見出し画像

(2)千手観音か、阿修羅像か(2023.8改)

「富山県知事選に関して報告です。公安が撤退の要請をしております」
報告書を受け取って幹事長がパラパラと捲るが、読んではいない。毎度の事だが説明をしなければならない。実に時間の無駄だと担当は嘆く。昔の議員の方がまだマシだった。

公安が降りると聞いた幹事長は、内心は動揺していた。国内案件ではまだ一度も生じていない記憶がある。相手は一介の市民に過ぎない。所詮、大学教授と高校教諭だ。そんな連中が相手なのに公安が降りるだと?一体何があった?と、心は乱れていた。

「では、問題は一つだけではないと言う事かね?もしくは、彼らの背後に権力を持つ第三者でも居るとか?」

・・あの年であの美貌、夫は他界している。有力者のパトロンが居たとしてもおかしくない。手に入るものなら何とかしてみたいものだが、無所属では手の出しようがない。いや、手打ちというのはどうだろう。。

「お察しの通り状況は複雑です。最大の問題は、刑事事件となった点です。警察の協力と相手の理解を得て、今は表ざたになっておりませんが、調査員が派遣された経緯の説明が不十分ならば、相手は黙っていないでしょう」

「何故、事件となったのか・・公安が先に手を出しただと? これは事実か?」

「はい事実です。公安の調査員が先に掴んでなぐりかかりまして、金森氏の息子と乱闘になりました。想定外でしたのは息子の動きです。公安側は直ぐに足の骨を粉砕され、無力化してしまいました。これを見かねた応援救助に入った2名も即座に無力化されました。骨折2名、もう一人も顔を殴られ、歯を損傷しました。柔道空手の有段者複数を相手にして、難なく退けてしまいました。ライフル射撃の腕前だけではなかったのです。息子氏は、米国のプロ組織の人員である可能性を公安は指摘しています。米国大使館は全く知らない、とは言っていますが」

「それなら何故、諦める。アメリカが知らないと言うのなら、もっと優秀な人材を送り込めばいいじゃないか」

「公安の最上位クラスがあっけなく退けられました。上回る駒、人材が公安にはもう居ないのです」

「なんだと・・」

「偵察任務を担当できる人材が居ない現実に加えて、事件後に彼らが自社開発した警備システムを何箇所かで導入していまして、これが厄介な代物で尋常ではありません。ドローンによって周辺に展開中の公安の調査員がすべて把握されてしまいました、ドローンからの音声で警告を告げて従わなかった者は、刺激臭のあるスプレーで威嚇され。もう一人のメンバーも、バギーの無人機にスプレーを掛けられ撤退しています。ドローンとバギーには米国企業でも難しいとされている技術が使われている可能性が高いです」

「どんな技術なんだね?」

「自動化技術です。
人が一切関与せず、現地で展開中の捜査員たちがすべて察知されています。それを無人機がやるのです。公安が白旗をあげるのも分かります。認めたくはありませんが・・」

「何者なんだ、彼らは・・」

「米国IT企業の出身者で構成されていまして、トップは外人ですが日本人もおります。公安は、自衛隊の特殊部隊でもこのシステムを突破するのは難しいと判断しております。武力行使による制圧という意味ではなく、武器や兵器を使わずに敷地内や邸宅に侵入するのは、極めて難しいという意味です」

ドローンもバギーも自社開発品と見られている。4枚の羽が自在に可動して中国、台湾製よりも機敏な動きをする。バギーは農機具製品と外観は変わらない。

警備システムの配置先は南砺市五箇山の金森邸と、かほく市のブルーインパクト社事務所一帯となる。横浜の配備先は2箇所で、杜家邸宅と、息子の教諭と子供達が通っている学校にも複数台設置された。
顔認証システムがバギーに装備されているようで、登下校時に全校生徒が並んだバギー5台の前で、一旦立ち止まる。顔認証と同時に検温も行われており、同学校の防犯、感染防止能力は向上したと思われる。
緊急事態宣言前後での変化を下校時の生徒に訪ねたところ、家で検温する必要がなくなった。朝のホームルームで出欠を取らなくなった、という2点が、確認できた。

表沙汰にはならぬよう双方で合意されているが、息子の教師の方からは神奈川県警と公安に対してはクレームと、傷害事件を起こした事実関係の説明を求められている。息子は襟首を掴まれた際の爪跡程度の傷しかないのだが。

その教諭だが、横浜の邸宅の監視を31日まで担当していた公安調査員3名に対して、逆追いし尾行にも成功した。そのうちの1名だけが、息子氏から逃げられずに逆上、先制攻撃してしまう。しかし敢えなく敗退、サポート役の2名が仲裁に入るも撃退される。
教諭は近所の交番に連絡し、3名の回収と捜査の要請をおこない、交番に連行された。
「先制攻撃をしたのは自分です。しかし、返り討ちにあいました」と調書に書いた調査員たちは、腕とスネの骨に大きなヒビが入る全治3ヶ月、一人は歯を5本失う大怪我となった。調査員は柔道と空手の有段者なのだが、全く歯が立たなかったと報告している。アメリカ滞在の8年間で、同国の組織に雇われた可能性がこの時浮上していた。高校時代はサッカー部で、県の選抜選手にも選ばれているが、格闘技を習っていた形跡はない。
しかし踵と膝と肘という人間の体で硬い部位で破壊する動きは、特殊部隊の兵士たちの動きによく似ていた。
あの体躯を活かしたリーチの長さで懐にも入れず、攻撃に転ずると絶妙なスピードとフェイントの緩急が展開され、対峙している相手が、踏み込むべきか、相手に攻撃させてカウンター狙うのか的を絞れないうちに、リーチの長さとスピードを活かした攻撃により倒されてしまう。パワーではなく「フェイントとスピード」による緩急、それに「判断能力」が加わるのだが、そこは対峙した相手でなければ分かりづらいかもしれない。  

与党富山県連と党本部に届いた報告文書と、公安が撤退を求めている事態は過去に無いものだけに幹部間でも動揺が広がっていた。
与党にとって厄介なのは、助成金をバラ撒いてきた農業、漁業、学校に対して、金森陣営が改善策を提案して、賛同を広めつつある状況だ。
モリが勤務する学校に導入された、ブルーインパクト社の防犯システムは事例として公表されており、全国の私立の学校から問合せが続いているという。
農業と漁業のパターンと似ていた。製品がユニークで高性能、対抗する製品が無いことから、農協、漁協、そして文科省でさえも同社製品の調査に乗りだそうとしてした。

また、展開中の事業以外に関しても鋭意開発を検討中としているブルーインパクト社が、富山県全産業の効率化を促進すると公言しており、1次産業、学校以外に展開してくると、与党が止めたくとも止められない事態になりかねない。

与党は富山県連に対して、金森陣営との連携を促すように要請する。例えば副知事のポストを金森氏に提供する。2年後に対立候補が居ない状況で県知事に就任するかだ。与党党員になるという前提なのだが。

ーーーー

翔子は自社に久々に出勤し、社員食堂で昼食メニューの調理中だった。

メインメニューを作りながら「お試しメニュー」と題して、通常の定番のカレーとは異なる、通常のカレー鍋より2回り小さな鍋で、フライパンで炒めた鶏肉を投入し、煮込もうとしていた。ココナッツミルクを投入してナンプラーでベースを作ってゆく。鶏肉がココナッツミルクで煮込まれていい感じに柔らかくなると、蒸かしたメキシコ産のカボチャを大量に投入して撹拌する。

「冷凍カボチャがポイントです!」あの人は嬉しそうに言ってたなと思い出し笑いをする。

「山に登るのに生肉を持参すると、標高が低い地点から登る夏山登山には向きません。
そこで、冷凍カボチャの登場です。鶏肉を冷凍野菜で冷やしながら運びます。日本の山は高くても3000m程度ですから、登ったときには冷凍かぼちゃは蒸かした常温カボチャに転じています。だから調理時間が短く収まるのです!」

アウトドア料理といえば、BBQぐらいしか経験のない翔子には画期的な話だった。普通は冷凍カボチャなんて使わない。冷凍野菜自体の存在意義すら、翔子は否定していた。まさかクーラーとして使うとは。ビール用の小さなクーラーバッグを使っているという。

「御社は冷凍食品の最大手ではないですか。餃子は作るよりも楽ですから、愛用させていただいております。一人メシの時は餃子と枝豆で即カンパイできますからね。冷凍カボチャは確かにカレー以外では僕は使いません。ですけど、30年以上も残っているのですから、何かしらニーズがあるんでしょう。きっと」

他にもスキレットとフライパンを使った、様々な炒めものを手際よく作ってゆく。ガパオ、チキントマト、チーズオムレツなどなど、翔子は感心して見ていた。手伝おうとしても早すぎて合いの手が打てないのだ。「千手観音なんですか?」と口にしていた。何か言いたそうな顔をしてたが見つめあっていたら、最初からテーブルで待機していた樹里がキッチンを視察しにやってきた

「先生の料理を見ると、山を思い出す。私達の為にずっと動き続けてくれる」と小声で言っていたが、なんとなく分かった。この子達が登山を始めた時は「いつまで続くやら」と半信半疑だったが、山で先生のご馳走が待っていたら、それは頑張っちゃうよねと理解した。
s&bのイエロー缶ベーシックカレーパウダーを投入量を調整しながら、また思い出す。

「味のベストポイントを少しづつパウダーを追加しながら探ります。この時、お嬢さんたちの行儀は最悪です。食器をスプーンで叩いてまだか、まだかー」って急かすんです。最後の大事な仕事の時間なのに」

樹里とあゆみが、計量カップやコッヘルを手にとって、計量スプーンと割り箸で叩いて
「まだぁ、まだぁ、腹減ったぁー」と再現し始めると彩乃ちゃんと顔を見合わせて笑ったっけ・・


「ヨシ、完成だ!」翔子が同僚たちのティスティング用の小皿に盛り付けて、手渡す。味見が終わるまで見届ける。
「あらヤダ、すごく美味しい」

「翔子さん、何よこれ? チャッチャッと作ってたみたいだけど・・これ、人気メニューになるよ、絶対」

翔子は嬉しかった。彼の発想が生んだものがまた一つ、人々に受け入れられるんだ、と。

ーーーー

サミアたちのチームがドローンが撮影したモリのケンカの映像を拡大して分析していた

「止めて」サミアが映像を止めさせた際のモリの視点は、対峙する相手の足先を見ていた。

「超スローモーション再生してください」のっそりと両者が動き出すが、相手が右足と右上半身を動かし始めるのと同時に、モリは相手の左横に向かってスロー再生の速度で相手の1.2倍程度の速さで回り込もうとしている。そしてモリは左足で相手の左足を払いのけた。相手は右にシフトして、モリを捕まえようと伸ばした右腕の先に何もない状態になる。

この時点で「勝負は決した」とサミアは察した。ディフェンダーを追い抜いて、ゴールエリアに侵入しようとする動きと一緒だ。左足をカッパいているので、サッカーならカードが出ているだろうが、レフリーが居ないのでゲームは続く。

左足を祓われた格好となり、相手は右に倒れこもうとするので、右足でもう一度踏ん張って何とか転倒を防ごうと動き出す。右手が右足の折れ曲がった膝の上につっかえ棒のようになって、右半身だけで踏ん張り、転倒しないで済んだ。しかし、モリは大きく左に回り込んでいるので、相手のどフリー状態の頭部左側を容赦なく攻撃する。右半身で持ちこたえたとはいえ、スローモーション映像では相手の左足はほぼ宙に浮いていた。   

右足に100%荷重した状態で、左足がゆっくりと地面に着地した瞬間、左のコメカミに右ストレートを叩き込んだ。再び右にグラッと傾いた際には、モリは相手の斜め後方で右足を大きく振り上げていた。ボレーシュートを放つかのように相手の右足のアキレス腱部に強烈なキックを叩き込む。全体重が右に寄っていた相手の顔が痛みで歪むのと同時に、モリの左膝がニーキックとなって相手の顎を打ち砕いた。歯が数本、宙に舞うのと同時に相手の目がぐるりと動いて白目になった。

​「容赦ねえな・・」

「でも最初の一手が全てだな。相手の左側に展開した時点で勝ちは決まったってことよね。あれで相手は何も出来なくなってる」

「左足で相手の左足を払って、相手のバランスを右側に寄せたのがポイントって話だな」

「そして右ストレートと右アキレスへのシュート性のキックと顎へのニーキック。最初の読みも凄いが、3つの攻撃が間髪入れずに行われている。スロー再生だってことを忘れちゃいけない。多分、普通の人は見えない速さだ」

「この一緒にいる親子連れも凄げえよ、相手の歯が飛び散って倒れているのに、飛び上がって喜んでいる。すっげー嬉しそうだが、こりゃ喜びすぎだろ? ・・負けた人、哀れだな。引き立て役にもなりゃしねえ。治療代どのくらいかかったのかなあ」

「きれいなママは、ぜってーボスのファンになってるよな?この顔はそうだろ?不倫はご法度ですぜ、ボス」

「ヒーローなんだから、1発ぐらいいいんじゃねーの?結構わかんねーもんだって」「あれ? この人金沢の会食にいなかった?髪がもっと長かったと思うんだけど・・あーそうだよ、同じ人だ」スマホの集合写真を拡大して、静止状態の翔子の顔の横にスマホを並べた。

「なんで、ボスと彼女が横浜にいるんだ?」ゴードンが首を傾げるが、誰も答えない。サミアの周囲が異常なまでに凍って、寒々しく感じたかもしれない。集まっていたメンバーは各々の仕事に戻っていった。

五箇山の家には確かに彼女は居なかった。代わりとなるママ友が増えていた。自称エンジニアの卵、頭の回転の速い女の子の母親だ。それに、ハーフの姉妹の妹も居なかったな、横浜にいるのかもしれない・・サミアの記憶力は侮れないものがあった。

ーーーー

モリは授業の空き時間や移動時間を使って、エンジニアのサミアが纏めたプラン案の分析をしていた。よくできているのだがすべての産業を対象にしたので、負となりかねない。「以降の課題」とすべきものと、「選挙にプラスになるもの」で区分けようとしていた。

モリが暫定管理者になっている警備システムのPCがアラーム音を出した。スマホもアラームを出しているので、双方のアラーム音を停止させる。2台のパトカーが近づいている。

当校への訪問予定客には入っていない。近所のパトロールかマンションに用事があるのだろうと思ったら、来客用駐車場の方に入ってゆく。パトカーから降りてきた中の一人が、モリが桃の木で柏手を打って脅かした男だった。

「警察が来ました。学校にはアポなしですが、知った顔が居るので私宛でしょう。警備室で話をしてきます」教頭に一言伝えると「お願いします」と返ってきた。

公安とのイザコザは警察がもみ消しており、公表されていない。学校にパトカーで来れば会えると判断したのだろう。ドローンがパトカーの到着を知らせるだろうし、県の教育委員会に確認すれば登校の授業の時間割が分かる。オレがフリーな時間帯だと知った上での来訪だろう。賞味30分程度の報告、もしくは警告か?

こんな方法でコンタクトをされても迷惑だな、と思いながら校舎を出て、校門前の警備室まで、ゆっくり走っていった。

(つづく)


いいなと思ったら応援しよう!