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【徒然】制欲

前回、「整欲」というタイトルで書いたのですが、その別アングルということで今回は「制欲」。

懲りもせず「正欲」からインスピレーションをいただいた、もとい…なタイトルですが、石を投げられないことを祈る。どうか怒らないでほしい。


趣味をはじめ、好きなものに対する欲について、最近は程よく「制」した方が良いなという考えに行き着いています。つまり、好きだからこそ、適度な距離を保つということ

本来僕は、熱しにくく冷めづらい性質なので、好きになるまでは時間がかかるけど、好きになったらとことんハマる傾向にあります。無我夢中に追いかける楽しさと幸せも知ったうえで、ここに行き着いたのが今です。



ミュージカル

僕の今を支える趣味。そして僕が最もお金をかけている趣味でもある。僕を現実から一瞬解き放ってくれて、それでいて現実を生きていくための何かを与えてくれるのがミュージカル。同じ作品を何度も観ることもあるし、特に複数キャストの場合は全制覇したくもなる。♪観劇はやめられない!その時だけ〜幸せになる…。

ただ、むやみやたらにあれもこれも、あるいは同じ作品を何回も観るというのは、少し限界を感じ始めています。
1つには金銭面。やはりここ数年のチケット代の高騰はジワジワ効いている。数年間、様々な作品と出会う中で、自分の好みも分かってきたということもあるし、まずは贅沢言わず一回だけ観よう、という気持ちにもなる。

他方、「趣味はミュージカル」と言いたいがために観劇していないだろうか?、言い換えるとミュージカルを「消費」していないか?という自分への疑問にも最近気づきました。観劇も商品なので、「消費」は言葉として間違ってはいないのですが、パンデミックで思い知ったはずの、幕が開くありがたさ、無事に幕が下りる奇跡性を、忘れかけてしまっているように思えて、もっと丁寧に大切に観劇したいのではないのか?と自問自答することが多くなりました。

もちろん、もっと観劇の敷居を低く、気軽に楽しめたらという考えもあるし、そうなることで日本のミュージカル界が盛り上がるのなら、とも思うのですが、僕にとってのミュージカルは、あくまでどこかに一定の線引きがあったほうが楽しめる・味わえるものなのかなと。

早い話が、一回一回の観劇を大切にできないくらいなら趣味と言うべきではない、という僕の宗教ですね。今後は貴重な一回一回をとことん味わうことを大切にしようと思います。

筋トレ

今はだいたい週3回くらいに落ち着いていますが、これもやり過ぎないように気をつけています。毎日行きたいという気持ちもなくはないのですが、そうすると逆に体を壊しそうな予感がする。

フィットネスの大会を目指しているわけでもないし、なにより服のサイズが変わるのはイヤなので、程々にとどめているということ。一回あたりのトレーニングも、活性酸素が出すぎないように、ハードワークしすぎないことを常に頭に置いています。

旅行

ワンシーズンに一回くらい行けたらいいなと思っている旅行。ミュージカルでの遠征を兼ねる時もありますが、特に東京は「旅行」にカウントしないこともあるので、純粋にひとりで楽しめる旅行という意味ではこのくらいの頻度が疲れすぎず、羽も伸ばしつつ、というのが実現できる気がします。

非日常が文字通り非日常であるからこその良さがあると思います。そして皮肉にも、計画しているときが一番楽しいということも往々にしてある。

一回あたりももっといたかったなぁと思うくらいがベスト。二泊三日が丁度よい。でも、もし来年休みが取れたら、1週間くらい海外に行きたいなぁとも思ってはいます。

カフェ

これも大体月に2回程度と決めていますが、ついつい行きたくなってしまう。

自宅で淹れる紅茶を楽しむ時間を増やしたら、案外それでも満足感があります。満席で諦めることもないし、誰にも邪魔されませんし。でも時々、「人は居るけどお互い干渉し合うこともなく自分の時間を過ごしている」というような空間に居たい気持ちも出てくるので、これはプチ贅沢として、行き過ぎ注意を自分に発し続けるんだろうと思います。

甘いものも食べすぎると、お肌に良くないですし。でも我慢し過ぎもお肌に良くないですし。生きるって難しい。

ライヴ

正直書くか迷ったテーマですが。僕の青春とも言えるバンド・ポルノグラフィティ。今も「好きなアーティスト」であることに変わりはないのですが、実はファンクラブを卒業しました。好きだからこそ、制した。

これまで、特に20周年記念イヤーに至るまでは、まさに熱狂的なファンだったと思います。ライヴグッズも全部買ってたし、東から西まで遠征もたくさんしました。ファン同士の交流にも寄せてもらい、こんな僕にも仲良くしてくださる方もいらっしゃいました。

この際正直に書くと、距離を置くようになったきっかけは2022年のライヴ。その時のこともnoteに書いていましたが、当時はパンデミック下でまだ声出し(コール&レスポンス)が禁止されている中、明らかに声を出して楽しんでいる方が近くにいて、全く楽しめなかったということがありまして。
当時、仕事もうまくいっていなかったし、なんか色々モヤモヤすることもあったというのもあったと思いますが、引き金はこれ。

改めて振り返ると、ファンはアーティストの鑑という言葉を前提として、僕の中に「ファンとしてこうありたい」「あるべき」という宗教があって、そのうえポルノファンはマナーが良いという神話を信じていた。それが僕の中で崩壊したことで、好きなものとモヤモヤの原因がリンクするようになってしまった、ということでした。好きなアーティストの音楽を聴くたびに、その人の振る舞いがフラッシュバックしてしまう。
別に正義を振りかざしたいわけではないのですが、当時僕が思ったことは事実で、ちょっとずつ距離を置くようになった。

その後も何度かライヴも行ったし、新曲も聴いてはいたけど、好きだからこそ、これからも好きでありたいから、好きで居続けるためには、少し離れたところからこっそり応援するというのが、今の僕に必要な姿勢なのだと、そう言い聞かせて今に至ります。

去る11/8、僕が台風のために行けなかった25周年の記念ライヴのライヴビューイングがありました。正直辛い気持ちを思い出すので行くのも迷いましたが、ファンクラブ会員として最後のライヴになるので観に行きました。

やっぱり、好き。

曲を聴くと、細胞が反応する。比喩ではなく。そりゃあそうですよね、多感な時期から大人になるまで、ずっと聴いていたんですもん。シスター、前夜、ネオメロ…全部体が覚えてる。色んな思い出も掘り起こされる。

でも、やっぱり好きやなぁ、って想いを無くさないためには、離れるしかない。

ライヴビューイングでは、手拍子やフリももちろん許されていて、周りの方は盛り上がっていました。ポルノファンの「フリが揃う光景」は有名なのですが、僕はもうその輪の中に入る気持ちがない。その場でファンの一人になるのが、怖い。二人のことは、チームポルノのことは好きですが、ファンが怖い。
だから、ただ一人で、二人が演奏する光景を、感謝の気持ちで見つめることが、今の僕の応援の姿勢です。傍から見れば、スカした人だったかもしれない。でも、これが僕の「好き」なんです。

僕にとってポルノグラフィティとは、夢です。そこには「ファン」もいることを、これまでもずっと2人は言い続けていて、その一人であることに誇りと、そして責任すら感じていました。
もう僕は一緒に夢を見続けることはできませんが、その夢を側でこれからも見続けていたい。赦されるなら。


「制」というと語弊があるのかもしれないですが、好きなものこそ、その距離を見誤ると苦しみを生んでしまう、ということに最近になってようやく気付けたように思います。過ぎたるはなお及ばざるが如し、ですね。

もちろん「推しは推せるときに推せ」という言葉があるように、全身全霊で好きを追いかけることも素敵なことです(推し、っていう言葉は好きじゃないけど)。

僕の場合は、こうやって世界との距離感を調節することで、辛うじて生きているのですが、他の人はこんな事考えずに、享楽的に生きていたりするのだろうか。そんなことも一瞬考えつつ、僕は僕の「好き」とともに。

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