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思い出話 ~中学時代・野球部編③~

気がつけば、3本目。

こんな量だけの大作を書く気はなかったのにと、書き始めた時の自分を激しく呪いながら手を進めることにする。

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引退後、後輩たちの初めての練習試合があった。
スタメンの1人が故障のために出場できないとのことで、その日出席していた僕と前主将の2人が交互に打席・守備につくことになった。

引退している身だから好きにやらせてもらおうと、強制されていたバスターをやめて打席に立った。

2打数2安打だった。1度はホームインもした。

ホームインの後、相変わらず偉そうな顧問は「引退してからの方がいいじゃないか!」と囃し立てながら僕の肩を叩いた。

お前の指導を無視したからだと、内心では顧問を鼻で笑う。
その一方で、自分がしてきた努力は間違ってなかったということを、自らのプレーで証明できたことが何よりも嬉しかった。

その時になって僕自身も初めて気づいたことがある。

僕は “野球部という縛られた空間で野球をすること” が嫌いだっただけで、野球をすることそのものが嫌いになった訳ではなかったのだ。

引退してから “野球部” というものに縛られなくなった僕は、徐々に部員たちとの距離を置いていった。

でも、別に部員たちのことを嫌いになったのでもなかった。

ただ、彼らの顔を見ていると、今までの憂鬱な記憶がフラッシュバックして、野球そのものを嫌いになってしまいそうだっただけなのである。

それから、僕は地元の高校に進学し、同じ野球部だったメンツも揃って同じ学校に通うことになる。

しかし、野球部にいい思い出が無いのは僕だけではなかったのか、高校まで野球を続けたのは、不慮のアクシデントによって引退試合に出場できなかった元主将ただ1人だけだった。

中学校3年間で嫌いになりかけていた野球だったが、今では僕の立派な趣味の1つにもなっている。

多分、中学校で野球をしてなければ、いま野球を好きでいることもなかっただろう。

それ以上に、あんなに腐りかけていた僕を最後まで目にかけてくれたコーチの存在は、中学時代の僕にとっては、とてつもなく大きなものだった。

そういう訳で、僕はあの人を恩師と呼ぶことにしている。

恥ずかしくて面と向かって呼ぶことはできないけれど。

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