食事の仕方と私の結婚観


給食のメニューで好きなものを先に食べるか、それとも後に食べるか。私はもっぱら後者だ。


彼の一言

 以前お付き合いしてた彼から「あかりは結婚したら時間がなくなるから、今好きなことたくさんするんだって言うけど、それは違うと思うよ。結婚してもできるよ、大丈夫だよ。」と悲しげな表情で言われた。彼的にはあたしを想って言ってくれた言葉であるだろうから感謝しつつも、なんだか違和感があった記憶がある。彼は私が自由に楽しそうにしてる姿を好きになってくれた人だったから、彼女にそんなこと言われたら切なかったのかも。


違和感の原因

 何で違和感があったのか、後になってわかった。私は大事なものは後に取っとくタイプだ。給食の生玉ねぎ入りのポテトサラダとかセロリとか、苦手な味に好きな味を消されたくない。だから先にそういうものをちゃちゃっと食べてしまう。かつ、その苦手な味も時間をかけて克服し、美味しく食べてしまう。そうしていつでもどんな時でも、最後に少し残しておいたお肉や魚、味噌汁やくだものなんかの大好きなもの達を嗜む。ちなみに野菜や山菜なんかの青臭さやアク、薬味なんかも大好きだ。味の違いがアクセントになってそれぞれの味を引き立てるから。ご褒美の食材に行き着くまでの過程も楽しんでしまう、それがあたしなのだ。

 そう考えたら私は家庭に望んで入りたいと思ってるんだとわかった。結婚や育児、家庭を持つという事は人生の醍醐味であり、私が楽しみにしている事の一つなのだ。私は好きで家庭に入りたい。今はたっぷり自分の事をして、何年か先には家庭に思いっきり時間を費やしたい。生物学的に女性の体と心を持って生まれて生きている中で、結婚と出産と育児っていう幸せを、体いっぱいで感じたいんだ。職場での経験から子どもは手がかかることを知っている。それは手がかかる、いわゆる子供に時間を割くことを悪く捉えているのではない。必要なことであり、この上ない幸せが伴うのだ。嫌なのにやろうとしている訳じゃない。結婚しても子どもができても好きなことは可能な限りする。事実ちょっと時間が少なくなる事を私は言いたかったのだ。可哀想なことではないの、それを幸せと感じているの。今じゃないってだけで。

 彼にそんな風に言われるまで私は自分の考えに気がつかなかった。結婚して子どもを産む事が私にとって人生で大事な夢である事、それを楽しみにしている事に気付かせてくれたのはすごくありがたくて、本当に感謝している。それまでは自分でも知らなかった。



形は変化するけれど

 もちろんその形はわからない。社長や会社の重役になっていて結婚や出産してもその荷を下ろせないかもしれない。相手によってはそんなに収入がなくて私も働く必要があるかもしれない。そのどちらも必要なくて専業主婦になるかもしれない。むしろ仕事が好きで辞めたくないかもしれない。形はわからない。そんな形の事はどうでもよくて、大事なのは家族がいるという事なのだ。私を生み育ててくれた両親が保ち続けてくれたような愛する家族を、私も努力して築きたいという事。大事なのはそこなのだ。私が好きな事を続けようが続けまいがそんなのはどうでもいい、好きなようにするしなるようになる。それは人生を共にするパートナーと一緒に決めていく事。家族の形はいつだって変化していくのだから。


これから

 今までお付き合いした中で2人くらい結婚の話しが出たが別れに至ったのは、わたしがまだ結婚したいと思えていなかったからというのも一つの理由だろう。先に言った通り、自分の本当の願望に気付いていなかったのだから。本気になれていなかった、私が向き合うのが下手くそなのも事実。今は相手もいない。そして、恋愛・結婚に対してはまだ意欲が湧かない、今じゃない。そんな独り身の今はたくさん自分の好きな事をして、興味の赴くままに動き、たくさん経験してたくさん勉強する。そんな風に自分の為に生きる事で、いつか生まれる子どもの人生と自由を、めいっぱい応援してあげられる気がする。旦那の仕事や趣味や夢も心から応援したい。家庭と言え、個々だ。個々が自立し、生き生きとしてこそ健全な家庭と思いたい。理想かもしれないけれど、私はその努力がしたい。

 わたしは、好きな食べ物は後に取っておく。デザートに行き着くまでの食べる順番も、私なりのリズムで順番で食べ進め、最後の感動を増幅させる。私にとって人生もそれと一緒なのだ。











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