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#2 tairadio×野球『素人野球評論 vol.1』ー なぜベイスターズファンになったのか / 2008年のベイスターズ ー

こんにちは!tairadioです!

突然ですが、大和球士という人物を知ってますか?
大和球士 (本名:安藤教雄) は
日本プロ野球創成期である戦前からスポーツ記者として活動し、
戦後からは野球選手の経験がないにも拘らず野球評論家・解説者として
野球評論や野球放送の礎を築いた偉大な素人出身の野球評論家です。
(とても面白い人物なので是非調べてみてください!)

小学生のころに大和球士の存在を知った私tairadioは、
以来、「俺もいつか野球評論をやりたいな~」という
淡い願望を抱き続けており、
この度noteという素晴らしいプラットホームを手に入れたので、
誰が見てくれるかはわからないが
とりあえずやってみよう!ということで
『素人野球評論』と銘打って始めてみたわけです。

『素人野球評論』の初回ということで
今回は私の大好きな横浜DeNAベイスターズについて
書いていきたいと思います!

※以後、だ・である調になります。


ベイスターズとの出会い

母はジャイアンツファン、父と兄はタイガースファンという
横浜の匂いを全く感じさせない家庭の中で
2008年6月7日(土)、突然、横浜スタジアムで行われる
横浜vs楽天の試合に連れていかれた。

土曜の朝は「めばえ」という謎の教育施設に連れていかれていたが、
その「めばえ」への出発直前に、母から、
「今日の午後に野球見に行くけど、楽天側と横浜側どっちが良い?」
と聞かれた。
当時は横浜という単語は知っていたが、楽天という単語は知らず、
この選択が大したものに感じなかったので、
なんとなく「よこはま!」と答えた。
これが、今までに及ぶベイスターズの沼に足を突っ込んだ瞬間だった。

ちなみに初めて観に行った試合は当然のように横浜が負け、
ただ楽天の岩隈がスイスイと完投勝利する様を眺めていた。

2008年6月7日 【公式戦】 試合結果 (横浜vs東北楽天) | NPB.jp 日本野球機構

NPB 日本野球機構

2008年のベイスターズ

2008年のベイスターズというのは
言うまでもなくとてつもなく弱かった…
48勝94敗2分 勝率.338のセ・リーグ6位
本当に前年4位だったのかと疑ってしまうほどの弱さだった。

投手陣

まず投手陣は崩壊に次ぐ崩壊で
頼れる先発は
三浦 3.56 7勝10敗 144回
ウッド 4.69 3勝12敗 136.1回
小林太志(通称コバフト) 4.41 6勝5敗 128.2回
の3枚しかおらず、
桑原謙太朗(30登板76回3勝6敗4.74)が先発と中継ぎを行き来して
合間を埋めてくれているのに、
那須野(22登板80.2回5勝12敗6.47)が毎試合5回持たずにノックアウトされ、降板後に涼しい顔をしてベンチに居座っているのを見て
幼いながらに怒りを覚えた。

勝ち試合で出てくる中継ぎも軒並み防御率4点台以上であり、
私が観に行った2008年8月31日の横浜vsヤクルトの試合では、
当時防御率15点台だった高宮や辛うじて8点台に収まっていた山北が
スタンドの階段が滝のようになるほどの豪雨の中で
健気に炎上し続け5-17で敗れるといった
夏休み最終日にとんでもない悪夢を見せられた。
(ヤクルト畠山和洋がヒーローインタビューを受けてた記憶)

2008年8月31日 【公式戦】 試合結果 (横浜vs東京ヤクルト) | NPB.jp 日本野球機構

NPB 日本野球機構


そんなこんなで、やっとの思いでリード展開で最終回を迎えても
クローザーの寺原(2008年41登板3勝9敗22S セーブ成功率84.2%)が
インパクトの強いセーブ失敗を繰り返して
少しの光が見えていたベイファンを地獄へ再び突き落とすという
よくも100敗しなかったなという投手陣だった。

工藤・入来などのベテランや
ヒューズ・マットホワイト・ウィリアムスら助っ人外国人たちも
全くと言って良いほど使い物にならず、
かといって有望な若手といったら
山口俊・コバフト・桑原の3人と
強いて言えば
阿斗里(2008年 防御率8.03)と田中健二朗(高校生ドラ1 1・2軍登板なし)
の計5人しか存在しないという具合で
編成・育成ともに機能不全に陥っていた。
(高崎・牛田・真田らもいたが軒並み絶不調)

野手陣

こんな投手陣を背負ってて
なんで100敗しなかったかと言われれば
「強力な打線・野手陣のおかげだった」と言いたいところだが、
皆が持っている印象には及ばないレベルの野手陣だった。

当時の野手陣は

【スタメン】
1番 左翼 大西 .270 5本 26点 ops.727
2番 二塁 仁志 .265 11本 50点 ops.692
3番 一塁 内川 .378 14本 67点 ops.956
4番 三塁 村田 .323 46本 114点 ops1.062
5番 右翼 吉村 .260 34本 91点 ops837
6番 中堅 金城 .247 9本 41点 ops.636
7番 遊撃 石井 .262 2本 18点 ops.635
8番 捕手 相川 .255 7本 22点 ops.648

【控え】
捕手  鶴岡 .288 0本 2点 (6月に巨人へトレードで放出)
    斎藤 .179 0本 2点
    武山 .230 0本 5点
内野手 石川 .243 1本 13点 10盗塁
    藤田 .241 1本 6点
    佐伯 .269 2本 19点
    野中 .179 6盗塁
外野手 ビグビー .255 8本 29点
    鈴木尚 .269 2本 4本

と、こんな感じであり、超強力なクリーンナップ以外は
規定未達の大西やビグビーが辛うじてops7割をクリアしているだけで
なかなか渋い成績の選手の集まりである。

オリックスから来た大西が1番で定着し、
スぺ体質だった内川がついに覚醒し右打者最高打率で首位打者獲得。
堂々たる日本の4番村田は巨人ラミレスとの熾烈なホームランダービーを
制して2年連続のホームランキングに。
ハマのヘラクレス吉村は34本の綺麗な放物線と歌舞伎投げを魅せ、
東福岡の先輩でもある村田が北京五輪で不在だった時には4番に座った。

そのクリーンナップの両脇を
いぶし銀 仁志
ハマの龍神 金城
既に2000本安打を達成していたレジェンド 石井琢朗
という豪華すぎるメンツで固めて
8番捕手には気の毒なくらいリードを批判されていた相川が座った。

ベンチには
メカゴジラ佐伯・首位打者2回の天才鈴木尚典が代打で控えており、
ドーピング疑惑を背負いながら来日したビグビー
シーズン前半は左翼手レギュラーで起用された。
足の速い野中(盗塁できるとは言ってない)は代走として重宝された。

ポスト石井琢朗の座を狙って藤田石川が1軍の舞台で切磋琢磨し、
特に石川雄洋は後半戦の遊撃レギュラーの座を掴んだ。

2軍の湘南シーレックスには
俊足巧打の覚醒前の梶谷、捕手で大砲候補の高森
地元横須賀出身の大砲 内藤、天性のバットコントロールを持つ下園
装飾品を全て赤でそろえていた下窪
数年後のロッテ戦で満塁ホームランを打つことになる二塁手の北川
などが控えており、
投手陣に比べればマシであったが、
投手陣の大幅なマイナスを補えるほどの実力は有しておらず、
また、数字に残らない守備・走塁のミスが多発しており、
投手陣の足を引っ張ることもあったので、
まあ、そりゃ94敗もするよと納得せざるを得ないチームだった。

喧嘩別れ(序章)

そして、この年のオフには、
15年間レギュラーを務め
投手から野手へ転向して2000本安打を達成した
球団史に残るレジェンド石井琢朗に対して引退勧告を出し、
当然のように拒否されて石井は広島に移籍。
移籍する際も球団からはセレモニーを用意せず、
石井自身が自費でファンへの感謝を伝えるイベントを主催するなど
とてつもなく遺恨が残る形での移籍となり、
ファンの球団に対する批判はさらに増した記憶がある。

1997年・1998年に2度の首位打者を獲得した天才鈴木尚典に対しても
シーズン終盤に戦力外通告を出し、
功労者に対する扱いが雑だなという印象を内外に植え付けた。
2009年のオープン戦で行われた尚典の引退試合は私も観に行っており、
ユニフォームが新調されたチームで唯一旧式のユニフォームを着て、
巨人グライシンガーから放った
雨を切り裂く鋭い弾丸のようなホームランは忘れられない。
マスクを被っていた元横浜の鶴岡も心なしか嬉しそうにしていた。

この琢朗と尚典の去就は
選手の球団に対する不信感を増長させたことは間違いない。
功労者を大切にしない球団に残ろうとする選手は少ない。
尚典への戦力外通告は大矢監督に伝えさせたというのだから
球団の腐り具合・不誠実さは球界トップレベルだった。
実際、08年オフに圧倒的正捕手であった相川が
海外FA権を行使した後にヤクルトへ移籍したのを皮切りに
内川と村田のFA移籍、真田の謎ポスティングに繋がっていき、
この後起こる佐伯との絶縁の原因の1つにもなった。

そして、2008年10月5日に観に行った広島戦では、
川村丈夫の引退試合が行われた。
当時の私は川村には中継ぎの印象しか持っていなかったが、
そのときの引退セレモニーで元来先発投手であり、
異常な飛翔癖の持ち主であったことを知った。

最後に

ファンになった2008年が結果的に見れば
TBS時代最終盤の長い暗黒時代の入り口であり、
選手の実力以前の問題が清算できないくらい
山積みになり始めた時期でもありました。

球団の腐った体質や
選手のありえないくらいの意識の低さは
また今度書くとして、
よくもこんな球団を好きになったなとこの文章を書きながら思いました。
逆に5・6歳くらいの詳しいことがあまりわからない時期だったから
好きになれたのかなとも思います。

横浜市内の小学校に通っていた時は
学年全体60人の中で私が唯一のベイスターズファンで
他はみんなジャイアンツファンでした。
それくらい遠く、薄い存在でした。

しかし、今では学校給食で青星寮カレーが出るほど
ベイスターズは身近な存在で人気もあります。
素晴らしい時代です!
二度とあの時代には戻らないように応援していきたいと思います。

今回もこんなダラダラとした長文を
最後まで読んでいただきありがとうございました!
最後らへんは自分でも何を書いているのかわからなくなってました(笑)
これからも沢山文章を書いていきたいので
引き続きよろしくお願いします。




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