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コムギのいた生活4 -祈り-

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病気ひとつすること無く健康体そのもので、与えたご飯は必ず全て平げたうえでいつも物足りなさそうにしているコムギがご飯を残したことがあった。
食欲が無くて食べれないというよりは、食べたいのに食べれないといった様子で残してしまったカリカリご飯に向かって唸っていた。
唸り続けるコムギの様子をよく見てみるために近づくと、全部食べるつもりのご飯を取られてたまるかとばかりに僕たちに向かって吠えてきた。
歯を剥き出して吠えてくるコムギの顔を覗き込んでみると歯が欠けていることに気付いた。さらに注意深く観察してみると右目の下、右奥歯の上のあたりが腫れていることにも気づいた。
食べられない原因が分かり腫れ具合も気になったため、すぐにかかりつけの病院に連れていった。
成犬になってからは年に一度の血液検査と狂犬病の注射やシャンプー以外で病院に連れて来たことは初めてだった。
診てもらったところ、何か硬いものを噛んだ際に歯が欠けて神経がむき出しになり、そこからバイ菌が入り込んでしまったことで炎症、歯髄炎を起こしてしまっているようだった。
かかりつけの病院でも抜歯による治療は可能であったが、抜かずに歯を残したままで治療してくれる腕利きの歯科専門院も紹介してくれた。
僕たちも可能な限り歯は残したいと思い、紹介してもらった歯科専門院で診てもらうことにした。

挿絵4-1


歯科専門院は家からかなり離れたところにあったため改めて別日に予約をした。
長年東京に住んでる僕たちも初めて訪れる地にあった歯科専門院は、こじんまりとした見た目に反して患者も従業員も多くて院内に活気があった。
事前に調べたところによると厳しい先生との評価が多くて少し緊張をしていたが、実際に話をしてみると確かに厳しさはあるのだが、とても真摯に熱意を持って相談に乗ってくれる方で僕たちはすぐに先生を信頼するようになった。
歯磨き代わりに硬いガムを与えていたことが歯が欠けた原因だと注意されて、怠りがちだった歯磨きの必要性を強く諭された。
できる限り長く、しっかりと物を噛める健康な歯を残すために僕たちは手術の予約をした。


手術の日は典型的な梅雨空でしとしとと重い雨が垂れていた。

挿絵4-2


麻酔をさせることですでに不安いっぱいであったのに、その沈むような雲や雨が僕たちの心をより重くした。
少し早く目的地に着いたため、病院の近くにあったショッピングモールの1階のカフェのテラスで雨除けがてら時間を潰した。雨の降る馴染みのない街での時間の消費は不安や緊張ばかりが募り僕は何度もトイレに行った。
予約時間になり病院を訪れてコムギを預けた。僕たちはコムギの姿が消えるまで見つめ続けた。


手術の間は病院近くの繁華街で時間を潰すことにした。
馴染みのない街で勝手が分からず、駅ビルにあったレストランに入った。
僕は何処で何を食べたかなどを細かく記憶している方なのだが、この時何を食べたのかを記憶していなくて、ただ不安でいっぱいだったその心境のみが記憶として残っている。
病院からの電話を期待と不安が混淆した気持ちで待った。
「コムギちゃんが麻酔から目覚めません」と言われたらどうしよう、そんなことばかり考えていた。
電話が鳴った。病院からだった。
手術が無事に終わり麻酔からも目覚めました、とのことだった。
電話に出るために店を出て人気のない場所で報告を受けていたのだが、思わず涙が溢れてしまった。
「何時頃にお迎えに来られますか」と尋ねられて「すぐ向かいます」と応えると、急ぎ会計を済まし店を出た。
雨は相変わらず降り続いていたが、先ほどまであれ程憂鬱に感じていた雲や雨の重たさなんてすっかり忘れてしまい、病院までの道の先が光に照らされてるように感じた。
コムギを迎えに行くと、看護師さんに連れられ元気に診察室に姿をあらわした。
僕たちは何年かぶりに再会するように感情が昂って迎え入れようとしたのだが、当の本人は一刻も早く病院を脱出して家に帰ろうと僕たちには一瞥だけくれて出口に向かって走って行った。
そんないつもと変わらない姿を見て元気であることを確信した。
半年後の翌年の1月に術後の経過を見ることになった。
病院に置かれていた歯磨きグッズを購入して家に帰った。

挿絵4-3



歯髄炎の手術を終えて振り返ってみるとコムギも中型犬の平均寿命の半ばに差し掛かっていることに気づかされて、そう遠くはない将来のシルバー生活についても現実的に考えていかなければならない時期に来ていた。
ペット保険に加入していなかったのだが、8歳までは加入可能なサービスも多くあるため、どのサービスに加入するかの検討も始めた。
夏になりコムギは7歳の誕生日を迎えた。
犬用のケーキを買ってきて家で誕生パーティを開いた。
すっかり歯も良くなったコムギはあっという間にケーキを平らげた。
以前の僕たちはあまり誕生日や季節のイベントなどを大げさに祝ったりすることを好まなかったが、コムギが来てからは大いに楽しむようになった。
どちらかというと嫌悪すらしていたハロウィンでさえ、パンプキンの置物や電飾で部屋を飾りコムギに可愛い衣装を着せるまでになっていた。
いつしかコムギがいない生活なんて考えられなくなっていた。
歳を重ねれば重ねるだけコムギへの愛情は深まるばかりだった。
幼犬の頃は天使のような可愛さはあったのだけれでも、まだ僕たちとの間に積み重ねたものは何も無くて、ただ外見上の可愛さだけであって、自分のソファーで寛ぐ姿や庭を眺める姿、こたつに入る姿、お決まりの場所で水を飲む姿、羊人形で遊ぶ姿、夜中に階段をのぼってくる姿、一人で2階にいってしまう姿、スタンバイする姿、その全てが決して代わりなんて存在しない、僕たちとコムギの間で育んだ大切なかけがえのないものであった。
コムギと会う前までの人生もそれなりに楽しんではきたと思ってはいたが、コムギと共にこの家で過ごした7年間は最も幸福で満たされた時間であった。
この先コムギがさらに歳を重ねておばあちゃんになった姿はどれだけ可愛いのだろうとふたりで想像した。
「ボケちゃってとんでもなく大変な老後になるかもね」なんて笑いあった。

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コムギが鼻血を出したのは7歳のハロウィンパーティを楽しんでからすぐのことだった。



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朝に悪性腫瘍との連絡を受けて、その日のうちに病院に行き先生と相談をして次週の腫瘍科の予約を取り家に帰ってきた。
一人留守番をしていたコムギは2階の僕のベッドで寝ていたようで、跳ねるように階段を降りてきて大好きな羊人形1号を咥えて僕らを迎えた。
その健気でいつもと変わらない可愛い姿を見ると、先ほど何度も耳にし口にした「放射線治療」や「抗癌剤治療」といった言葉がとても現実のものとは思えなく、コムギと結びつけたく無かった。
はしゃぐコムギに「ただいま」と声を掛け撫でて羊人形1号を投げて遊んであげるのだが声が潤んでしまう。
まだ7歳になったばかりなのに・・・こんなに元気なのに・・・どうしてコムギが・・・。
何度も繰り返されるその思いが頭から離れることはなかった。

僕たちは完全に気落ちしてしまっていた。
あれだけ幸せな色彩に満ちていたリビングに深い影が差してしまったようで、視界の端が黒く沈殿してしまっているように感じる。
何の気力も起きなくなっていった。
ご飯を食べても味はしなく、大好きなレコードに針を落とす気もせず、本を読んでも視線は宙を泳ぐだけだった。
SNSでフォローしている犬の画像を毎日見ては楽しんでいた彼女だったのだが、コムギよりも歳が上の子の元気な姿を見ることがいたたまれなくなってしまうのか全く見れなくなってしまっていた。
フォローしていた犬が10歳を前にして旅立ってしまったことを知った時は2人で早すぎるねと悲しんでいたのに、まさか自分たちがそれよりも早くコムギを失うことになってしまうかもしれない境遇が皮肉に思えて切なかった。
夜、風呂に入り湯船に浸かって何も考えられずに呆けていると、不意にリビングから彼女の嗚咽が聞こえてきた。
2人でいる時は耐えていたのだと思う。
コムギの姿をひとり見ていたら涙が止まらなくなったのであろうと想像すると僕も堪えきれなくなって湯で顔を拭った。

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翌日も何の気力も出ずにいたのだが少しでも気を晴らそうと外に出て家の近所を散歩していた。
前日に続いて天気の良い日だった。
何も考えずに脚の赴くまま辺りをウロウロしていると今まで気にも留めていなかった小さな神社が目に留まった。
住宅が建ち並ぶ中で木々に囲まれてその身を隠すようにひっそりと佇んでいるため、普段はその姿を横目に通り過ぎてしまうのだが、不意に呼び止めるように僕の視界を捉えた。
静かに揺れる木々が手を招いているような気がして、気が付くと小さな鳥居をくぐっていた。
木々に囲まれた境内は静寂な空気に包まれたとても小さな空間で、長く樹齢を重ねているであろう一本の大木に護られているように木元に小さな社が鎮座していた。
神頼みとか霊とかそういった類のものを今まで軽視していたくせに、気づくと苔に覆われた敷石を進んでいて、社の前に立ち手を合わせて祈っていた。
どうかコムギをお救いください。
コムギのことをよろしくお願いします。
コムギをお救いください。
よろしくお願いします。
何度も必死に同じ祈りを繰り返した。
しばらくそのまま祈っていると、ふと、木々が擦れる音が耳に入った。
目を開けて頭上を仰ぎ見てみると揺れる木漏れ陽で光が溢れかえっていた。
涙のせいでより煌びやかに見えたのかもしれない。
だが沈んでしまっていた心が少し浄化されたような気がした。
その後も祈りを続け、風が吹き木々が揺れる音が聞こえると祈りを止めてはその光景を見入った。
祈りとは相手のためにするものであると同時に自分自身を癒し励ますためのものでもある気がした。
その日から神社に通うことが日課となった。
この体験を彼女に伝えると彼女も神社に通うようになった。
どんなに夜遅くなっても、強く雨が降り注ぐ日でも、粉雪が舞う寒い日でも、肌を焼くような暑い日差しが照りつける日も、休むことなく毎日通い続けた。

コムギのために、そして自分たちのために。

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次の話を読む -癌治療の開始-

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