たかちゃん
2020年6月7日私はふと思うことがあって自分の封じていた過去をふりかえり意味づけをしよう!と思ったんだ 世の中はコロナ禍真っ只中で、外に意識を向けることができず時間を持て余し内へ内へと意識が向いたからかもしれない😓 私がかってあれほど壮絶に闘っていたもの、何度も何度も私を考えるほど苦しみ悶えていたバケモノのような病気⁈あれは一体なんだったのか? 何の意味があったのか? 私の人生の中でまたどう位置付けたらいいのか? 決着は結局ついたのか? 私は何を乗り越えたのか? どうし
第一子、一番最初の子って一人っ子も含めて損だよなぁ〜しょっちゅうそう思う 私も第一子長女として育ち、2つ下の弟と6つ下の妹がいて 「お姉ちゃんでしょ」という有言無言のプレッシャーをすごく感じて育った 弟に負けたくなかったんだわ〜ライバル心メラメラ🔥 2歳下を相手に余裕だと思う??? いやそれが、下の子って、私のやること失敗からなんでも学んでからやるので、器用というかなんでも自信持ってこなすんですわ 👇過去の記事読んでみて https://note.com/tak
私自身が摂食障害から抜け出すきっかけとなったのは、結婚出産だったことは以前の記事で書きました だからといって、結婚すれば…とか出産すれば…とか気安くは言えないです! だって小さな命、別の人生に多大な影響を与えることだから 私自身がものすごく葛藤した点です もし、踏み切ってビョーキがひどくなって育てるどころでなくなったら…ちゃんと育てあげられなかったらどうしよう💦 不安はとてもありました。過食歴も10数年になるとだいぶコントロールできてパート勤務もこなせるくらい落ち着いて
ん?いっぺん記事をだいぶ書いていたのに…寝落ちしてる間に消しちゃったか⁈探しても探しても出てこない😢 (まぁいいわ〜また書くよ何度でも)
(ホントは体重なんてどーでもいいんだけど、なんなら体型も多少太ってても痩せててもどーでもいいんだけどね) たぶん摂食障害って一般の人がイメージすると拒食の方でガリガリに痩せた姿を想像する人が多そうだから😓でも違うの! たしかに拒食オンリーの時は私も痩せてた、尋常じゃなくガリガリで枯れ木のようだったわ でも過食に転じてからは吐いてたけど吐くの下手だったせいかそれほど痩せてたわけじゃない。標準に近い体重、フツウの体格。 だから言わなければ、病気を抱えてると周りは思わなかった
拒食から過食に移行してからの方が精神的に不安定になるよね 太るのはイヤ、怖い!!!! 「拒食オンリーの時がよかった」 〜あの頃に戻りたいと思って絶食や節食をしてしまうとまた食欲モンスター(過食衝動)に襲われるよ もう戻れないんだよあの頃には! もう前に進んだんだよ 前に進むんだよこれからも 食に囚われた世界から抜けるんだ‼︎ もうすぐ抜け出せそうなのに… でもやっぱり太りたくないって思うのすごくわかる! 摂食障害の異常な痩せ願望でなくて ふつうの「スマートで綺麗でいた
このお題で書かないわけにはいかないのだ!これは摂食問題以前、おそらく私の人生の最初の試練で以降ずっと、たぶん尾を引いてる😢 第一子で産まれた私は、生まれた時に跡取りのこともあって「男の子だったら」と言われた それでも最初の子だから喜んでくれたし大事にしてもらったんだと思う でもら一年八ヶ月 弟が産まれた 弟が産まれて退院する時の白黒写真が残ってる なんとも寂しそうな訴えるような瞳のワタシ(1歳8ヶ月)がカメラ目線で写っている 私はこの写真を見ると、この時のワタシの気持ち
30余年も前になる私の摂食障害歴で サポート団体で関わったのは二つです。 大阪の《あゆみの会》学習会 ayuminokai 東京の摂食障害の自助・ピアサポートグループ NABA(ナバ) 《あゆみの会》はわたしの母が悩みあぐねて探したどり着いたのでしょう…高校生の時に何度が大阪に連れて行かれました NAVA の方は実際行ったことはありませんでした、会員には入ったらのかな、毎月?通信が送られてきていて他にもたくさん自分と同じように悩んでいる人がいるのだと知れました 伊藤比
大学生だった時に何がきっかけだっただろうこのお二方と知り合った お名前をそのまま書くのは、彼らがあの時あの場に実際に存在して私と交流があった!ということ真実に現実に在ったということの証しだからだ 今谷さんは男性で骨形成不全症という病気で車椅子の方だった (私、お顔はまだ思い出せるんだけど下のお名前を、失念してしまいました、ごめんなさい🙏) 同時期に入江三子さんという女性の方ともお知り合いになって彼女は筋ジストロフィーという病気だったのだけど 彼女もまた当時車椅子でいらし
これ、書こうかどうしようか⁈けっこう悩んだ問題なんだよなぁいろんな背景の人がいていろんな病状の人がいて、答えは一つではない問題だから だからあくまでも私の一個人の体験に基づく見解としてほしい (参考には、あまりできないと思ってほしい) 前回No.31 の #ふりかえり で書いたように 私は一度流産してから長男を産みました どうしてもこの命を守りたいと!この子を幸せにしたい、そう心から思っているのに「太りたくない」というのが優先になるんです😰 (ほんとうに怖い病気ですよね
時系列の振り返り…えっと、どこまで書いたっけ? そうだ1997年海の日に結婚式を挙げたとこまでだね たかちゃんの結婚式はもう23年も前になってしまった😅時が経つの早すぎるー 28歳のたかちゃんでした 旦那さんとは遠距離恋愛だったのですが たかちゃんの地元で挙式も披露宴も行いました✨新婚旅行は定番ハワイ🏝 それが、たかちゃんの初めての海外旅行です (旅は仕事にしたいくらい好きなのにズーーッと過食貧乏ゆえ海外旅行行けてなかった😭) ハワイ🏝すごく楽しかった、空港を降りたその
私の”お母さん”(母とせずあえて”お母さん”と呼びます)のことをだいぶま前から書きたいと思っていました私が #摂食障害 にはまった約35年前はこの病気はまだあまり一般的ではなくて「母原病」だと言われた時代だったので私のお母さんはものすごく辛かったと思います😢 でも当人の私としてはお母さんのせいだと思ったことはなくて、申し訳ないという思いしかありません、もちろん家族に原因があるとは思いません お母さんお父さんともにふつうの良識のある人たちだし、たかちゃんは長女で3人兄弟だけ
さて時系列な #ふりかえり 記事 次ののタイトルは…恋愛と結婚👰🤵💒高校生くらいまでは、女であることが嫌だった😓 「生理もこなくていい」「無い方が清々する」「オッパイもいらないぺったんこな方がいい」なんなら骨も痩せて細くなりたい(なりません😓)思ってた 「華奢な方がいいし身体は薄い方がいい」… たかちゃんは、どっちかというとがっちり骨太!身長もあって大柄だし丈夫ででおまけにハト胸ってわかる?胸郭に厚みがあるから胸も大きく見えるタイプ(上げ底😁) ところが、たかちゃんは 『女
今回もスピンオフ 私の診断名って…で話 ダイエット始めたのは高2の新学期とくにきっかけがあったわけでもなく…ちょっと太めだったし友達と一緒にダイエットを始めただけ 2学期終わって年明けに動けなくなって強制入院させられた(この辺りのことは以前のスレッドで書いたので割愛ね) 『神経性思春期やせ症』という診断だったと思う←今と名称が微妙に違う💦 純粋な拒食オンリーだったのは一年ちょっと、通えなかったけど高3の夏頃からは過食嘔吐がものすごく酷かった(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥
お酒は実は未成年の時から呑んでた(コラ💢👊❗️) 拒食から過食に転じて高校に行けなくて引きこもり状態のとき、心がやさぐれでグレちゃってて…夜中に自販機でチューハイ買って飲んだりしてみた😅タバコも高校やめちゃってから悪ぶってカッコつけたくて 当時は今ほどタバコの害は言われていなくて「タバコ=大人=カッコいい」の図式だったからTVドラマでもかっこよく吸うシーンたくさんあったし、専売公社から民間のJTに代わって洋物タバコのマールボロやケントやラッキーストライクとか女性向けの細いタバ
「一人暮らしについて」一人暮らしを引き払って実家に戻ったのは27歳(大学生活4年とその後4年ひとりで頑張ってたよ) ぜんぜんステキ✨な一人暮らしなんかじゃなくて大学生活編にも書いたけど失敗や恥ずかしいこと盛りだくさんでヘロヘロの一人暮らし笑笑 でも泣いても笑っても自分しかいないから 誰も何にも言ってくれないし だから自由なんだけど だから責任も一人被らなきゃだし でも自分で決断して自分で尻拭いをするのってすごく大事だと思うんだ❗️ 一人暮らしって、できるだけみんな経験