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『 メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』②
こちらの記事の続きです。
推測は推測
メンタライゼーションについて前回こう説明しました。
自分には心(欲求・感情・信念)があると理解できる。自分の心に適切な言葉をあてられるようになること。これは他人に対しても同じ。他の人にも心があると理解できる。そして他の人の心に適切な言葉をあてられるようになること。それに加えて…推測はあくまでも推測にすぎず、事実とは限らないということ。このことを自分に対しても他人に対しても理解できること。
「推測は推測にすぎない、そして事実とは限らない」。そこのところの理解を深めるのにちょうど良いと思われる語句を今日知ったのでそこを絡めて説明してみます。
ナイーブリアリズム
自分が他の人とは違い、世界をごく客観的に、偏見なしに見ていると考えている状態のこと
この傾向がある人は以下のような問題を起こす可能性があります。
相手の視点や感情を無視したり、自分の考えを押し付けたりすることで、コミュニケーションの障害や対立を招く。
自分の判断や行動に対して客観的なフィードバックを受け入れられなかったり、自己批判や自己改善ができなかったりすることで、成長の機会を逃す。
他人の意見や行動に対して過度に否定的や疑い深い態度をとったり、自分に対して過度に肯定的や甘い態度をとったりすることで、現実から乖離した認識を持つ。
ナイーブリアリズムはメンタライゼーションの障害となります。なぜなら、自分の視点が正しいと思い込んでしまうため、他者の視点や感情を理解しようとしなくなるからです。「推測は推測」と理解するための第一歩はナイーブリアリズムの克服をするところから始まると言えそうです。「他者の他者性」を大事にすると言い換えられるかもしれません。
ナイーブリアリズムという概念を知って「推測は推測」についての理解が進んだので今回noteにしてみました。今回はここまでです。
おわりに
最後まで読んでいただきありがとうございました。今回のnoteを読んで皆さまの「スキ」やフォローいただけたら励ましになりますし、とても嬉しいです。応援してもらえるよう、がんばります。
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