大老
新米を名乗れなくなる前に、自らその肩書きに囚われないように。
教員になってからのあれやそれやをしたためています。
オタクが自分の趣味嗜好をだらだら書き綴るシリーズ。投稿頻度は圧倒的な不定期。
未来があると思いきや、やっぱり無いのではないかと問答し、やっぱりあるんじゃないかなと思ったりする五人のクリエイターによる共同作品。
新しい学校に来て、初めての試験期間がやってきた。 と言っても、僕の場合は授業の進度をみて、まともな100点満点の試験が作れないという判断に至り、実施を見送ったのであるが、それゆえあまりにも暇なのである。 学校では授業やその準備、分掌業務なんかがあるので、自覚できるほどの暇はないのだが、周りが試験問題の作成で忙しそうにしているのを見ると、暇だなぁとふと思ったりする。 家では仕事に関するものに触りたくない一心で何もしない。授業準備でもすればいいのをやらずに適当に時間をつぶし
新しい学校に来て、初めてのGWが終わろうとしている。 昨年までと比べるとかなり忙しないGWになった。 今年度から軟式野球部の監督に就任したのだが、GW突入直前に遠方まで出かけて、大会に参加した。 参加校が3つしかない小さな県内大会だが、無事準優勝し、上位大会への出場をきめた。 僕はと言うと、中学以来の真面目な野球に体の衰えと現役の頃とのギャップを感じつつ、たった1ヶ月で戦術など仕込めるはずもなく、ただただ無策に近い状態で臨んだが、そんな状況のなか生徒たちが本当によくや
新年度も始まり、何か書いて投稿するかと思っていたら、完全に忘れ去られていた備忘録を発見。 備忘録を忘れたら、いったい何を覚えているんだと関係各所から総ツッコミを食らった模様であるので、慌てて投稿する次第である。 どうかこの愚かな僕を盛大に鼻で笑ってやってほしい。 見苦しいついでに言い訳をしておこう。 普段僕は布団の中でもぞもぞしながらiPhoneで原稿を書く。 当然、アイキャッチ画像も設定して投稿しようとするのだが、iPhoneは画像の規格が対応しておらず、その操作
ついにやってきた。 しかも、意図しないタイミングで。 この学校には、もう1年は勤務できると思い込んでいたので、3月頭の転勤の知らせには少し動揺した。 少し、と言うのは、転勤になるかもという話を校長からの恩情で聞かせてもらっていたから、電話が来る頃には、何となく覚悟は決まっていた。 電話がきたのは、卒業式の日の夜、祝賀会が開かれていた真っ最中である。 少し遠くの席に座った、同じ地歴科の先輩教員が携帯電話を持って飛び出して行ったのを見て、「あ、きた。」と思った。 僕の
ここ最近、激務が続き、仕事に殺されそうになっている。 どのくらい忙しいかと言うと、言葉遊びが好きな人間の頭にその例えが何一つ思いつかないくらいには、仕事に忙殺されている。 この激務に開幕を告げたのは、自分が伴走を担当している探究の班が、とある国際的なフォーラムに発表者として参加するというので、その引率として休日にもかかわらず出張に出かけた。 本人たちの手ごたえがあったのかどうかもわからない(というか、色々思うところもあって若干うんざりもしているから興味を失くしつつある)
いよいよ卒業式のシーズンが到来した。 僕の勤める学校でも、無事に卒業式が終わった。 この学年は、在校生からも“伝説の学年”と称され、僕自身も「キセキの世代」と呼ぶ学年である。 この際、何をもって伝説とかキセキとか呼ぶのかには言及しないが、コロナ禍になって以降、初めて執り行われる式であるので、晴れやかに送り出してやろうと思う。 さて、この卒業に際して、とある先輩教員とタバコ休憩の時に話したことがある。 それは卒業する学年に思い入れがないということである。 僕自身は、
先日、新年度初めての地歴科の飲み会があった。 と言っても、全細胞に刻み込まれているレベルのスーパー下戸人間なのでノンアルでの参加にはなったが、大変楽しい、有意義な時間を過ごした。 “有意義” というのも、この会はなんと校長同席だったのである。 今年度赴任してきたこの校長、倫理を専門にする稀有な人物で、そのよしみもあり会にご参加いただいた次第である。 赴任当初から、日に何度も職員室へ足を運び、僕のような下っ端若手教員にまで満遍なく積極的にコミュニケーションをとってくれる
若い教員が生徒になめられるのは、ある種の洗礼なのだろう。 自分が高校生だった頃も、先生になめていると思われるだろう態度をとっていた自覚もある。 実際、“なめられる” ことによる恩恵もある程度感じてはいる。 それは生徒との距離が近くなることである。 これによって生徒がこちらに見せる顔も変わってくるし、僕にしか聞き出せないことも増える気がする。 特に生徒指導の面では不都合もない訳ではないが、今のところは大きな壁に直面したことはない。 強いて言えば、一部の女子生徒から異
新年度が始まって1週間が経とうとしているが、少々飛ばしすぎな感が否めない。 部署も新しくなって気持ち新たにという思いもあり、とは言え2年目で多少なりとも仕事になれてきたということもあり、どことなく張り切り過ぎているような気がする。 しかしながら、人間は怖いもので、一度走り始めると簡単には止まれないらしい。 何か事故でも起こしてしまう前に減速したいものだが、ブレーキの効きも悪い。 所詮ポンコツなのである。 このペースで走って一体どこまでもつのか皆目見当もつかない。
激動の年度末を乗り越え、遅ればせながら春休みをとって、島を出る。 抱えきれないどころか溢れ出るほどの不安を抱えていた1年前と比べると、1年で随分学校現場というものにも慣れたようだ。 頼れる先輩方に囲まれ、県内屈指の有名校での勤務は本当に刺激的であった。 職員室はいつもにぎやかで、授業に関する議論も活発。改めて、大卒最初の赴任校がこの学校でよかったと思う。 2年目にして、校内分掌やら何ならが一切合切変わって1年目の経験を生かす場面が激減したのは少し残念だが、その分新しい
高校の教員になって、思ったより楽じゃない仕事だったのが寮の舎監業務。 先生によっては慣れないところで寝るのはしんどいという人もいるらしいが、その点については僕はそこまでではない。 僕がしんどいと思うのは、その日の晩から次の日の朝までずっと仕事中だということである。 生徒の健康観察から諸問題の対処に至るまで、その日寮で起こることのすべてが業務内容なのである。 幸いにして、仲良くなった寮生もいるので話し相手には困らないが、じゃあそれで気が休まるかと言えばそういう訳でもない
試験期間に入り部活も休みになったので、絶好の休暇日和となった。 仕事を休んで本土に戻る予定を立てて、冬の準備をするつもりでいた。 しかし、冬の幕開けとも言える荒天に苛まれ、本土への船は全便欠航。僕の休暇は文字通り白紙となった。 正直死ぬほど萎えている。 仕事の予定が狂うのは面倒ではあるが、他の仕事にしわ寄せが来るくらいで言うほどのダメージはない。 しかし、念願叶った休みが潰れるのは辛抱堪らない。 何せメンタルリセットのための手段が絶たれるのである。 休みも1日と
口を開けば激務激務と言う中、その一因となっていたのが研修旅行の引率という案件である。 これまで引率の仕事と言えば、数えるほどの部活動の遠征でしかない。 部員たちもちゃんとした生徒たちばかりだったので、正直気を張ることも多くなかった。 しかしながら、今回の研修旅行はかなり勝手が違った。 「〇〇時に出発だからそれまでに準備」と指示を出しても、大半の生徒が時間を逆算して行動できないことに気付いたのは2日目の朝のことであった。 それからは、予定通りに予定が狂うなかで教師陣も
すっかりnoteのことなど忘れて日々の仕事に頭から浸かっていたが、それは自分にもできる仕事が着実に増えたことを示していると、はたと気づいた。 良くも悪くも「若い」というだけで、ある種の期待を向けられ、様々な仕事をもらえる。 それもすべて自分の経験や知見になると考えれば、負担感は自然と減る。 それだけでなく、現代っ子として生まれ育ったことが幸いし、昨今の情勢を機に各方面で導入が進むICTの実質的な副担当に任じられた。 また、人権同和教育に係る授業にも白羽の矢が立てられ、
最近「日本史」という科目はどんな科目だろうとよく考えている。 そのきっかけは、やはり授業改善である。 知識ベースの授業からの脱却を図るなかで、日本史の学習を通してどんな力を身につけさせることが出来るだろう。 そんなことを考え、「日本史」という科目に対する自分の認識を改める必要があると感じたのだ。 いま僕のなかにある結論は「日本史は立体パズル」である。 いろいろな形のピースをひとつの図形に組み上げるのと同じで、いろいろな資料から得た情報をもとにひとつの説を立てる。 ピ
僕が勤める学校では、主幹教諭主導のもと、教員の授業改善に対する飽くなき研究に学校単位で取り組んでいる。 その一環として、授業のシラバス改訂が教員全体の懸案の課題となっており、自分を含めて日々頭を悩ませながら教員みんながこれに取り組んでいる。 シラバス改訂を行う1番の目的は、来年度から適用される新学習指導要領に対応するためである。 しかし、それ以上に学校としての特性も多分に影響しているのではないかと思う。 地元以外からの入学生が多い学校であるので、その分生徒の個性も多種