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人が集まればヒエラルキーからは逃れられない。
ヒエラルキーは「階層、階級性」を意味する言葉である。つまり、人間関係の上下の概念のことだ。学校には生徒間ヒエラルキー(所謂スクールカースト)があり、社会にはビジネスヒエラルキーがある。人生において、ヒエラルキーを感じなかった人はいないのではなかろうか。
ヒエラルキーは基本的に残酷である。
一人一人の持つ個性、長所、魅力など関係なく、その集団における物差しで優位性が測られる。こと人間関係においては、小学生なら足の速さ、中学生なら気の強さ、高校なら学力、大学ならコミュ力、社会人なら収入などの要素によって、おおよその階層が構築されるのだ。
会社という集団においても、ごく普通のシステムとしてヒエラルキーが存在する。社長、専務、常務、部長、課長、係長、一般社員という順で、末広がりで階級が定められているのだ。
企業内の階級なんて当たり前のものとして受け入れられるかもしれないが、上下があれば必ず競争が発生する。上の階級に上がるために日々残業に追われ、自身のスキルの上昇に目を向ける暇もなく、業務を消化するだけで歳を重ねる。極論ではなく、決して少なくないケースだ。そうやって40、50となったら最後、”その会社以外の仕事ができない”、社会からの需要のない人間が完成してしまう。
ヒエラルキー内のラットレースに巻き込まれると、生産性のない経験を繰り返してしまう恐れがある。会社員を否定するわけではないが、自分の人生のために会社を利用するくらいの腹づもりでいないと、取り返しのつかない将来を迎えてしまう可能性がある。自分がどう生きたいのかを考えた上で、自分のキャリアプランを登っていくことをおすすめする。
このように、社会という大きな枠組みから家族という小さな枠組みにおいても、ヒエラルキー、つまり上下関係が存在してしまう。そう、人が集まればヒエラルキーからは逃れられないのだ。人と人が関わる以上、ほとんどのケースにおいて比較が生まれ、尊敬と軽蔑が生まれ、気づけば階層関係が形成されてしまうのだ。
しかし、ヒエラルキーにも良い点もある。
私自身、コンプレックスの塊のような思考をしているので、見下されることには敏感だったりする。28年間、ひたすらにヒエラルキーをひしひしと感じてきた。だからこそ、受験でいい結果を出そうと勉強に励めたり、会社で上り詰めようと無理な残業もこなしてこれた。階級は時にエネルギーやモチベーションになることもある。
とは言っても、エネルギーやモチベーションを向ける先が正しくないと、人生は好転しない。ヒエラルキーに影響されてモチベーションを得るのはいいが、人生の大切な選択さえもヒエラルキーに奪われてしまっては、元も子もない。
ただ一つ大切なのは、ヒエラルキーに全てを支配されないことだ。自分の個性や長所、魅力を自覚して、他者の評価に依存しないことだ。人が集まればヒエラルキーからは逃れられないが、それに左右されない人生を送ることはできる。特に狭い世界に生きる学生においては、自分はオンリーワンである、能力に囚われない存在価値を有していることを自覚して欲しい。
と、アラサーからのメッセージを伝えたところで、本記事を終了とする。
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