ないものはないと、受け入れる

こんばんは。

今日のテーマは、自己受容について。

日本人は、世界の中で自己肯定が低いといわれ、親になり、自己肯定を高める子育てを意識してきたんですが、大人には自己肯定よりも自己受容のほうが、ラクに生きれるのではと感じるようになりました。

まだ、ちゃんとnoteで自己紹介できていないのですが、私は、まぁまぁハードな環境で会社員をしてました。
ずーーーっと背伸びしてる状態で、目標という数字を追いかけていたので、目標達成しても嬉しいというより安堵というのが率直な感情でした。
結果を出し続けないと自分の価値がないという勝手な思い込みにどっぷりハマっていたのですが、それが自己肯定が低いということにも、気づいておらず、独立した時に気づき、ハッとしました。
自分が自己肯定が低いと気づいてなかったので、自己肯定UPプログラムを企画してたんです。自分でもビックリ。
昔から、他己分析はかなり得意で自己分析がすごく苦手。。。
メタ認知できてない自分に、苦笑い。

本末転倒なんですが、いったん立ち止まって、まず自分の自己肯定あげないとと、内観する日々がはじまったんです。かれこれ3年。。。

そこで、気づいたのは、自己肯定は、第三者との比較によって生まれるものではないということ。

子供は、経験や比較する対象が大人に比べ、圧倒的に少ない為、「できた!」「できる!」という体験、経験が、次の一歩を踏み出すバネになり、自分に克つ土台ができあがると感じてます。自己肯定感を身につけることがすごく大事な時期だと思います。

一方、経験や情報も多く、常に比較の世界にいる大人は、圧倒的にすごい人と出会った時や、中長期で高いことを要望されるなど、少し先の視点をみた時に、今の自分とのGAPが見えてしまうと、チカラが足りてないと感じる機会が多いんだろうと、察します。
私も同じ感覚がありました。
いまは、インポスター症候群とよばれるほど、自己肯定できない人というのが一定数いるそうですね。

周囲の期待が責任に変わり、期待に応えられないと自分を責め、自己肯定が低くなるというループは、特に働く女性で多く感じるところですが、本当に大事なのは、自己肯定よりも、自己受容なのではと思ってます。

すごい自分を見つけ出し、自分そのものでいいのだと思える人は、そもそも自己肯定が高い。
自己肯定が低いと感じてる人に、ありのままでいいんだと言葉を投げかけても、心のどこかで認められないところがでてくるのではないかと思う。それは、決して悪いことではなく、プロフェッショナルな意識が高い人ほど、自分に課しているものだと感じるからだ。

年齢を重ねるごとに、硬い鎧を身につけてた私は、少しずつ開放し、気分は羽衣くらいになりました。
ないものはない、できないことはできない、と笑顔で伝えることにより、より人間味をだせて、仕事をさせてもらってます。

鬼滅ブームですが、ワンピースのジンベエがルフィに言った言葉。

失った物ばかり数えるな!!!無いものは無い!!!確認せい!!お前にまだ残っておるものは何じゃ!!!

ないものはないと受入れ、ダメなところもさらけ出す。なかなか難しいけれど、魅力や度量ってこういうところに醸しだされるのかなと、ぼんやり思ってます。

今日に感謝。
ご縁に感謝。

いつも応援してくださりありがとうございます。 サポートしていただけるととっても嬉しいです。