奏と遅い演奏が入れ代わり立ち代わり流行してきた。
守るために、少しずつ変える。まちづくりも、基本はおなじだ。
短期的競争による生き残りではなく、地域の真の価値を見極めて。
今後は都市計画的な制度整備も、地域レベルのまちづくりも両方激変していくことが予想されるけれど、一方で残すべきものは必ず後世に残していくべきだと思う。
いたずらに昨日と違う明日を思い描くのではなく、この世界が持つ本質的な価値を見定めようとした時に、今の日本や人類社会が持っている「後世に残すべき価値」とは何か、また「解決すべき重要な課題」とは何か、みんなの意見を聴いてみたい。
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