御沈酔される上皇
握りこぶし大の丸い平たい石が
ぎっしりと水ぎわを埋め
ずっと先まで広がっていた
桂離宮のちまちまとした州浜とは、おおちがい
ここは、仙洞御所の南池の州浜であった
天皇を退かれた後水尾院の御所として
江戸の初めに築かれた仙洞御所
なんども火災にあい改修をかさねてきた
小田原の藩主は
湯河原の海岸で米一升を日当に
長円形の平たい小石を領民に集めさせ「一升石」の逸話がうまれた
その数、11万個あまり
ひとつひとつ真綿でくるみ俵につめ2000俵を献上した
1643年(寛永20年)
後水尾院から金閣寺の住職・鳳琳和尚に
御茶を進上せよと仰せがあった
仙洞御所で懐石をさしあげ池に舟をうかべ
これに院も乗ってお菓子を食べ
池をめぐる舟遊びのあと
向う岸の茶室にあがった
ここで茶を点てよ、と直々の命で
和尚が濃茶と薄茶を点ててさしあげた
数寄の雑談を楽しむうちに日が暮れ
盃がでる 謡をやり 乱酒となる
「天盃を頂戴する事、四度に及ぶ也」と
後水尾院から四回も盃をもらって和尚も得意顔
「仙洞ご機嫌……笑みを含められる」
院もにこにこ笑い
ついに酔いつぶれ「御沈酔」となった
池をわたった別世界の茶屋であった故の
無礼講であった
千利休のわび茶では
日常と非日常の境は
「露地」であり「にじり口」だが
このときの茶会の結界は「池」であった
わび茶とは異なる茶の湯が公家、僧侶の世界にあった
茶よりも酒に重きをおいたのかな、と
仙洞御所のおおらかな州浜にたたずんで思った
今も御舟着につながれている
小さな舟に乗って
池をめぐり舟遊びして
丹波の栗どら焼きを食べ
向う岸の茶屋で
八寸を肴に
ブルゴーニュワインを飲み
お茶をいただき
上皇のごとく沈酔したら
幸せの一言につきる……