工作員も、腕を上げてくる。でもそれは「裏の権力」の真相を我々に露にしてくれる。
上記文抜粋・・・・・・・・・・
ツイートまとめ テーマ:国内裏権力派閥の勢力図を徹底解析。思想工作攻勢は常に局面が変化する。カルトが「大本批判」に“大量参入”。もはや「大本批判」のみでは「本物」を見極める試金石とは言えなくなった。
〇また怪しい工作員が出てきた。全部触れている。「暴くぞよ」という「ぞよ」が大本教系臭い。何気ない言葉の表現に正体が表れたりする。「日数計算」とかいう数秘術等の「数」にまつわる形而上学を前提とする時点でオカルト系工作員だと推察される。
「ぶっちゃけ、この人もそう。素人じゃない人を誘導する役割を担ってるのだ。ローマ教皇、天皇、イギリス王室やらも触れずに・・・
見ていて呆れますよ?
ズバリ、工作員の弱点は日数換算!なぜ、それをやらないの?」
※カッコ内は工作員の発言。以下同様。
〇ローマカトリック・皇室(宮中や宮内庁関係者も含む)・英国王室は国内では密接な関係があるが、この人脈と両建を為すのが大東社系(仏蘭西系石屋)の人脈。批判対象の限定は正体を探る為の重要なヒントになる。この「秘密博士」氏は大東社には一言も触れてないので、その方面の工作員の可能性があり。
〇なるほど、「監視」してきたんですね(笑)まるで工作員の物言いですね。前にも1年近くも監視していたらしいのがいました。ボロが出ましたね。監視用工作員アカウントの分際でその物言いはおこがましいのではないか。恥を知るべきであろう。
「ほう、こういう風に噛み付いてきましたね。
この大馬鹿野郎が!おかげで、情報が撹乱されてるんだよ怒りマーク怒りマーク怒りマーク怒りマーク怒りマーク
あなたそれでNWOを防げた実績あったんですか?ただの自己満でしょうが?今までずっと監視してきましたけど。」
〇「秘密博士」氏は統一協会系にも一切触れていない。限定された批判対象の特徴から見て、朝鮮半島系カルトグループの可能性も否定出来ない。
〇案の定、思考が裏権力側に取り込まれている。「この世は数字で決まっている」なら「NWOは不可避」となってしまう。終末論と同じ。決定論は裏権力工作員がよく使う思想ツールの一つ。「秘密博士」氏は陰謀追及に見せかけて思想ツールで思考誘導する陰謀追及者ならぬ陰謀宣伝者の類だとはっきりした。
〇「無視した方がよい」「ブロックを推奨」というご意見もある(正しい)が、工作員の性質によっては相手をする事により思想工作の手口やカラクリを暴き、実例として示せるので継続している。とは言え、普通は時間の無駄。こういう「役割」は一人で十分。自分を陰謀追及界隈の「避雷針」と心得ている(笑)
〇裏権力の連中は明らかに数字のシンボリズムを好んでいるので、事象が起きた日付などの「数」に着目する事は陰謀追及上有意義であるが、それだけに執着して視野狭窄になるのは本末転倒である。「全てが数で決まる」という形而上学的な決定論を盲信すると、「NWOは不可避」と陰謀に加担する羽目になる。
〇「全ての事象の生起は予め数で決められている」とする世界観は終末論やメシア思想と同じく決定論の一種である。決定論は思想ツールとして採用される事が多い。「必ずこうなる」と言って計画の実行を援護するのである。2012年の「予言」が典型。陰謀追及と見せかけて陰謀を援護する陰謀宣伝者に要注意。
〇陰謀宣伝者は陰謀追及をしている風の論調と裏権力側の目線に立った陰謀宣伝の論調を微妙に使い分ける。前者を見て陰謀追及者かと思ったら、後者によっていつの間にか思考誘導されている..というパターンが多い。これはある程度分析力の鍛錬を積まないと見極めるのが難しい。初心者が陥り易い罠である。
〇陰謀追及風の論調と陰謀宣伝の論調の使い分けはボクサーが右構えと左構えを使い分ける「スイッチ」に似てない事もない。陰謀宣伝者は「陰謀追及」と「陰謀宣伝」のスイッチを使う。上級工作員ほどスイッチが巧みで、前者で取り込み、微妙に後者にスライドさせていき、最後は完全に後者にスイッチする。
〇余程鍛えた追及者でないと、この微妙なスライドを見破る事が難しい。陰謀宣伝者にとって「陰謀追及」(風の論調)は問題意識がある人を釣る為のエサ。「陰謀宣伝」にこそ真の狙いがある。「陰謀宣伝」とは、裏権力側の広報活動である。計画を部分的に暴露するなどして刷り込み受け入れさせようとする。
〇陰謀宣伝は「都市伝説」などの体裁で公共の電波まで使って大々的に行なわれている。カルトが陰謀情報を餌にして布教を行なう手口も陰謀宣伝の一種と考えてよいだろう。せっかく問題意識に目覚めても、こういう罠が無数に張り巡らされて為に絡め取られてしまう人が後を絶たない。故に注意を促しておく。
〇思想を分析する事と思想を信じる事の峻別が出来ていないと取り込まれる恐れがある。裏権力側の思想を分析している内に思考が同化して取り込まれるパターンである。例えば、数のシンボリズムを分析している内に己自身が数のシンボルを信じるに至る場合などである。思考の軸がないとこうなる危険がある。
〇宗教を信じる事と宗教を研究する事は異なる。宗教信者と宗教学者の違いである。思想分析も同じである。裏権力側の思想ツールを分析する事は重要な作業だが、分析者自身が思想ツールを信じてしまっては元も子もない。耐性が無いとこうなる危険性がある。独立的思考が未確立の者の思想分析は危険を伴う。
〇㊙博士氏は最初大本教系か大東社系かと思ったが、過去ツイを見ると大本教に批判的に言及していたし(大本系の団体は多数あるのでこれだけでは否定できないが)、大東社系にしてはオカルチック過ぎて啓蒙主義的な所が全くない。そこで朝鮮半島系の基督教風カルトや基督教原理主義系だと当たりを付けた。
〇まず㊙博士氏は統一協会系への批判は一切していない事が挙げられる。次にフォロー欄。フォロー欄は私のようにフォローを頂いたら割と簡単にすんなり返すタイプとは違い、フォロー数が少ない場合はフォロー先を厳選している可能性が高い。その場合はフォロー欄は思想を分析する重要なヒントになり得る。
〇㊙博士氏のフォロー欄を見ると、フォロー先のアカウントには「聖書」や「フラットアース」などの文字が。これにより、先程の読みが当たっている可能性が高い事が分かった。プロテスタント系の基督教原理主義や朝鮮半島系のプロテスタント基督教風カルトの派閥だとすると「ローマ教皇」敵視と符合する。
〇㊙氏は大本批判をしていた。最近はカルトが旧大本批判に「背乗り」してきているので注意。旧大本系と両建をなす旧統一協会系が大本批判をしていると見ている。もはや「大本系を批判している」というだけでは「カルトではない」証明にはならない。カルトは全て両建同根。両建を意識してないと騙される。
〇旧大本教系はオカルト界隈や陰謀追及界で大きな影響力を持っているのは確かだが、近年では大本教批判言説が増えてきた。が、今度は旧大本教批判言説にカルトが「背乗り」を始めた。以前から申しているように「統一VS大本」両建構造がある。カルトの「大本批判」は両建抗争。これが最近の傾向である。
〇どんなに優れた言説も途中でカルトが背乗りして乗っ取り主導権を握ろうとする。その結果「悪貨が良貨を駆逐する」事態に陥る。カルトが「大本批判」に大量参入し出した以上、もはや「大本批判」するだけで「本物」の証であるとは言えなくなった。今はそういう局面なのである。次々に新手が出てくる。
〇最近はもろにカルトな怪しい連中までが「大本批判」に“大量参入”している。「統一VS大本」両建構造からして、前者が後者に対して両建抗争を仕掛けている構図の可能性が高い。あらゆる新興宗教の両建同根性を認識すべきである。そうする事で各裏権力派閥の両建抗争に取り込まれる危険を防ぐ事が出来る。
〇これが両建を指摘する陰謀追及者が全方位的に敵視される理由である。両建を知っているだけで、次々に現れる新手の手口の一切を無効化する事すら可能だからである。これをやられたら裏権力工作員としてはたまったものではないという事だろう。それ故に工作員共は判で押した如く両建批判を揶揄してくる。
〇大抵の工作員は「両建、両建ばかり言う」みたいな揶揄をしてくる。両建同根性を踏まえておくだけで、これまでに出現したあらゆる派閥は勿論、これから出現予定の新手に至るまでを全て「両建」の一言で解析する事が出来る。これ程に強力なのだから工作員共が両建批判者を目の敵にするのも無理はない。
〇もはや「大本批判をしているから本物」とは速断しないようにされたし。自称グノ一味は私があたかも大本批判一辺倒のように思い込んでいたが、それは彼らが大本に特別な思入れがある為にそう思い込んでいるに過ぎない。実際には大本批判は陰謀追及のごく一部。両建構造の全体を見ないと罠に嵌められる。
〇「これから出現予定の新手に至るまでを全て「両建」の一言で解析する事が出来る」はハッタリに非ず。実例をお見せする。以前「思想的地図シリーズ」というブログ記事を書いた事があるが、そこで大抵の裏権力派閥に言及した。その中に㊙博士氏の派閥も言及している。当時は無論、㊙氏など知る由もない。
〇裏権力の全派閥の思想的地図を描く「思想的地図」シリーズ。以下の記事のどこかに大抵の工作員の派閥は網羅しているはず。
①https://kokuhiken.exblog.jp/30622601/
②https://kokuhiken.exblog.jp/30676317/
③https://kokuhiken.exblog.jp/30697412/
〇新手が出ても既存の思想ツールに少し手を加えただけで大枠は変わっていない。大抵は①~③の記事の中のどこかで言及した派閥に属しているはずである。これは観察と分析から得られた予測に過ぎない。「未来の新手を事前に破る」と言っても別に凄い事ではない。全ての派閥を片端から列挙するだけである。
〇日数計算云々と数のシンボルを分析し、それを一参考資料にする事自体は何も否定していない。だが、それだけに凝り固まって視野狭窄に陥り「数で全てが決まっている」などという世界観に執着するのはカルト以外の何物でもないと言っているだけである。特定の世界観に執着し絶対視するのがカルトの特徴。
〇「日数計算をしてないから工作員」という決めつけ自体が特定のドグマに執着する工作員の言動である。自分のやっている事だけに価値を見出し、それ以外は無価値だと決めつけたがるのは自己愛の表れである。自己愛が肥大化して独善的になり、カルト化するパターン。その為の媒体が各種思想ツールである。
〇一個人が全てを研究する事は難しい。だから情報を持ち寄って協力し合えばよいだけである。自分のしている事だけが全てだと思いたいエゴがあると、そういった協力が難しくむしろ分断に加担する事になる。寛容さがまるでないのがカルトの特徴。カルトは独善的で不寛容なのでカルトか否かはすぐに分かる。
〇㊙博士自体はどうでもよい(失礼)のだが、最近の新手の思想工作のパターンを網羅的に指摘するよい機会と思い叩き台にさせてもらった。繰り返しになるが、「カルトが大本批判に参入」というのが最近の思想工作の傾向である。これまであまり明確に指摘されてないと思うので、注意を促しておく事にした。
〇戦前の陰謀研究家が大本批判をしていた。吾人の大本分析は戦前系の文献を見たのがきっかけ。戦後の某陰謀研究家も出口王仁三郎を「宗教ペテン師」とまで口を極めて罵倒していた。が、ネットでは別の枠組みで大本批判言説が台頭した模様。最近はそこにカルトが大量に背乗りしてきたという段階である。
〇もうこうなると、単純に「大本批判していれば本物」などとは言えなくなる。批判の中身も重要だし、批判対象が限定されて全体像を見失うのも危うい。両建を認識しておかないと特定のカルトに取り込まれる危険性もある。カルト同士は両建の関係。商売敵でもあるのでカルトが別のカルトを叩く事もあろう。
〇「大本批判へのカルトの大量参入」が最新の思想工作の傾向である。「大本批判に参入」しているは、旧統一協会系の可能性が高い。陰謀情報(CIAが「陰謀論」と決めつける)は元来は大本系のテリトリーだが、トランプ政権以後は統一系が新たに「参入」している。これと連動している可能性も想定出来る。
〇思想工作の局面は常に変化している。変化が出てきたらすぐさま把握しておくべきである。そうしないと、次から次に生じる新手に絡め取られてしまう危険がある。思想工作員共の工作の傾向が明らかに新局面に入っている。他の重要問題があるので指摘する機会がなかったが、やっと機会が得られてよかった。
〇工作員とのバトルは自分の思考を引き出すきっかけになる。バトルを通じてたくさんの思考・考察を引き出す事が出来る。それを一気に書き連ねる。そして後日ブログ記事にまとめる。それを読んで下さる方が考えるヒントになれば幸いである。個人的には工作員とのバトルはよい事尽くしの場合が多い(笑)
〇個人的には工作員とのバトルはメリットの方が多い場合が多いが、逆に言うと工作員側からしたら手を出すとろくな事がないと言えるかもしれない。思考や考察を引き出した上に、何倍にもなって返って来るので、厄介な輩と思われている可能性はある(笑)彼らの嫌い方憎み方が異常なのもそれで説明がつく。
〇工作員の揶揄の定番は「両建、両建ばっかり言う人」というものである(笑)何度言われたか分からない(笑)ほぼこればかり言われる。という事は、やはりここが彼らにとっての急所という事だと思われる。本当に判で押したようにそればかり言ってくる。「両建」なる語は吾人の発明でも専売特許でもない。
〇思想工作は(非常に悪い意味で)“日進月歩”なので、思想工作との戦いはイタチごっこに似ている所がある。ある時点での構図理解が通用しなくなる事も多い。カルトが“大本批判”に“大量参入”し背乗りしてきたのもその一例である。もはや「大本批判」だけでは本物を見極める為の試金石とは言えなくなった。
〇元来は旧大本系のテリトリーだった陰謀情報に似非保守=旧統一協会系が“参入”し出したのも然りである。これが「カルトによる大本批判への大量参入」と連動している可能性もあると分析する。裏権力人脈は外部に対しては結束しても、内部では両建抗争を繰り返し勢力図が微妙に変化する場合も多いと見る。
〇ここで「陰謀情報」と言っているのはメディアなどが「陰謀論」と罵倒する真実追及の分野である。裏権力組織が陰謀情報に関与するのは思想工作の為であって「追及」の為ではないので「陰謀追及」とは称しない。要するに「紐付き」陰謀情報。陰謀追及者を幻惑する思想的罠を仕掛ける「陰謀宣伝」である。
〇敵は常に変化しているので思考を柔軟に保たないと対応できない。ある時点の構図理解を絶対視すると敵側の変化を正確に捉える事が難しくなる。追及者は自分の構図理解こそが最高だという自負を持っている事も多く、特に功名心や自己顕示欲が強いタイプは一旦構築した見立てに執着し柔軟性が失われがち。
〇国内の裏権力派閥は①旧統一協会系②旧大本教系③大東社系の三大勢力に分かれていると分析する。この三大派閥がパイを争っている形である。保守ビジネス業界の有名な論客はほぼ全員①。陰謀情報を語る事で生活しているプロの陰謀宣伝者の殆どは②。「左翼」「リベラル」と目されている勢力の大半は③。
〇自公連立政権で分かるように創価学会は①の陣営である。だが、②との関係も見え隠れし(出口王仁三郎と牧口常三郎が親戚だという説がある事や新右翼団体の賛同者の中に創価学会幹部が名を連ねていたりなど)、最近は一部信者が③と共闘するケースも見られる(公明党以外の野党候補として立候補など)。
〇日本会議系の新興宗教や幸福の科学は①に分類される。だが、幸福の科学は神智学系の新興宗教なので思想的には②との関連性もある。大本教の教義を実質的に作ったとされる浅野和三郎は海軍機関学校での同僚の英国人(フリーメイソン)の影響で神智学の影響を受けていた。生長の家は右派が①、本家が②。
〇基督教は明治以来、上流階級を中心に浸透したカトリックと、在野の少壮知識人を中心に広まったプロテスタントの両建構造があると見る。宮中・宮内省関係など皇室周辺にはカトリックが多い。①の親米保守の有名人にはカトリックが多く、左翼陣営の中にはプロテスタント系が目立つ(例:西早稲田界隈)
〇このように国内の主だった政治勢力・宗教団体は殆どが①~③に分類する事が出来る。例外はほぼないと言ってよい。①~③が思想的・人脈的に被ったり横断する場合は多いが、基本的にこの三つの範疇から出る事はない。例えば、②が仕切る陰謀宣伝に①が参入し、この点では①と②の境界が曖昧になった。
〇創価は基本的には①だが、場合によっては②にシフトする可能性もある鵺的勢力だと見る。欧州メーソンのクーデンホーフ=カレルギーは池田大作と昵懇の仲だったそうである。欧州メーソンに近いのは②。似非保守が売国を擁護する時に使う「是々非々」という言葉はまさに創価公明の政治スタンスそのもの。
〇「是々非々」とか言う似非保守は創価信者ではと妄想する。①の内部で統一と創価で両建抗争を行なう場合もある。例えば、似非保守は表面的には創価批判をする事があるが、安倍や菅の創価学会との関係は無視する。創価はとにかく頭数が多いので、①の陣営では実働部隊として重宝しているのだと思われる。
〇個人的な「独断と偏見」にて①~③の特徴をそれぞれ一言で表してみる。①は「俗悪」。②は「奇怪」。③は「独善」。①のビジネス保守らは天下国家を語るがどうにも低俗で卑しい感じがする。②はオカルトをテリトリーとするのもあり不気味さがある。③は「正義」の名による集団リンチを好むなど独善的。
〇フリーメイソンだと、英米系が①と②・仏蘭西系が③に分類出来る。猶太との関係は、①は「私達の心はイスラエルと共に」などという妄言で分かるように親シオニスト親イスラエル、②は日猶同祖論の元締め、③の系列である赤化革命家には歴史的に猶太人が多い。世界連邦運動に関しては①~③全てが賛同。
〇このように、ありとらゆる観点・切り口で分類・分析する事が可能である。①~③の内部の関係性や組成は変化するかもしれないが、①~③の大枠は今後も変わる事はないと見る。よって、新手が出たら①~③の範疇を基準にして、どの陣営に分類されるかを分析すれば、自ずと正体は明らかになると思われる。
〇両建構造は国や地域ごとの歴史的背景を反映する場合も多い。例えば、プロテスタントと大東社系左翼の関係。欧米では両者は対立関係にある事も多いが、日本では政治的に同じ陣営に属している場合も多い。明治時代にプロテスタントと啓蒙主義が同時に入ってきたという歴史的事情を反映していると見る。
〇日本では明治時代にプロテスタントと啓蒙主義が同時に流入してきたので、両方共「文明開化」思想と受け取られた。基督教と啓蒙主義の思想的対立が西欧の如くには強く意識されないで同じ「舶来物」という事で欧化主義者が両方歓迎したという事情である。これがプロテと大東社系の関係に反映したと見る。
〇社会主義に関しても無神論的なマルクス主義の前には有神論的な基督教社会主義が流行した。幸徳秋水は「基督抹殺論」という書を書いて基督教を批判したが、これは西欧の神智学者の所論の影響を受けており、我が国江戸時代初期の排耶書とは違って日本人独自の自生的な基督教批判書とは言い難い面がある。
〇具体的には、秋水の「基督抹殺論」は神智学協会二代目会長アニー・ベサントの影響を受けていると指摘されている。となると、神智学も既に流入していた事になる。このように、近代日本では基督教・啓蒙主義・西洋神秘主義(神智学の如き)が同時流入したので、西欧とは両建の組成が若干違う場合がある。
〇その一例が大東社系左翼陣営の中にプロテスタント系の活動家が多く見られる事である(ここに基督教が盛んな朝鮮半島からの影響などが関わってくると見る)。近代日本の欧化主義者の中では基督教と啓蒙主義の対立関係は殆ど意識されず、共に「舶来物」として憧憬や崇拝の対象となる..という歴史的背景。
〇逆に、カトリック系は①の「親米保守」陣営の有力者の中によく見られる。例えば、「世界日報」に登場するなど旧統一協会との密接な関係が指摘されている自民党議員やロックフェラーが主導する三極委員会の日本側責任者だった人物等が挙げられる。この陣営の元締めCSISは元々イエズス会系の組織である。
〇①はイデオロギー的にはネオコンでネオリベ。この2つの主義は密接不可分。「私達(※私達とは誰?)の心はイスラエルと共にあります」と書いた清和会系議員がかつてパソナの代表補佐だった事が端的にそれを証する。親シオニスト=ネオコンは経済分野ではネオリベ。今政府を押さえているのはこの勢力。
〇「心は〇〇と共にあります」という表現は欧米の有力者や著名人、俗悪な言葉で言う“せれぶ”が使う表現の翻訳語に見える。自然な日本語表現には見えない。パレスチナ人には非道な地上げで土地を奪った暴力団に立ち退きを要求する権利がある。この暴力団は自らのシマではカード一枚で“選別”を行っている。
〇サタニズム的なシンボリックなマスクと露骨なハンドサインで写真に写っているレディー・ガガだが、「My heart is with you 」という表現を使っている。これの翻訳が「私の心は皆さんと共にあります」。「心はイスラエルと共にあります」はこういう表現の真似臭い。https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/94636/2
〇「大東社系左翼陣営の中にプロテスタント系の活動家が多く見られる」と書いたが、NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」はまさに「この陣営」の物語だと言える。主人公のモデルは基督教文筆家協会初代会長・村岡花子で、銀座教文館、新人会創設メンバーの宮崎龍介、宮崎の妻・柳原白蓮などが登場する。
〇銀座教文館は基督教系の出版社で、戦前にビル内にフリーメイソンのロッジがあったという戦前の陰謀研究家の記述を見た記憶がある。新人会は東京帝大内の思想団体で、当時は最新のイデオロギーだったマルクス主義を広めた。白蓮と恋愛事件を起こした宮崎龍介は孫文の支援者だった宮崎滔天の息子である。
https://twitter.com/kikuchi_8/status/1394360969128644610
(了)
・・・・・・・・・抜粋終わり
>③大東社系
>「左翼」「リベラル」と目されている勢力の大半は③。
リベラル派のほとんどと、フェミがこの系統の「工作員」とみていい。
それでないから冷や飯を食ってる人や・それに気がついて逃げ出した人らもいるけど、まあ世上の「セレブ」なり「地位が有る」のはこれだろう。
>②旧大本教系
スピリチュアル・神智学は、ほぼこれだ。
神智学など、南方熊楠にいわせたら「青森のイタコの一種」に過ぎない。
道理を知れば、シュタイナーも「遠巻きにしてつまみ食い」にしかできないは。
目が覚めると、儒仏で行くだろうな。