カフカの墓
晩秋のプラハ。
旧ユダヤ人ゲットーのあたりを歩きまわって
フランツ・カフカの『変身』が浮かんだ。
若いセールスマンのザムザが、
朝、目覚めると毒虫に変わっている自分に
気づく不気味な小説。
「これが僕の高等学校、むこうの、
こっち側をむいた建物の中に僕の大学、
そのちょっと先の左側が僕の勤め先」と
カフカは、小さな輪を二つ三つ描き
「この中に僕の一生が閉じこめられている」
と旧市街広場を見下ろしながら語っている。
結核のため世を去るが、
41年の生涯、
ほとんどプラハを離れず
ボヘミアの首都を
愛したカフカ。
が、チェコ人でも
支配階級のドイツ人でもなく、
経済的に成功した父を持つ、
ドイツ語で小説を書く
ユダヤ人であった。
つまりチェコ系からも
ドイツ系 からも
さげすまれ
逃げ場がない存在でもある。
だからこそ、
労働者災害保険局での
単調な勤めのあと、
夜、発表のあてなどない
小説の世界に
自己の存在意義を
求めたのだろう。
『変身』で
自分を毒虫にたくし
自己を見つめながら、
現実世界の不条理を
笑ったのだ。
カフカは、1924年、
ユダヤ人強制収容所を
知る由もなく
無名作家のまま亡くなった。
1989年の東欧解放後、
死後半世紀ほどで
カフカは世に出る。
最近は、カフカ記念館までオープン。
山ほどある解釈と評価を、
誰より苦笑いしているのは、
自作が死後読まれることを
望まなかった、
地下のカフカではないか。
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