論難あるから聖賢の思いが見える。
福廣坊さんのツイート
パブロフさんの論難が、今の「神道」に至る歴史の経路の説明を引き出したように思える。
「天皇」号は、ほぼ明治以降で、幕末寸前くらいに復興だし。光孝天皇くらいかな・・
もともとは「大王」だし。
あと「日本書紀」など、普通の日本人は読めない。坊さんくらいだろう。識字率もあるしな。
「古事記」は、江戸時代の本居宣長が、なんとか読み方を見つけて読めたって代物。
神道って神祇信仰はあったけど、今の形の「神道」は、かなり「急ごしらえの新参者」って面が大きい。
だからこそ、平田神道に、維新以降のバチカンなり「神智学~ネオキリスト教」による、魔改造の入る余地があって、「国家神道」って化け物になったとみて、無難と思う。
お読みくださりありがとうございます。
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