人間の育成
□景色
内村鑑三自身は、教育事業では失敗者だった。しかし、国家、文部省のもとで機械のような人間のみを生産しようとしていた国家教育へ抗する内村の教育の夢は、変陬の長野県東穂高にある井口喜源治の研成義塾、山形県小国では鈴木弼美の基督教独立学園において、中央の国家教育から精神的にも物理的にも距離のあった地に開設され結実した。
また内村の門に参集した青年たち(南原繁、天野貞祐、森戸辰男、矢内原忠雄ら)は、太平洋戦争後に文部大臣、大学総長など教育界の要職に就き、かつて内村を苦しめた教育勅語に代わる教育基本法を制定するなど、戦後日本の教育の舵取りとして大きな役割を果たした。
□本
「人間の教育」 『道をひらく—内村鑑三のことば—』
鈴木範久 NHK出版 2014年
□要約
私どもは、クラスに分けて教えられることもなかった。魂をもつ人間をオーストラリアの牧場の羊のようにクラスに分けるようなことは、昔の学校ではみられなかった。人間は分類してまとめることのできないもの、一人一人、つまり顔と顔、魂と魂とをあわせて扱われなくてはならない、と教師は信じていたように私には思われるのだ。それだから教師は、私どもを一人一人、それぞれの持つ肉体的、知的、霊的な特性に従って教えたのである。教師は私共の名をそれぞれ把握していたのである。ロバと馬とが決して同じ引き具を着けられることはなかったので、ロバが叩きのめされて愚かになる恐れもなければ、馬が駆使されるあまり秀才の早死に終わる心配もなかった。(『代表的日本人』)
日本の近代教育を一人一人の個性に配慮せず生徒を「牧場の羊のように」管理し詰め込み教育を行うもの、中江藤樹の教育を一人一人に向き合うだけでなく生徒たちの霊性に配慮したものと、内村は見ていた。
実際に、名古屋英和学校で内村は教育方針を立てて
一、週に一度の校外学習
二、服装を正すしつけ
三、「祈りつつ学び、感謝しつつ働く」ことを目指す
(「内村鑑三の教育精神」 藤巻孝之)
郊外に教え子たちを連れ出し自然を対象として自由に質問を受ける授業を展開し、校内に農園を設けみずから率先して額に汗して働き、生徒一人一人の能力を引き出すこと、視野を広く、労働を貴び、宗教的精神に富んだ人間の育成につとめた。
余は君が又々入学試験に落第したりと聞き君に対し深き同情に堪えない、余は君が又々勇気を鼓し、更らに再びここ見られんことを望む。
然れども余の茲に一言の君に告ぐべきがある、其れは君が入学試験の失敗を以て人生の失敗と看做さゞらんことである、学校は成功に達するの唯一の途ではない、人生は広くある、成功に達するの途は多くある、世には学校を通らずして人生の成功を遂げた人が沢山にある、然るを此事を忘れて、学校を通らずしては有為の人となるに能はずと想ひ、入学試験に落第せしが故に人生に於て落第せしが如くに思ふ、誤謬之より大なるはない、・・・
見給へ、今の所謂る学士又は博士なる者を、彼等は果して羨むべき者なる乎、余の見る所を以てすれば彼等は高等の奴隷たるに過ぎない、彼等は高等教育を受けしが故に独り立つことの出来ない人となつた、彼等は政府か又は教会か又は会社か富豪に頼らざれば単独で此世に立つことが出来ない、彼等の学問は彼等を縛る強き縄である、彼等は之れがあるが故に、信ずる事をも語る能はず、思ふことをも為す能はず、黙し忍びて其地位を保つのである、(「落第生を慰むるの辞」)
内村の教育の目的は、自由と独立の精神の育成であった。