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(小説)うぐいす館からホーホケキョ⑤  「お名前を教えてください」


なぜ? 毎回、名前を尋ねられる


うぐいす館は、午後3時、おやつの時間である。

うぐいすやかた*窓際のテーブルに集うのは、
堤 梅子97歳、今道 武子90歳、金田 富子86歳の3人である。



武子が、梅子に話しかけた。
「ね、ネエ、食事の後で、職員が薬を持ってくるでしょ。
その時、なんで《 お名前を教えてください 》と言うの?」
「なんでって、間違いがないように確認しているのでしょう」
「テーブルには、名前が貼ってあるし、間違わないでしょう」
「うっかり違う人の薬を持ってくることがあるかもしれないし、たまたま、違う人がそのテーブルに座っていることもあるかもね」
「職員は、入居者全員の顔と名前を知っていると思うの。だのに、毎回、訊くのね?」
「分包した薬の袋には、氏名、日付が印字されているから、その通りに100%正確に飲んで貰うために一々確認しているということでしょうね」
すると、武子が、ギョッとするような発言をした。
「私は名前を訊ねられたことがないわ」

寸の間、テーブルでの沈黙が続き、


「武子さんは、食後の薬がないからよ」
と梅子。
「薬を飲む人にだけ名前を訊いているのか……」
と、武子は納得。


「何の話?」
富子は訝かしい表情。

窓際のテーブルで武子のおしゃべりが続く。


「そう言えば、某医療センターに通っていた時、
採血センターに行って採血伝票を渡した後、
《 お名前をお願いします 》
と言われたわ。
会計の窓口でも
《 お名前をお願いします 》
と言われたわ。間違えることがあるのかな」
「間違うよ。人間は間違いばかりしているよ。生まれた赤子の取り違え、手術時、臓器の左右を取り違えるなど、幾多の事件が報道されているよ」
人は間違いをする生き物だと、梅子は長い人生経験を経て悟っている。

(そういえば、出産した時、赤子の足首に《 金田ベイビー 》と書いた可愛らしいベルトが巻き付けられていたっけ…… )
富子は、遙か昔の我子の誕生時を思い出した。



松・竹・梅 の梅子


金田 富子が話を変えた。

「梅子さんのお名前、梅の花の香に因んで付けられたのでしょうか」


そんな風流なものではないよ。

「そんな風流なものではないよ。《 松・竹・梅 》の梅の位。子が付いているだけ新しいね。一寸前なら熊とか虎とかという名前だったかもね」
と、梅子は苦笑いする。


タケノコの竹子となるところだったの

「私も同じ。タケノコの竹子となるところだったの。すくすく真っ直ぐ伸びるようにと。でも、伯母が和歌をたしなむ人で、武子になったらしいの。何でも九条武子くじょうたけこ*という方から貰ったとか。私は和歌なんか何も知らないよ」
と、武子が笑いながら言った。
「武子さんは、京都の女子大を卒業したんやなかった?」
と梅子。
「そう。枕草子が卒論のテーマやった」
「その大学、九条武子さんと関係してるんとちがうの?」
「そうやったかしら」




「点なし冨」と「点あり富」



「金田さんは、富子という名前ネ」
と武子が話を振ってきた。
「私は、冨子という名前で思わぬ苦労がありました」
と、冨子が指でテーブルに大きな文字を書いた。
「点がないの?」
と、武子が気付いた。
「はい、ウ冠ではなくて、ワ冠です」
「どうゆうこと」
よく分からないまま、武子は興味津々の表情である。


            ワかんむりの冨子は思わぬ苦労がありました



冨子が父から聞いた命名の由来は、しごく単純である。
昭和13年に生まれた第1子の出生届を市役所に出した時、
に点はありますか?」
と、市役所の係員に訊かれた。
「点はありません」
と、父は答えた。それだけである。
お陰で「点なし冨子」となった。



「苦労したというのはどんなこと?」
梅子も興味深げである。
「高等学校までは「点あり冨子」を使っていました。戸籍が「点なし冨子」になっていることを知らなかったのです」
驚く2人。
「結婚した時、戸籍謄本をみる機会があって、ようやく富の字が違うと分かりました」

「ほんで?」
「そんで、「点なし冨子」の説明が電話では、なかなか分かって貰えなくって、これまで面倒で随分と苦労しました。ウ冠ではなく、ワ冠で、その下に一、口、田なんて説明すると、相手はますます混乱したの。《 富士山の「ふ」の点がない字です 》と言うと方が早いわね」

「??」
武子は混乱してきた。

たたみかけるように話す冨子。
「ちゃんと書いて出した手紙でも返信では「点あり冨子」になって返って来ることはよくあるし、手間暇の掛かる名前です。
うぐいす館でも、総て子になっていましたので、訂正を申し入れました。
その点、役所や年金関係ってすごいわよ。絶対に間違いはなかったわ。」



「冨子って名前で何か御利益はあったの?」
と、梅子が訊いた。
「そうそう、何かいいことがあったの?」
と、武子も訊いてきて、話はゴチャゴチャになっていく。

「いいことねぇ」
と、冨子は寸の間、考えた。

「小学6年生の時、母親と商店街で買い物をしていて、八百屋のおばさんが、手相を見てくれたことがあったの」
「なんて言われたの?」
「《 終生お金に困ることはない、いい手相をしている 》って。今思えば、母親のそばにいる小娘への、お愛想だったのよ。《 大金持ちになる 》と言われなくてよかったと思っています。稼ぐに追いつく貧乏なし、ということでしょう。しっかり働きました」
「金田さんは、福耳やし、お金で困ることはなかったのね」
と武子は納得。


「名前なんて、単なる符帳と思っていたけど、長く使っていると色々なことがあるわね」
と、梅子は何やら思っている様子である……



梅子のおかしな?思い付き


テーブル仲間の会話は続く    





とりとめのない会話が続いたあとで、梅子がふと呟いた。

点のない冨子についてだけど……」

冨の字に話題を戻した。

「昭和13年の生まれというと、《 生めよ、増やせよ 》の時代でしょ。冨子さんの親御さんは、男の子を待ち受けていたと思うの。生まれた赤子をみて、お父さんはがっかりしたのじゃないかしら。それで、思わず、点なし、と言ってしまったのでは」
と、思い付きを述べた。

「なにそれ?」
と武子。

「あるべきものが付いていなかったということ」
梅子の返事は素っ気ない。

「???」

武子は、2人の顔を交互に見ている。

冨子は、梅子の思い付きに少し驚いたが、しみじみとこう答えた。
「本当、立派な兵隊さんになる男の子を待っていたのかもしれません。私の2年後に生まれたのも女児でがっかりだったでしょう。その後、年子で男の子を授かったのですが、早世しました」

「男の子は育ちにくいというからね」と梅子。

「そうこうしてるうちに、父に32歳のとき招集令状が来て、中国大陸で戦い、敗戦となりました。終戦から1年して復員、次男が生まれました。ところが、次男も中学1年の時に不運な事故が原因でなくしました」

「ご両親はエライ目に会わはった」
と武子は泣かんばかりの表情である。

「でも、当時の人々ってのは強いもんで、まもなく、三男が生まれました。私とひと回り違う弟です。今、立派に先祖の墓守をしています」

梅子が溜め息をついた。
「ヤレヤレ」
と2人はようやく安堵した。


終戦から長い年月が経った。
今や日の本の国は人口減少の傾向に向かっている。
この先どうなっていくのであろうか。
窓際のテーブル3人の思いは尽きない。





さて次は、甘いもの好きの今道 武子さんが、
「お菓子売り場に近付くな!」
と、医師からアドバイスされた話である。 

(オリジナル連載小説)うぐいす館から「ホーホケキョ」
をお読みいただきましてありがとうございました。
2024年10月26日#0 連載開始
著:田嶋 静  Tajima Shizuka
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〈参考〉

*うぐいすのやかた
正式名称は、介護付き有料老人ホーム『晩鶯館ばんおうかん
夫に先立たれた女性が多い。
詳細は、「はじめに」の〈参考〉をご一読ください。

*九条武子(1887年―1928年)
日本の教育者、歌人。西本願寺第21代法主(大谷光尊)の次女(母、藤子は光尊の側室で紀州藩士族の子女)として京都に生まれる。和歌は、佐佐木信綱に師事した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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