日本にiPhoneが登場した2008年を境に通信機器の貿易統計の姿が大きく変わったという話
10月23日にiPhone12が発売されましたね。5G対応という点が売りの一つであるものの、少なくとも今のところはまだビッグウェーブという感じではない気がしますが、今後どのように生活や社会を変えていくことになるのか注目したいと思います。
さて、iPhoneが日本に登場したのは2008年ですが、このことが日本における通信機器の輸出・輸入にもたらした大きな変化について紹介します。下のグラフは1976年(生産は1985年)以降の通信機器の生産・輸出・輸入の推移を示したものです。
iPhone販売開始の頃を境に輸出と輸入が逆転し、以後は輸入が大きく伸びていることが分かります。また、2013年にはこれまでのソフトバンクとauに加え、最大手のドコモもiPhoneの販売を開始し、このことで更に輸入が増加しています。
もっとも、日本における通信機器の生産自体は、1990年代後半をピークとして減少傾向に転じています。「通信機器」には、ユーザーが使う端末だけではなく、通信ネットワークを構成する様々な機器を含むのですが、この時期に変化が生まれたのは、インターネットの普及が始まり、これまでの電話のネットワークがIPネットワークへと置き換わり始め、国産の電話交換機が海外製のルータなどに取って代わられたことが背景にあると考えられます。このあたりについては、令和元年版情報通信白書に書いていますので、興味のある方はぜひご覧ください。
ここで、通信機器から情報通信関連機器全般に目を移したいと思います。下の図は、ICT産業の国内生産額と雇用者数の推移を示したもので、オレンジの部分が情報通信関連製造業を表しています。
2000年から2016年にかけて、情報通信関連製造業の国内生産額と雇用者数は、いずれも55%の減少となっています。16年で産業の規模が半分以下になったというのは、多くの方にとって驚きではないでしょうか。なお、これらのデータの出典は平成30年版情報通信白書ですので少し古く、最新の令和2年版情報通信白書では2018年の数字が出ており、国内生産額・雇用者数共に2016年から若干回復しています。
ガラケー全盛期の2000年代初頭、当時日本に参入していた世界最大の携帯キャリアのボーダフォンのアルン・サリン社長が日本によくいらっしゃっていましたが、その時「日本の携帯はヨーロッパよりも2年、アメリカよりも5年進んでいる」とおっしゃっていたことを今でも覚えています。私自身も規制改革交渉のためよくヨーロッパに出張したのですが、現地で出会う方々は、日本のカメラ付き携帯や洗練された着メロに驚き、羨望のまなざしを向けていました。
2000年代後半からは、ICT産業の国際競争力というテーマが政策課題としてよく取り上げられるようになりました。その中で、もっと研究開発にお金をつぎこむべきといった意見が出てくるのですが、本当にそれが解決策なのでしょうか。更に言えば、目標として掲げる「国際競争力の高いICT産業」とは、どのようなプレイヤーのどのような姿をイメージしているのでしょうか。こういった議論をする際に、この記事で紹介したようなデータに基づき、変化はなぜ起こったのかという点の冷静な分析は重要だと思います。
最後に余談ですが、iPhoneの読み方は「アイフォン」ではなく、「アイフォーン」ということはそれなりに有名な話かもしれません。日本でiPhoneの商標登録をしているのは、インターホンなどを製造している名古屋のアイホン株式会社です。野球をよくご覧になる方は、ナゴヤドームのレフト側外野フェンスに広告を出していることに気付かれるでしょう。Appleのサイトの一番下にも、「iPhoneの商標は、アイホン株式会社のライセンスにもとづき使用されています。」ときちんと書いてありますね。このライセンスの協議の中で、iPhoneのカタカナ表記は「アイフォーン」とすることを取り決めたとのことです。
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