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(小説)笈の花かご #57(終)

終章 てんでバラバラ

新しいトバリ

初めてイチョウは東京の暁荘ホームに到着した。
玄関に車椅子が用意されていた。その車椅子を英子に押され、イチョウは3階A号室に移動した。こうしてイチョウは、東京の介護施設 暁荘あかつきそうホーム の新しい住民となった。新たなトバリが開いて、未知の暮らしが展開されて行く事に胸が弾んだ。

イチョウが、つい住処すみかを|暁荘ホームに決めた理由は、娘・英子の住まいに近いという点。その次は、機能訓練室がある点。イチョウは、引っ越してすぐに機能訓練室を見学に行った。部屋の入り口に、名札が掛っていた。
『 理学療法士 那由多 陽 』とある。
(何と読むのかしら?)

引っ越しから数日間、慣れない食堂への往復、週2回の風呂場への移動など、全て車椅子介助となり、職員が車椅子を押した。
(モクレン館では、杖を突いて歩いていたのに、情けない……)
イチョウは、車椅子を自分で漕いでみた。車輪はゴツゴツと廊下のカーペットをきしませるだけ。スンナリと回転できない。両腕は力むだけで推進力に繋がらない。イチョウは、
(この廊下のカーペットは車椅子向きじゃない)
と気がつき、試しに、杖でそっと自分の部屋から食堂まで、歩いてみた。
(なんと、ゆっくりだけど歩ける! )
それを観察していた那由多なゆた 理学療法士。施設内は杖歩行、外出時はシルバーカーを使うプランをイチョウに提示した。すぐに、機能訓練計画書が作成されリハビリが開始された。


機能訓練室 ナユタPT


初めての個人機能訓練で那由多なゆた 理学療法士は、
ようこそ、ようこそ
と、イチョウを迎えた。
彼女は、はるばる東京に移り住む事になったイチョウを、いたわり、ふんわりと優しく包み込んだ。イチョウの好奇心は、すぐ彼女の名前のヨミに向いた。
「珍しい姓ですね……」
「夫の姓です。」
那由多なゆたひなたと読む。
「なゆた」と何度も呟いた。イチョウは、那覇を連想した。
(もしかして、ご主人は、沖縄の出身かしら?)
イチョウはすぐ、那由多なゆた 理学療法士(以後、ナユタPT)と仲良しになった。数回のリハビリを重ねて行く内に、古くからの知合いのような間柄となった。イチョウは、ナユタPTの個人的な事を次々と質問した。彼女は、笑顔でイチョウの質問に応えた。年齢は40歳。子供は女子高校生、男子中学生の2人。夫は某病院の薬剤師。ナユタPTのマスクの上に見えている眉と眼は細く長い。特に眼は、イチョウのふるさとでよく見掛ける一皮目、いわゆる、一重瞼。何回かリハビリを続けて行く内に、イチョウは、ナユタPTの言葉の端々から何やら懐かしいものを感じるようになった。イチョウは、しだいに心許し自分の事を話した。問わず語りである。
「私は、デラシネです。84歳にして東京に漂い着きました」
ナユタPTは頷きながら聞いている。
「ふるさとを出て大阪で職を得て働き、結婚して子育てをしました。定年後、石川県に移りました。そして今、娘に誘われて東京都に移り住みました。時々、苦労して覚えた大阪の言葉が出ます。長く住んだのに石川県の言葉は今ひとつ。この歳になって来ると、ふるさとの言葉がポンポンと飛び出してしまって話し言葉は、もはやちゃんぽんなの」
ナユタPTが驚いて大きな声を上げた。
「ちゃんぽん! 」
「そう、長崎ちゃんぽん」
「先生の言葉を聞いていると、故郷に帰ったような感じになるわ」
イチョウの言葉に、ナユタPTは、少し恥ずかしそうな表情をした。
「故郷を離れて22年になります。東京の言葉に馴染む努力をしたのですが。残っているのですね……私も長崎です。実家は、吉宗よっそうの近くです! 」
「ウワー! 吉宗の茶碗蒸! 繁華街の生まれやねぇ……」
あれこれと共通の話が行き交い、リハビリの時間はいつもタイムオーバーとなった。その後も、リハビリの度に、2人の会話が弾んだ。
(ナユタPTの話し言葉もずいぶんちゃんぽんだわ)


イチョウはナユタPTの話し方の中に、生まれ故郷の長崎の話し言葉と、必死で覚えたという東京の話し言葉の真ん中に混じる、どことなく別の話し言葉も聞き取っていた。それも、ゆかしい言葉。イチョウにとって何やら耳心地の良い……


ナユタPTの学会研修


夏も終わり、秋が近づくそんなある日。
ナユタPTは学術研修会のため都内の会館に出向いた。そこで、新しい機能訓練が次々と発表された。多くの先生による発表の後、ロビーでグループごとに小さな輪ができ、細かい疑問に質疑応答が行われていた。ナユタPTもその中の輪の1つをのぞこうと近寄り背伸びした時、
「先ほどのこの部分がどうしても不明瞭です」
一際大きな声で熱心に質問している声が聞こえて来た。とても懐かしい声。
「ヨシキタ先生は、いつも鋭い質問をぶつけられますな、実にまいりました」
(ヨシキタ!? )

ナユタPTの頭の中で、一瞬、何かがはじけた。
ロビーでの白熱の質問コーナーが長く続き、お昼を越してやがて人がまばらになって来た頃。ナユタPTは先ほど、熱心に質問していた理学療法士の肩をポンとたたいた。そして、やおら名刺を出した。彼は、名刺を受け取り、じっと眺めた。そして、いぶかしげに、ナユタPTの顔に視線を移した。見ると相手は、微笑んでいる。
「ヨシキタ アツシさん、久し振りです。ひなたです。」
「ひなた? 」
と言いかけて、彼は、そのまま言葉を飲み込んでしまった。ナユタPTは、笑いながら、言葉を重ねた。
「大学で、同じコースで、えっとちょっと仲良しで、私の実家にも一度遊びに来てくれて……父にも……
「どうしてここに……」
思いがけない成り行きに、ヨシキタはあ然、ぼう然として次の言葉が出て来なかった。


イチョウの健診、たった一人で


暁荘ホームの庭にひとり立ち、車が回されて来るのを待つイチョウ。
(引っ越しから新しい暮らしに慣れて行く間、いろんな事が起こった。でも気がつくと早いもので、時は移り変わり、いつのまにかまもなく紅葉の季節か)
庭の木々は、夏の残光を浴びてそよいでいる。
朝早く、イチョウは、健診のため、暁荘ホームの大型車で、天天総合病院へと出発する。ナユタPTはイチョウの出発を見送った。
(車の乗り降りだけでも心配なのに……)
運転手は、車の乗降の介助はするが、病院内の付き添いはしない。イチョウにとって初めて行く病院。出発間際まで、職員か家族が付き添った方がいいのではないかとナユタPTは迷った。イチョウに事前に要領を説明しプリントを渡した。イチョウは、
「大丈夫です。疲れたら、休憩しながら回ります。どうしても、と言う時は、病院の車椅子を拝借します」
と元気である。ナユタPTの心配をよそに、イチョウはスルリと車に乗り込んだ。小さなリュックと杖を持って出発した。


ヨシキタ PT!?


ナユタPTが、機能訓練室に引き上げようとした時、玄関に近づく人影があった。そして暁荘ホームのインターホンが鳴り響く。受話器のある事務室が応答し、すぐに、事務員がエントランスに走った。途中でナユタPTとすれ違い
「ヨシキタさんという方が来られています」
(ヨシキタ先生! イチョウさんのお見送りでうっかりしてた )
「すいません。私、対応します! 」



ナユタPTは、玄関ロビーの応接セットに案内し、紙コップのコーヒーを置いた。そして
「わざわざ石川県に帰る間際に少し立ち寄っていただき、ありがとうございます」
と頭を下げた。
「まだ新しいこのホームの機能訓練室を実際に見学してもらい、私の計画したプランが適しているかどうか意見をもらいたくてわざわざお呼びたていたしました」
「もちろん、こちらこそ他の施設の見学はこちらもたいへん勉強になります、帰りの新幹線までの短時間ですが見学させてください」


イチョウ、病院に向かう車の中で

一方イチョウ、朝、暁荘ホームから太い道路に出た所で、ホームへと向かって来る男性と車がすれ違った。イチョウは気がついた。
(大きなリュック)
背負った姿恰好には見覚えがあった。かすかに跛行はこう(脚を引きずる)姿。
(まさかね……)
懐かしのヨシキタPTに似てるシルエットを見掛けた事も手伝い、妙な事を思いついた。ナユタPTの話し言葉だ。彼女の話し言葉の中に混じるもう1つの話し言葉にピンと思い当たる言葉が浮かんだのだ。イチョウと初めて会った時、ナユタPTは、
「ようこそ、ようこそ」
と、優しくイチョウを機能訓練室に出迎えてくれた。イチョウは、はるばる石川県から移り住んで来た入居者へのおもてなしの気持ちだと受け取っていた。そう、
「ようこそ、ようこそ」
は石川県でよく耳にする挨拶の言葉である。と気づいた瞬間、

(そうよ、そうかもしれない! )

40歳・理学療法士・長崎 という3つの単語が1つに重なった。

(そうよ、きっとあの人だわ! )

実は、おもてなしではなくナユタPTはごく自然に、
「ようこそ、ようこそ」
と出迎えていたのだ。大学生だったひなたは、石川県で4年間理学療法について学び、インターン時に周りが当たり前のように使っていた出迎えの言葉を、しっかり、身に着けてしまっていたのだ。

(以前、ヨシキタ先生は、大学の頃、長崎に行き、同級生の家に泊ったと話してくれた……もしかするとその同級生って)



ヨシキタPT、帰路に着く


ヨシキタPTは、ひととおりナユタPTの計画表や理学療法のやり方を褒めて、約束通り短時間で暁荘ホームを後にした。ホームを出てすぐの路地で立ち止まり、ホームを仰ぎ見ながらしばらくみつめていた。
(思いがけない再会だったなあ)
するとすぐに襟をただし、石川県へ帰るため、駅へと向き直り、素早く雑踏に紛れて行った。


暁荘ホームで

ナユタPTは、よもやヨシキタが施術中に自分の事をイチョウに話したとは夢にも思いもしなかった。そのためヨシキタが暁荘ホームに来た事を当たり前だがイチョウに伝えなかった。
一方のイチョウは、ヨシキタPTが暁荘ホームを訪ねて来たかもしれないと察したものの、それを誰にも問う事はしなかった。
(どう切り出したら良いものか、もし勘がはずれていたらたいへんだし、実際問題、ヨシキタPTが語った同級生など、もうどうでもいい。ヨシキタPTとは、もうしっかり、さようならをした)

人と人は、束の間、交叉する。
すぐに、てんでバラバラの方向へと歩み去る。
しばらくの間は、諸々の思い出が残光としてかがやく。
いずれ消えて行く


イチョウは、自分自身にしっかりと言い聞かせた。デラシネの、最後の地となるこの暁荘ホームの暮らしに、改めて正面から向き合う事にした。


旅の人と呼ばれてくや 秋の雨 / イチョウ


「笈の花かご」は、これでおしまいです。
東京という浮島に漂い着いた水田登子。行く手のトバリは既に開いています。

(終わり)





(小説)笈の花かご #57 終章 てんでバラバラ(最終回)
をお読みいただきましてありがとうございました。
2023年10月21日#1 連載開始
著:田嶋 静  Tajima Shizuka
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