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教育とは何か

 □景色
占領下(1948)の教育論

教育学はつまらない。教育が人々の生活から遊離しているためだ。政治の必要、経済の必要、あるいは文化の必要をどういう工合にうまく人間化するか、主体化するか。その工合と方法が本来の教育である。

明治以来、日本教育の最大欠陥として形式主義がある。絶対主義官僚支配の教育で勅令以下の命令によって行われ、文部大臣以下地方視学にいたる官僚的ヒエラルヒーによってがんじがらめに縛られ、明治以来半世紀余を通じてやってきて骨身に滲みこんでいる。

形式主義は教師たち、子どもたち、親たちの生活の経済破綻と結びつき、学校教育を底知れずの頽廃のなかにみちびきつつある。教育の危機はここに深く根ざしている。

□本

「教育の反省」『丸山眞男 座談 1』
宮原誠一×丸山眞男 岩波書店
*話し役宮原を中心として構成

□要約
子どもたちは将来私たちの社会において必ずなんらかの職能的活動を営むという前提に立つと、すべての教育は職業が目的となる。人間教育すなわち職業教育。しかし、一般教養たる義務教育はアカデミックな人文教養で特殊な職業にかたよらず、すべての職業から遊離する。

そのため、現在私たちの社会において見込まれる主要な職業活動の全体に共通して必要とされるミニマム・エッセンシャルを押さえたい。工業の主要な諸部門の科学技術的水準の向上、農業及び水産業の近代化・科学化、私たちはあらゆる主要な生産的職業を通じてミニマムな必要を測定することができるはずで、これを基準とする一般教養を義務教育にしたい。

資本主義の高度化にともない社会的分業が押し進められていく。分業が徹底的に進められると人間のタイプが部分人になり、機械の歯車としてのみ発展する。人間的な全体性や綜合性が破壊されてくる。人間的な全体性の回復は、資本主義的分業とこれに奉仕する職業教育のもとにおいては全く不可能なことである。

根本的にヒューマニティと職業的なものとは分裂している。デューイのいうことのうちにも、資本主義的経済制度に根本的な原因があるものを、そこにおける基本的な人間関係には一指も触れないで、教育だけの問題として解決しようとする空しさがうかがわれる。従来の分業の秩序を破ることを考えねばならない。

教育とは政治の教育化、経済の教育化、文化の教育化のことであって、それ以外の何ものでもない。基本的領域の必要を人間的な主体的な力に仕立ててゆく過程、これが教育である。

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