魂の有無は知らんが・・・・情報系の素体としての「人間」なり「物質」
上記文抜粋
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お寺の跡取りムスコで
加行、灌頂終えた後にもかかわらず
G冊、クビ🌲ツリーが一定数います
そうゆうやつに限って趣味が車だったりと盆暗ばかり…
学院でても施餓鬼の施の字もわからない😱😰
理由は簡単
教える側や監督も霊魂の存在を否定してただ作法だけ教えるから…
密教は霊魂に対して引導を渡す…
あべこべなあーちゃりー😣ばかり
別に霊感が必要という訳でなく
ただただ如来の加持力を仰ぎ拝むのみです🙏
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抜粋終わり
私は、魂の有無がわかるほどに、徳も無いし、賢くも無い。
ただ、アホながら、多少の仮説は ある。
まずは「人間やモノは、情報の塊である」
てこと。
空海は、即身成仏義で「六大」といって、モノと心{識}が仏の構成要素~しいてはモノの構成要素~と言っている。
また、華厳経とかでは「帝網重々」とかいい、情報とかが、網目のようにモノ・コトに張り巡らされている。
漢方・中医でいう「経絡」は、身体内の心身の情報網とも言いえる。
現代の物理学とかでは「複雑系」とかいって、モノの複雑な絡み合いや交錯をみているようだ。「バタフライエフェクト」とか言ってね。
仮に一個の人間がパソコンなりスマホで、それにネットが繋がっている・みたいに考える。
で「死」は、パソコン・スマホが壊れて、使えない・・みたいなことだ。
でも、パソコン・スマホは、その情報をサルベージして同じモノはできなくても、ネット上での「同様なモノ」として復旧できる。
で、生きている「人間」は、その生の世界~人間の認識できる世界以外にも、無限の情報網が、世界・宇宙に張り巡らされて、その情報が認識され、また保存されている{これは唯識に近いかな?}
仮に「パソコン」でAのネット機能が死んでも、Bの別のインターネットにつながる機能が生きていたら、それはその情報は機能し続けているわけだ。
それから考えると・・人間が死んで「おしまい」ってのは、今人間が認識している世界~仮にインタネットAではそうなのだが、死後なり人間に認識ではわからん世界~ネットBでは、その情報は機能している~死んでない~ってことと言うこともできる。
そう考えると、「死後の世界は無いって切り捨てるのは、早まっている」くらいが、無難でベターな話であると思う。
もっというと「スマホなりの情報のサルベージで情報が復旧すると、ネット上では復活できる」ってことみたいなことが「生まれ変わり、転生」とかの在りようの一つの様相かもしれない。
まあ、たぶんこれだけでは、説明しきれない話で、量子論が「粒子は、粒で波 だ」みたいに、粒だけなり波だけなりの反応を言っているにすぎないので、仮説・寝言として、貰えたら幸いです。
で、祈祷や加持がなぜに効くのか・・・の一つの説明の補足に
「効きそうなアプローチの伝統的集大成で、それで「見えない世界~けど実在する」に影響を及ぼせるから。」
てことになるのだろうかな。
とはいえ、それでも「五常五戒を守れば、厄を防げる」みたいな、見える当たり前の事とも関連があるのだから、容易に「決めつける」のは危険であると思う。
まあ、素人の寝言たわごとでした・・・・・・・。