No.20 癒しのトラちゃん
わたしが一番荒れていた時期
というのは、まだ年齢で言えば17歳から19、20歳くらい?
学年でいうと高校3年生から大学一年生くらいです
学校も通えなくて過食に明け暮れて過食嘔吐に翻弄されて自暴自棄になっていました。
心もすさんでいました。
とても辛い時期だけど…できるだけ思い出し語ってみます。
詳しくは※閲覧注意 で語ってます
学校に行けないのは、太った(と思いこんであて)その姿を同級生に見られたくないということ
そして勉強もついて行けていない(進学校だったので見捨てられ感満載!)というのと
メンタルも不安定で人目から隠れていたい!
引きこもりたいという願望からでした。
で、家でどう過ごしていたかというと…
昼夜逆転することはなかったですけど、とになく落ち着かなくて眠れなかった。
常に交感神経だけで生きているみたいに…いつも焦燥感があって。
大学にはいり地元を離れるまでは主治医のS先生の外来予約が週に1度は入っていたので
外来でカウンセリングと安定剤や時に抗うつ剤や睡眠剤の処方もしてもらってました。
前にも書きましたがかなり田舎でしたので
”人に紛れる”ということができないので外出は非常に気を使うというかストレスでした
また時代も…コンビニとか出始めではあったけどまだ周りには少なくて、過食嘔吐するとなると冷蔵庫を漁り食い散らかし、
それか母に頼んで車でパン屋さんやスーパーを回ってもらうという人を巻き込んでの行為になって、よけいに罪悪感や後悔がマシマシでした😓
拒食の頃から変わらず痩せ願望はあって
いつもあの「拒食オンリーだった頃に戻りたい」と切に願っていました。
数日食べない!→わーっと過食嘔吐
の繰り返しの日々
食べると、とたん食欲も自分自身もコントロールできなくて不安定になって周りも巻き込んで迷惑をかけてしまった
日中、受験勉強しようとするんですが、
集中できない
向き合おうとすると逃げたくなる
向き合えないんですよ笑
これ今も多少ありますけどね
真剣に向き合おうとすればするほどなんか逃げたくなる😅
頑張ろうとすると
ストッパーがかかる
ストッパーがかかったまま走ろうとして
摩擦でぜんぜん進まないみたいな
ものすごいエネルギーだけ消耗していくようなそんな状態が長く続いたなぁ〜
他のスレッド(項目)に壮絶な悪足掻きのついて書いたのでここではもう書きません
猫のトラちゃん
ここではその当時のわたしの癒しになってくれた猫のトラちゃんの話を
拒食症で一年弱入院した後も、わたしは過食嘔吐の不安定から来る自殺未遂などで何度も緊急入院を繰り返していたのですが
当時のO大学病院精神科の看護婦さんたちほんとうにお世話になりました!
なんか不思議と顔も名前も覚えてるんですよ
30年近く前なのに
大型バイクを乗り回してカッコ良かったY さん、途中で結婚されたMさん、小さくて白くてネコみたいだと思っていたOさん他にもたくさんのナースさんたちにたくさん話を聞いてもらって助けてもらいました
その中でバイクのYナースが産み落とされてまもない捨て猫を拾ったことがあって
そのうちの一匹をわたしが引き受けることになりました。
ほんと目も開かない自力でミルクも飲めないふにゃふにゃの赤ちゃんネコちゃんで…ミルクをスポイトで吸って与えて育てました。
この子、このトラちゃんの癒しの効果は凄かった!
もう可愛いったらありゃしない💕
わたしを必要としてくれる小さい頼りない存在が、わたしにどれくらい責任感という力を与えてくれたでしょう
わたし、思うんです
わたし自身がポロポロで自分すらコントロールできず無力だった時
もっと無力でこんなわたしでも”この子を守ってやらないと生きていけない”
そんな存在が現れたら。。。
わたしが必然的にしっかりせざるを得なくなった❗️
トラちゃん😸の力は偉大だったなぁ☺️
可愛いは偉大なのだ❤️
トラちゃんを守るために
ほっとくわけにいかないから
私は死ぬわけにいかなかった
過食嘔吐は続いたけど…少しずつ少しづつだけど現実社会と噛み合っていけるようになったのもこの頃だったかなぁ
トラちゃんはこのあと私が大学生になって実家をでてから5年くらいして病気になって亡くなってしまった😢
実家の母が亡くなる寸前に電話越しにトラちゃんと話をさせてくれました、何度も「ありがとう💓」を伝えました
普通よりも短い寿命でしたが私にとっては救い主のような猫ちゃんトラちゃんでした
赤ちゃん猫だったトラちゃんが母のエプロンのポケットに入ってまるでカンガルーのようだねーって母と話したのがリアルに思い出されます。
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