「デジタル」はダサいという声に耳を傾けなければいけない理由
菅新総理が自民党総裁選の中で「デジタル庁」構想を打ち出してから、「デジタル」という言葉が連日のようにニュースに出てきています。そんな中で、ネットを見ていると「『デジタル』はダサい」という意見をちらほら見かけ、正直なところびっくりしました。なぜならば、私自身は「デジタル」という言葉はどちらかといえば新しいというイメージを持っていたからです。
「デジタル」はなぜダサい?
「デジタル」という言葉自体はかなり古くからあり、これがダサいと感じる大きな理由なのでしょう。私が子供の頃にも、デジタル時計という言葉がありました。レコードがCDへと変わっていくことや、ビデオが(LDを経て?)DVDへと変わっていくことも「デジタル」でした。そして、仕事を始めるようになった頃には、地上放送のデジタル化が大きな政策テーマの一つでした。
このような古い言葉である「デジタル」を、一丁目一番地の政策に掲げることに対して、「今更デジタルかよ」という印象を持つのは一応理解できる気がします。
「デジタル」が新しいという感覚
一方で、多くのICT界隈に属する人々は、「デジタル」という言葉が新しいという感覚を持っているのではないでしょうか。なぜ新しいのかというと、これまでIT(Information Technology)やICT(Information and Communications Technology)と言っていたものが、最近は「デジタル」に置き換わっている傾向があるからです。
ICT政策界隈でも、国際的に「デジタル」は比較的新しい言葉です。例えば、OECDはこの分野の白書のようなものとして、従来Information Technology Outlook、Internet Economy Outlook、Communications Outlookというものを作っていました。これが、2015年からはDigital Economy Outlookへと変わりました。 色々と話題になる台湾の唐鳳(オードリー・タン)氏も、デジタル担当大臣ですね。
「古いデジタル」と「新しいデジタル」は何が違うのか
デジタル時計のような「古いデジタル」と、ITやICTに代わる言葉として使われている「新しいデジタル」は何が違うのでしょうか。
まず、それぞれの反対語は何か?ということを考えてみたいと思います。「古いデジタル」の反対語は、「アナログ」でしょう。実際、デジタル時計の反対語はアナログ時計ですし、デジタル放送の反対語はアナログ放送です。他方、ICT界隈で使われる「新しいデジタル」の反対語は、「フィジカル」や「リアル」といったものではないでしょうか。つまり、「新しいデジタル」は、技術的な特徴を指しているというよりは、空間や世界、人のふるまい、企業の活動といった社会的なものへの影響を指していると考えられます。
次に、このこととも関係しますが、「デジタル化」という場合に何を指すかが違っているように思います。よく言われる話ですが、「デジタル化」には、digitizationとdigitalizationの2つの英語が充てられます。Gartner Glossaryによると、それぞれ次のような意味を持ちます。
Digitization is the process of changing from analog to digital form, also known as digital enablement. Said another way, digitization takes an analog process and changes it to a digital form without any different-in-kind changes to the process itself.
Digitalization is the use of digital technologies to change a business model and provide new revenue and value-producing opportunities; it is the process of moving to a digital business.
つまり、digitizationとは、アナログをデジタルに変えるという技術的なものであり、「古いデジタル」であるといえます。他方、digitalizationとは、ビジネスモデルの変革といった社会的なものであり、「新しいデジタル」であるといえます。
「新しいデジタル」は、今までの仕組み自体を変えていくもの
ただし、もちろん本質はこのような言葉の問題にあるのではないと思います。これまでITやICTと言っていたものと、最近「デジタル」と呼ばれているものの違いについて、令和元年版情報通信白書では、次のような絵で説明しています。
総務省でも、伝統的に「ICTの利活用」を政策テーマの一つとしてきましたが、どちらかといえば、ICTで今までの仕組みを便利にしようという取組が中心だったと思います。そして、ICTはあくまでも潤滑油のような役割を果たすものであり、決して主役ではなかったといえます。特に日本の企業や官庁といった組織では、ICTは組織の戦略の本丸に位置付けられず、担当部署と委託先のシステム会社とでよしなにやっておけば良いという程度のものだったでしょう。そして、使い勝手が悪いシステムが導入されることも少なくなかったことは、このことと無関係ではないはずです。
一方で、デジタル・トランスフォーメーション(DX)に代表される「新しいデジタル」は、ICTを本丸に据えることで、ビジネスモデルなど今までの仕組み自体を変革していくものです。また改めて記事で書きたいと思いますが、これはICTが取引費用という人間や組織の諸活動のコストの構造を大きく変えることが根本の原因にあり、決して威勢の良いスローガンやICT界隈の商売文句ではありません。
eコマースの発展によってリアルの商売が打撃を受けるといったことが、デジタル・ディスラプション(デジタルによる破壊)と呼ばれていますが、これまでICTと縁が浅かったような業界でも、新しいコスト構造を前提にした仕組みの変革が必要になってきていることは、年々切実に感じるようになってきていると思います。情報通信白書でも、約5割の日本企業が破壊的な影響への危機感を持っていることを紹介しています。
「デジタル」はダサいという声になぜ耳を傾けるべきなのか
このように、これまでITやICTと言っていた頃は、ICT界隈や企業・官庁などのICT担当部署が中心となってその導入や活用を進めてきた一方で、「デジタル」と呼ばれるようになった今は、本丸の課題である以上、界隈の外の人々も取り組んでいく必要があるテーマになりました。今、総理が旗を振り、政府全体で「デジタル」を進めようとしていることも、まさに象徴的であるといえます。令和元年版情報通信白書でも、次のような絵で説明しています。
ICT界隈では、「デジタル」が新しいという感覚を持っているということを書きました。ですが、「デジタル」に取り組むには、ICT界隈の目線で進めてはダメなのだと思っています。だからこそ、界隈の外にある「デジタル」はダサいという声に耳を傾け、界隈の目線から離れて「デジタル」に向き合うことこそが、その第一歩として必要なのではないでしょうか。
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