(6) 休み明け早々、脚本だけでなく 演出まで手掛けてみた。
この日も大統領府に、各大使館、中南米軍諜報部隊から膨大な量の各国の情報が届く。大統領の不在時は序列ナンバー2の首相と、ナンバー3の外相兼国防相のボクシッチ夫妻がベネズエラ以外の中南米諸国に対して開示する情報と、ベネズエラ内で秘匿する情報に夫妻がダブルチェックしながら区分けしてゆく。この時期、顕著に多かった情報はモリが休み明けに訪問するシリアとイラクに関するものだった。
ドラガンとタニアの夫妻が先日訪問した、イスラエルの第二弾とも言える今回の2か国訪問の情報収集の為に、特殊部隊の隊員達を半年以上に渡ってIS構成員として内部に潜入させている。組織としても、占拠地としても大幅に縮小したISに、新規構成員として加わるのは極めて容易だった。兵器の扱いに慣れたイスラム教徒を演ずれば、構成員としての序列も容易く上がる。シリア、イラクの国境部に巣食っている残存兵力や形骸化しつつある組織、人事情報を収集していた。 本来なら、安全なイスラエル訪問をモリに託して、ISの残党が占領しているシリア、イラクを、ボクシッチ夫妻が訪問すべきなのだが、クルド人救済ミッションは自分が請け負うと、モリが譲らなかった。
ボクシッチとタニアの懸念は、ベネズエラ製ロボットの機能が部分的にせよ知られるようになり、IS側でロボット戦への対策が練られている実態が判明した事だった。フランス製、イギリス製の対戦車砲や対空砲と言った多数の兵器がISの拠点、ラッカ市内に納入されている情報が届いていた。 ISも自動小銃やライフル銃ではロボットの装甲に軽微な損害しか与えられないと悟ったのだろう、戦車や戦闘機を破壊する兵器が必須と判断して一定数配備したと思われる。
火砲力のある兵器は単発の破壊力は高い反面、連射には不向きなので、隊列を組まずに分散して応対すれば被害は最小限度に抑えられる。ロボット隊やフライングユニット編隊が一度に被害を被る事は無いと想定されるが、それでも弾道に被弾すれば物理的に損壊し、ロボットもフライングユニットも、モビルスーツでさえも行動不能に陥る機体が出るのは避けられないだろう。
「連中が兵器の扱いに不慣れな今の内に、攻撃したいのが正直な所なんだけどね・・」国防相を兼務するタニアは外相として、英仏政府に対してISへの兵器供与に対して見解を求める文面をチェックしながら、夫のボクシッチの助言を求める。 文面には「G7がテロ組織として認定しているISに、貴国の兵器を提供した理由は何故?」と言った質問項目が列記されていた。
先制攻撃の実施を望んでいる妻の表情を見ながら、ボクシッチは手元にある情報を分析し続ける。「ISと中南米軍は既に交戦状態にある」と一方的に断定して武力行使に出ても良いのだが、それではトマホークを気軽に放って、民間人であろうが相手を一方的に破壊して、行動を肯定化する米軍と何ら変わらない。
「攻撃された」という既成事実が何かしら あれば良いのだがと、ドラガン・ボクシッチはIS拠点のシリア・ラッカ市内の武装体制を眺めながら考えていた。
ISは中南米軍の度重なる制裁と武力行使で削り取られるように縮小し、2010年代全盛期の面影はもはや無い。昨年、北アフリカでのプレオリンピック会場でのテロが未遂に終わり、報復のように組織の幹部達が住居ごと隕石落下に見立てて抹殺し、拠点と戦闘員がロボット部隊による襲撃を受けて拿捕され、組織の弱体化が一気に進んだ。
イラクの油田を失い、パキスタンタリバンの壊滅により、主力資金源と同盟関係を失った。現在では分散化、縮小化した支配地域からのミカジメ料が組織の収益源となっている。英仏兵器の購入資金を捻出する程の余裕は無いことから、何処かの国や組織から資金援助を受けている可能性が高い。諜報部隊と特殊部隊がISの資金繰りを鋭意調査中だった。
「英仏の兵器を調達した事実を英仏両国に突きつけて、兵器破壊を口実にラッカ市に部隊を突入するのはどう? 勿論、我が諜報部隊を撤退回収して、ISを戦力ダウンさせた後だけどね」
タニアの悪女顔を見ながら、ボクシッチは軽く微笑んで目を閉じる。英仏両国とISに資金供与している組織であり国に対しても、何らかのペナルティを課す事を考えねばならないが、兵器破壊を口実に先制攻撃を仕掛けるプランをボスが認めるだろうか?と思い悩む。モリは先制攻撃に対して、極度に慎重だった。
「日本人首長が先制攻撃を容認した」という事実が、自衛隊に波及するのを極力避けたいと本人が吐露した事を思い出す。
ある程度の損失を覚悟の上で、攻撃された事実に基づいて反撃に転じた経緯を、モリは残したいのだろう。日本人である以上、軽々しい判断が出来ないのは承知していても、過度に考え過ぎて、攻撃のタイミング「機」を失っては元も子もない。ボクシッチも妻が「自衛隊の専守防衛の呪縛」を分かって居ながら、敢えて発言しているのを理解していた。
「ダメだ、分からん。ボスに相談しよう。我々では判断できないよ」
ボクシッチが受話器を取り上げた。ある意味で緊急事態だ。休み中でも仕方がないよねとタニアも同意の微笑みを浮かべた。
ーーー 「我々は武力行使を想定している。それも、対IS向けの作戦として最も緻密なものを用意した。地上から1つの組織が完全に消滅するまで、作戦は継続されるだろう」
ベネズエラ外務省のマーカス・グロンホルム報道官が会見で発言すると、記者達がグロンホルム報道官に向かって一斉に挙手し、「それは先制攻撃も含めて、ISを壊滅に追い込むという意味か?」と問う。
記者の中にはISに兵器を提供しながら、ダンマリを決め込んでいる英仏政府を非難する記者も少なからず居た。記者達の反応は、概ねベネズエラ政府の思惑通りとなり、作戦実施を肯定的に受け止めている様に見えた。
報道官による発言を実施したのも、「まずは会見で情報開示して、世論の反応を見極めよう」とモリが判断したからだ。殆どのメディアが中南米諸国寄りの立場を取り、軍事介入を擁護する姿勢を記事にし、ニュース映像に纏めていた。後は、世論の反応をしかと見極める。
中東への部隊派遣を正当化する為に、グロンホルム報道官はシリアとイラク国境に跨るシリア砂漠に、幾つか存在するオアシスに居住するベドウィン集落をISが手中に収めようとしている、とも明かした。
「シリア砂漠にクルド人コミュニティを建設しようとしている我々の動きに呼応したのでしょうか、ISの武装部隊が移動を始めた兆候をキャッチ致しました。同時にオアシス防衛を目的とする部隊の派遣をシリア政府、イラク政府から要請されました。休暇中の大統領に判断を仰ぎ、派遣を決断、即時承認し、先発チームが間もなく現地に到着します」と、一歩踏み込んだ発言をすると、各メディアも肯定的な解説を加える。
「ISはこれまで都市部と油田を自らの支配区域にして人々と石油を資金源として拡大してきた。中南米軍を主力とする勢力がISの支配地域の開放に乗り出し、組織の弱体化が進んだ。ISが今まで見向きもしなかった砂漠のオアシス地帯を確保すべく動き出した背景には、シリア砂漠の開発が、ISの存亡を左右する転換点となると悟ったのだろう」と。
パレスチナ人、クルド人、ロマといった土地を持たない民族・部族の救済目的で、中南米諸国連合が砂漠地帯でのコロニー建設に乗り出そうとしている。中南米諸国に抵抗する拠点を築いたのだろう。中でも、シリア、イラクの国境部を勢力圏としてきたISに取って、砂漠地帯とは言え、IS支配地域に近い国境部に、新たな経済圏が築かれれば死活問題となる。
シリア砂漠にクルド人居住地を建造する意向を表明したシリア、イラク政府と、計画そのものを立案した中南米諸国の調印式に、ベネズエラのモリ大統領が訪問するのを間近に控えて、計画の阻止に動き出したと見るのが自然だった。当然ながら、計画の一貫として、クルド人の新生活を脅かす存在の駆逐は盛り込まれており、ISの完全掃討に中南米軍が乗り出すのは既定路線だと、予め戦闘行為が生じるのをシリアのアジャイル大統領も認めていた。
昨年の北アフリカでのプレオリンピック時の未遂テロの報復攻撃から始まり、中南米諸国は一貫してISの組織解体に注力してきた。
今回のシリア砂漠開発に対して、ISが組織の存続を掛けて最終決戦に挑んでくるのは既定路線として見られている。何れ収益を上げ始めるであろうクルド人コミュニティを、ISの構成員として使われたくはないし、コミュニティをISの収益源として奪取されるのは、断固として避けなければならないとシリア、イラク両政府も、中南米諸国も捉えていた。
報道官のオアシス地帯の不安表明を受けて中東のメディア各社がシリア砂漠に点在するオアシスを取材に訪れ、そこで暮らすベドウィンの生活を守るべく配備された中南米軍をニュース映像として取り上げる。シリア軍、イラク軍がカバーしきれないエリアでもあり、ベドウィンの男たちも猟銃を数丁程度の武器しか保有していないので、中南米軍に依存せざるを得ない現状に触れる。
ベドウィンの子供達と人型ロボットとサンドバギーが遊んでいる映像は、正義がどちらの側にあるかを端的に示しており、ISには不利な内容となる。
また、ベネズエラ製の対戦車砲と対空砲は人型ロボットが扱う重厚なモノで、人力を前提として製造された従来兵器とは性能も破壊力も段違いだと、中南米軍兵士が得意気に語る。ベネズエラ製の兵器のスペックは公表されていないが、多弾頭型の形状で、弾丸の形状が英仏製のものよりも明らかに大きかった。
「ISはイラク軍から拿捕した数量の戦車がある程度で、戦車が放つ砲弾備蓄量も限られており、ヘリ以外の航空兵器、戦闘機は所有しておりません。 中南米軍もその事実は認識している筈ですので、単に英仏製の兵器との能力差を誇示したいがために持ち込んだと見て良いでしょう」と元NATO軍大佐のコメントを紹介する。
対ロボット戦を想定して武器供与に踏み切った、英仏の思惑をニュース映像だけで呆気なく打ち砕いた格好となる。実際は鉄筋コンクリート造の建物を破壊する兵器として使われるのだが。 ーーー 「極めて遺憾だ。企業が独断で武器輸出を行った。それも政府に承認を取り付ける事無しにだ」 英国国防大臣が釈明会見に臨むが、国防大臣の発言を誰も信用しない。武器輸出に関して国防省や外務省がノータッチで済む筈がないからだ。グローバルサウス国家ならまだしも、曲がりなりにもG7を代表する英国での話だ、武器製造企業が独自判断で輸出出来る筈がない。
「大臣がおっしゃるように、国が知らぬ間に兵器が輸出されたと仮定しましょう。では、武器供与に際して金銭の支払い方法がどういった内容だったのか明らかにして頂けないでしょうか。ー企業がISと直接取引したとは到底考えられないので、何らかのルートを介して取引が行われたと想定します。メディア各社も関心がある箇所かと思いますので、取引の実態がどうだったのか確認したいので、情報提供してくれませんか?」
BBCの記者からして、自国政府を容赦無く追求してゆく。取引の実態を明かせば、携わった人々からの証言次第によって、英国国防省の役人の首が飛び、内容如何によっては国防大臣やそれ以上の役職まで辞任に追い込まれるかもしれない。
しかしながら、額に汗を滲ませながら国防大臣は言い繕うしかなかった。
「分かりました。判明次第情報提供いたします」と。
過去の大戦の戦勝国の得意のダブルスタンダードが、ここでも裏目に出た。キプロス島での大失態に続いてISへの武器供与の事実が露呈し、英国政府を擁護する者は誰もいなくなった。「保守党は終わった」と国民も悟り、支持率は数%台にまで落ち込んでいる。
熾烈なメディアの追求を免れる事が出来そうもない英国の状況を見て、英国同様の「知らぬ存ぜぬ」会見の開催を検討していたフランス政府は明日は我々の番だ、と絶望していた。中南米諸国連合からの公開質問の様な問いに対し、説明をせずに逃げおおせる事など不可能だと頭を抱えていた。
唯一となった植民地、仏領ポリネシアでも独立を求めるデモ活動が活発なものとなり、タヒチ島に駐留中のフランス海軍施設が何者かに攻撃され、破壊された。証拠は何一つとして判明していないが、中南米諸国が支援している可能性は極めて高いとフランス政府は判断していた。
「英仏が供与した兵器の破壊を口実に、中南米軍が行動を起こす可能性がある」とベネズエラのメディアが報道し始めると、想定とは完全に異なる状況に英仏側は追い込まれてゆく。パナマシティに本部がある中南米諸国連合のスポークスマンは、レッドスターバンク等の中南米諸国の金融機関に預け入れている英仏政府と全閣僚と家族の金融資産を接収すると表明し、第一弾となる経済制裁を英仏に仕掛けた。また、メキシコ、ブラジル、チリ、ウルグアイ、ボリビアの5カ国が5カ国にある英仏の大使館員を国外退去処分とし、大使館としての機能を事実上停止する処分を行った。
ベネズエラ政府はレッドスター銀行に於ける英仏の大臣の資産額をリストにして公開し、レッドスター銀行だけでも総額3000万ドル相当額が接収され、ベネズエラ国営銀行とブラジルの金融機関にも相応の資産が有ったと明らかにした。また、サーベラス・イグナイト財務大臣が英国王家と貴族の全て資産を凍結したと発言すると、英国に衝撃が走った。英国、シティにある金融機関ではなく、高金利で優れた金融商品があるベネズエラの銀行に王族も貴族も資産を有していたのが露呈した。閣僚達の資産と同じ様に、閣僚以上の莫大な資産を接収されでもしたら、英国保守党は解党するしかないだろうと囁かれるようになる。
ーーー オランダ、アムステルダムに滞在中の杜家の5人組は、オランダとベルギーの急増する経済ニュースに驚いていた。 2020年代の英国のEU離脱から始まった、金融センターとしてのシティ・オブ・ロンドンからの衰退が確定したかのような、世界中の金融機関の撤退表明が急増していた。今回はロンドンだけでなく、パリに進出している金融機関の撤退も重なり、アムステルダムとブリュッセルへの移転を表明する金融機関が50社を越えていた。
移転するにしても、拠点となる不動産が必要となりアムステルダムとブリュッセルのオフィス賃貸価格、金融機関社員向けの住居価格が高騰する。アムステルダムの金融街のホテルに投宿している5人は、レストランでのランチもディナーもどんな店舗であっても「順番待ち」という状況に追い込まれていた。
「キッチンがある部屋だから、自分達で料理した方がいいかも」と判断したサンドラットとフラウのイタリア人コンビが腕を振るって、この難局を乗り切る事にした。
「ベルリン、ローマに流れないのはなんで?どうして、アムステルダムとブリュッセルに集中するの?」茜が海斗に訊ねる。
「そりゃ、ブリュッセルはEUの首都だからだよ。アムステルダムは金融街としても歴史がある都市だし、何よりオランダっていう国家が後ろ盾になっている。アメリカの農業が衰退した今となっては、世界一の農産物輸出国だからね。今までは穀物の自給率は低かったけど、君達の小麦、大麦の採用で、穀物自給率も自ずと上がる。オランダ産の肉と乳製品は欧州中の家庭の食卓をを支えていると言っても過言ではないのは、君達の方が分かってるだろう?」
「食糧安保・・そうだよね。今では国防防衛政策、エネルギー政策と完全に同列になっちゃったものね」妹の遥がフラウが作ったピザを手にとってマジマジと見てから、口に運んだ。直後に幸せそうな顔に変わるので、サンドラットが笑い出す。 「そういう事。エネルギー政策に不安な英仏、食料自給率の低い英国、中南米諸国と日本の後ろ盾が無く、NATO軍だのみのフランス、そもそもEUに加盟しておらず、インフレが状態化している英国、そんな国の金融政策が的を射ている筈がない。それなら消去法選択で安定性があるアムステルダム、ブリュッセルに拠点を移した方が良いと考える。僕ら兄弟がプレミアリーグを敬遠するのは、食の乏しい国だから。金融機関の駐在員だって、暮らすならロンドンよりコッチの方が断然良いって思うだろうさ」
海斗がこの国のビール、ハイネケンを飲み干して、冷蔵庫に追加を取りに向かおうと立ち上がる。 「あっ、ニュース速報!」茜がテレビを指差すと、ソファに移動して酔って微睡んでいたフラウがシャキッと飛び起きた。
「ベネズエラ大統領代行のボクシッチ首相が、国営放送の臨時番組で「先程、ISと戦闘状態に突入した」と発言」とテロップが出た。
遂に戦端は開かれてしまった。
ーーー 夜陰に乗じてISの軍事施設に侵入した無灯火のロボットが、ISの警備兵の喉を切り裂くショッキングな映像から始まる占領地ラッカ市への侵攻作戦は、ロボット部隊が施設に突入してから制圧に成功するまで、30分と掛からなかった。
中南米の日付が変わった深夜のニュース速報では、ISに占領されていたシリアのラッカ市が開放されたと、現地展開中の中南米軍のアドニス・ステベンソン少将が会見し、奪還作戦中の赤外線カメラの映像が公開される。ボクシッチ首相が戦争状態に突入したと述べてから、半日経たずして、ISは主要拠点を失った事になる。
シリア東部の街、ラッカ上空に複数台のドローン機が飛び交い、マーカー付けされたISの関連施設や建屋をピンポイント爆撃を行っていた。前日には「明日、ラッカ市民は決して外を出歩かないで下さい」というビラが撒かれていたと言うまた、ベネズエラ国営放送とイラン国営放送は休暇を終えたモリ大統領がイラン入りする映像をトップニュースで報じる。テヘラン市内の杜家の私邸に国連事務総長のハキム・マストゥール氏を招いて2人で会見している映像が流れて、国連が関与するのかと各国が驚く。元事務総長ならではの采配と誰もが感心してしまう。ベネズエラ政府、中南米諸国連合の手際の良さばかりがクローズアップされ、ベネズエラの報道官が発言した、緻密な作戦が何処まで包括されているのか考えさせられてしまう。英仏両国のみならず、世界各国に衝撃的な映像であったのも間違いない。新旧の事務総長が何を話し合っていたのか、全てが終わった後でも明かされる事は無かったのだが。
ーーー
富山空港からテヘラン国際空港に移動し、イラン軍のヘリで2つある私邸の一つ、ラムサール市内の家に家族たちと入った。翌日、モリは単身でヘリに乗り込み、テヘランの空港へ戻ると、イランの外相と共に国連事務総長を出迎えると、テヘラン市郊外にある私邸に招いて2日間昼夜に渡って2人だけの会談に臨んだ。
モリの私邸の周囲ではロボットが警備にあたり、上空にはドローンが飛んでいる映像が報じられ、イラン側の警備を必要としていないのが確認できた。イラン政府がテヘラン市の名誉市民としてモリを尊重している現れだと、中東を専門とする大学准教授が解説する。
20年前の日中露3カ国による食糧援助と、計画立案と資金を提供したモリの実績を未だにイラン側が高く評価し続けている事が分かると述べる。新旧の国連事務総長の会合を、日本でもなく、ベネズエラでもなく、郊外とは言え首都テヘラン内で開いたという情報を、シーア派のイランを敵視するアラブのスンニ派やイスラエル、そしてアメリカは苦々しく受け止めているだろうとコメントする。イラン滞在後2人でシリア、イラクを訪問するとは言え、イランを事前準備の場として公然と使う度量を示した、モリの自信の現れとメデイア各社が評した。
「2人にとってはイランは安全な場所」だと公言しているに等しく、先述した敵性国家は皮肉のように感じていたかもしれない。
各国のメディアは、イランとモリの馴れ初めから解説を始める。イランと日本との強固な関係が確立された経緯と、両国間に於ける事業の数々が今日のイラン経済を支えている実情を説明する。シーア派の代表とも言えるイランを融和させ、スンニ派のアラブ諸国、イスラエルとの緊張を緩和させた成果はモリが国連に転じてからも維持されて、今日に至る。
イラン産の原油は日本のPB Enagy社とベネズエラ企業となったExxonMobi/社が一手に引き受けて、世界各国に販売している。アメリカ、イスラエルとの対立が激しかった頃に核開発を進めた経緯も不問となり、日本とベネズエラの支援で砂漠での太陽光発電と、ペルシャ湾での海水浄水化システムとエコ・アンモニア製造が、石油価格低迷後のイラン内の産業を支えている。
サウジアラビアやアラブ首長国連邦等のスンニ派の産油国、イスラエルに先んじて新エネルギー路線に転じた事で、石油価格変動の影響を最小限に抑える事が出来た。
現職と2期前の事務総長がイラン元首のハメネイイ師とイスファハン大統領と続けて会談し、シラクとイラク、そしてイスラエルでクルド人とパレスチナ人支援目的の砂漠環境用居住シェルター「コロニー」の建設を先行推進する背景を説明、イラン側の理解を得たという報道も世界中を駆け巡る。コロニー建設自体がクルド人、パレスチナ人支援を目的としたプロジェクトであり、国内に他民族の問題を持たないイランでは砂漠を有効活用するコロニーの必要性がそもそも無かったという事情もある。イラン国内5000万人の人口は長年に渡って増減せずに、その大半は都市部に集中しているからだ。
イラン側の反応以上に各国が驚いたのが中南米諸国連合主体だったコロニー建設事業に国連事務総長が積極的に関与する姿勢を見せた事だった。事務総長とモリは事業そのものを国連管轄に移管しようと考えたのではないかと、誰もが推測する。2人が国連軍設立に際してタッグを組んだ経緯はまだ記憶に新しかった。
「イラン製の乗用車はプルシアンブルー社製のアンモニア駆動エンジンを採用しており、ガソリンエンジン車の開発を中止しています」と、テヘラン市で取材中のメディアが市内を走るイランの自動車会社の車両と、ガソリンよりも安いアンモニアを販売するスタンドの模様を映像にする。テヘラン市内の電力の7割が太陽光発電と蓄電システムによるもので、ガス火力発電所の敷地内に、建設中のアンモニア火力発電プラントの映像を流す。
「中東で脱化石燃料社会を最も実現している国がイランと言えます。核開発を巡ってアメリカと敵対していた頃とは隔絶の感があると言えます」とレポートを締めくくった。
ーーー 「まさか、イランを経由するとは思わなかったな・・」ラムサールのモリの別荘からカスピ海が一望できる。後方には4000m級のバーモント山脈が聳える別荘地帯だった。イランがまだ王政を敷いていた頃、アメリカのカジノ王が建てた家屋と、テヘラン市街の高級住宅街の邸宅を「英雄」が授かったのは、日本の国会議員として1年も経って居ない、40代の頃だった。ベランダのテーブルで柳井純子幹事長がシャンパンのグラスをカスピ海に向かって掲げると、幸乃と志乃の姉妹が顔を見合わせて笑ってから、柳井幹事長に倣って献杯する。
3人はモリより先にベネズエラ入りする予定だったが、IS掃討作戦が始まった為にモリと行動を共にし、イラン内で暫く留まった。唯でさえ人員の少ないベネズエラ大統領府が、フル回転状態になっているのが目に見えるので、新規参入者と再合流組の面倒を見る負担を大統領府のスタッフに掛けたくはなかった。
「ブーメランの法則って言ってもいいのかもしれませんね。彼が信念と義を貫き続けていれば、こうして世界各地に味方が揃ってゆくんですから・・。あの人だからって言うのもあるんでしょうけど」柳井純子がレッドスタービールのイラン法人の社長時代に商品化したビールを幸乃が煽って、軽く咽せた。妹の志乃が仕方なさそうに姉の背中を軽く叩く。
イスラム戒律の厳しいこの国で、酒の製造が承認されたのは、古今東西モリだけだった。イランがイスラム圏外の国を受け入れる際の、国酒に認定されている。欧州ではジャパンウィスキーの亜流酒として、ファンを獲得している。
「そうなのよね。ひと度、敵認定すると徹底的にやっつけちゃうけど、味方には凄く居心地がいいのよね。私は農園主の肩書に加えて、外資の社長のポストをこの地で用意された。製パン工場と缶コーヒー製造の食品飲料会社だったはずが、ビールにワイン、今ではウィスキーに果実酒まで生産、販売して、アルコール販売の方がメインになっちゃった。
あの4000mの山が生み出す伏流水を使って、欧州向けに出荷するって計画まで打ち立てて、計画通りに難なく成功して見せるんだから・・。常人の感覚を逸脱しているわよね」
その後、生家に住民票を移すと飲料会社の社長の肩書と、横浜市長の母として、国連事務総長に転じたモリの選挙区から後任候補として補選に立候補し、首相まで上り詰める。金森政権の後を見事な手腕で捌いた実績をベネズエラで発揮してこいと、友人でもある阪本首相から今回送り出された。オブザーバー役としてベネズエラ政府で産業相と厚労相を担った経験のある幸乃と志乃の姉妹を伴って。
「そうですよね。有力者が頷かないと到底出来そうもない事業を海外で実現して、しかも見事に成功して見せる。金銭的な見返りもイラン政府や香港政庁にしっかりと施した上での話ですからね。簡単に出来る話じゃない」
杜家の中でも一番の経済通の志乃が柳井の発言に被せると、自分のグラスにワインを注ぐ。原料となる葡萄の栽培も高原地帯で始めて、ワイナリーも国際的な評価が高い。
「柳井さんだったから、銘酒を生み出すまで事業拡大が出来たんですよ。農園主として成功されているバックボーンが既にあったから、温州蜜柑や柚子、富士等の国産果樹栽培もスムーズに運んでいった。こっちの農家さん達が困る位の品質の果樹を次々と生産されて。その高品質の果樹が、このカスピ海の対岸に輸出されていく。代わりに、ロシア産とウクライナ産の安い肉と野菜がイランに入ってくる。隣接地でありながら、友好国同士で互いに季節の異なる国で生産物を融通し合うって発想を国家に提案する。ロシア政府、ウクライナ政府にしてみれば、良質なイラン産の果物を手掛けているのがモリの一派だって評価されるんですから・・。基本的にね、彼は八方美人、ええかっこしいなんです。そういう男なんです!」日本原産のシャインマスカットを摘みながら幸乃がビールを呷ると、妹の志乃が眉を顰めるので柳井も笑い出す。
缶ビールがカラになったのだろう、幸乃がクーラーバッグから、新しい缶を取り出した。
「八方美人って言葉は、確かに彼の為にあるのかもしれないわね。国会議員として世界を飛び回って諸問題に取り組んでいたら、いつの間にか国連事務総長に推挙されちゃって、今や中南米諸国の大番頭よ・・世界を股に掛けての大活躍って、こういう事よね?」
「幹事長どの、股に掛けるって言葉の「かける」に、今、どんな漢字を当てました? 彼自身は、飛翔のショウの字で翔けるを求めるでしょうけど」 幸乃が酔っているのかもしれないと思っていたら、案の定ニヤけた顔をしながら言うので酔いを確信する。ひょっとしたら、幸乃は女性の「股」に掛けたのかもしれない、と柳井は勘ぐった。
「えっとゴメンね。文字通りだったんだけどな・・、ああ、博打の「賭ける」もいいかもね。今回の博打の勝率もかなり高そうだけどね・・」
「それもアリですね。彼は体に性液を掛けたりせずに確実に仕込みますから、博打の賭けの方が相応しいかもしれませんね・・
でも、ISの構成員もある意味でお気の毒ですよ。徹底的に攻められて、果て続けてクタクタなのに、何度も昇天させようとするんです、きっと。
あのノリでいつまでも攻撃し続けるんでしょうね。構成員達はアッラーに召される事もなく拿捕されてシリアとイラクに送還されちゃうのでしょう。 これぞ、まさに生殺し。ベッドの行為とおんなじ目に遭うんだろうなぁ〜」
「お姉ちゃん!」志乃が慌てて姉の口を塞ごうとする。志乃の3男の堯志の耳に入るのが嫌なのだろう。柳井は思わず腹を抱えて笑ってしまった。
この姉妹と新たなタッグを組める喜びのような期待感を、柳井は感じていた。
(続く)