【随想】 飽きてきたときが伸びるとき
仕事とは何か。人それぞれに意見があるでしょうが、「他人のために働くこと」という言葉がいちばん違和感を感じません。「他人」というのが、目の前のお客様だったり、最終消費者だったり、直属の上司だったりするわけですが、「他人」が求めている物・事をキチンと提供すること。しかも笑顔で。
感性豊かで聡明なひとりの女性が、西洋文明の服作りに挑み、「他人」に喜ばれる衣装を手がけ、本場パリでも高い評価を得ました。しかし、「他人」のために創った服を、手放しで賞賛する「他人」ばかりではありません。示唆に富むエピソードを通じて「他人」のための仕事、という意味を考えさせられたものです。
ファッションデザイナー森英恵は、結婚した夫の実家が繊維会社を営んでいた縁で洋裁技術を学び始め、新宿にオーダーメードの洋装店を興します。日本映画界が全盛期の当時、「太陽の季節」「秋刀魚の味」など400を超える作品の衣装を手掛けて世に出ました。
1960年に入ると活動を海外にも広げ、ニューヨークやパリでコレクションを成功させます。世界のファッション界に大きな名声を築き、その後数多くの後進たちが世界へ出る先鞭をつけた、日本人デザイナーの先駆者でした。
そんな華々しい活躍を見せていたある日、パリで著名な服飾評論家が「マダム森はフランスのデザイナーよりフランス的な服を作る」と評しました。褒め言葉と思いきや、続けて「マダム森、あなたは何のためにここにいるの?」と問うたそうです。
森は返答に詰まり、ここから日本の感性を西洋の洋服に取り入れながら、森英恵にしかできないオリジナルな洋服づくりへ踏み出したそうです。
森英恵は2022年8月に96歳の長寿を全うしました。世界的デザイナーの訃報は報道各社で大きく報じられ、ニュース番組のなかでは数々の代表的なコレクションとともに、生前のインタビューが紹介されました。
「地道に、ていねいに」コツコツと目の前の仕事に取り組めば、いずれは慣れてきます。何だか「仕事に飽きてきたな」と思うくらいに慣れてきたら、慣れた仕事を否定し、違う切り口に挑んでみる。「この次はもっといいものを」という気持ちを原動力にして、「他人」に向けて働き続けると、違う風景が見えてくるはずです。
そして「他人のために」とは決して他人におもねることではない。真似てばかりいるのでもない。自分のルーツの上に立って、「らしさ」を見失わないで創造すること。パリで若き森英恵に鋭い言葉を投げかけた服飾評論家が言いたかったのは、こういうことではないでしょうか。
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