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【雑記】エドワード・ヤンのとりこ。

2024年の7月後半から、新宿ケイズシネマにて以下のような特集上映が実施されている。

平日の日中にもガッツリと組まれており、さらに土日もスケジュールと噛み合わなくてほとんど断念せざるを得ないのだけど、『台北ストーリー』だけは絶対に外したくなくて、仕事を定時で切り上げて額に汗を浮かばせながら観に行った。良かったよ‥。

そこまでして『台北ストーリー』を劇場で観たかった理由は、2つある。

まずは本作が配信されていないこと。エドワード・ヤンの作品のいくつかは全く配信されず、さらにパッケージも再生産されないため、その希少価値が高まっている。その夭逝ゆえにやや寡作気味の監督である上に、そもそも劇場で観る他に手段がない、という理由だ。

そしてもう一つ。今年はエドワード・ヤン作品の上映が都内で続いており、自分もゴールデンウイークに彼の作品を3本も組んでいた早稲田松竹に足を運んだ。昨年の『エドワード・ヤンの恋愛時代』4K版の公開を皮切りに、何か界隈で秘密裡に話が進んでいると睨んでいる。おそらく権利関係の処理が進んでいて、別作品のリマスターが予定されているとか、配信が解禁されるとか、そういった動きを勝手に期待している。『恋愛時代』の4Kを配給したビターズエンドさん、よろしくお願いします!


という訳で、何か大きな動きがある前に、というかそもそもあるのかどうかすら分からないが、エドワード・ヤンの"機運"に乗っかりたい!というのが二つ目の理由。

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さて、早稲田松竹で観たのは『エドワード・ヤンの恋愛時代 4K』『ヤンヤン 夏の想い出』の2本。どちらも胸を突きさされたような刺激を味わって、すっかりエドワード・ヤンの大ファンになってしまった。

ちなみに『牯嶺街少年殺人事件』も同時に早稲田松竹で公開されていた。2023年の夏にも公開されていて、ぼくはその上映ではじめてエドワード・ヤン作品に触れたわけだけど、あの尺の長さを日比谷シャンテの椅子で耐え切る体力がなく、何度も寝落ちしてしまった。そんな経験が先行してしまい、昨年時点では彼のことをあまり注目していなかったのだ。

今思えば本当に惜しい体験だった。もう一度観るには相当の覚悟が必要だし、観る順番と劇場が違っていたら『牯嶺街少年殺人事件』も生涯ベスト級の映画として心に残っていたことだろう。記憶を消してもう一度観たい。それくらい、彼の作品を好きになっている。

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ここからは作品の中身についてちょっと話してみる。
どの作品でも共通していると思うのは、やはり全体的に退屈なことだろう。アップダウンのないストーリーに人物相関の覚えにくい群像劇が掛け合わさり、起承転結のどのあたりを歩いているのか、そもそも起承転結が存在するのか、など思案していたらいつの間にかクライマックスになっていた、みたいな感覚がある。

この感覚を最初に認識してしまったのがクーリンチェだから、初体験にしてはそれはそれは退屈だったという次第だ。

その退屈さこそエドワード・ヤン作品の魅力なんだけども、それは彼の物語がいかに無添加でオーガニックか、ということに由来する。

たとえばキャスト。『台北ストーリー』『恋愛時代』ではイケメンや美女が登場し、観客の心を鷲掴みにするようなトキメキがあるわけではない。その代わり、台湾の市中のどこにでも存在するような、名も無き一般人たちの恋愛模様を並べたてるのだ。だからこそ出来事が卑近に感じられ、その時代を生きたひとたちの等身大な物語になる。

もしくは季節。『ヤンヤン 夏の想い出』でも、取るに足らない日常の積み重ねと悲喜こもごものたくさんをカメラを通して目撃したヤンヤンが、弔辞として人生を語る、という最高のエンディングにつながるのだ。夏の明るい爽やかさ、強い日差しのエネルギー、そして雷雨のような急転直下。ドラマチックで恣意的な演出に頼るのではなく、夏を描く映画ならば夏の空模様を物語のストーリーテラーに抜擢するという、その正直が心底好きだ。

等身大で、正直。エドワード・ヤン作品にぴったりのいい表現だな。

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一方で、全編が無色透明・無味無臭という訳ではない。個人的に着目したいのは、彼の美しすぎる採光だ。

そもそもフィルムで撮影されているから、既に味のあるザラメな仕上がりになっている。さらに照明も最小限な印象で、昼間の自然光をベースに撮影されているのはもちろんのこと、夜もめちゃくちゃ暗い。そこで台北のネオンライトが都市の喧騒を演出するし、車のヘッドライトの往来は人間関係の陰影を醸し出す。

『恋愛時代』の早朝のオフィスで出窓に腰掛けたモーリーとチチが語らいあうあの美しさ。台湾の街が日夜急成長を遂げているところ、あのシーンだけは時間の流れが悠大に感じられた。シルエットと化したふたりの友情がこの先も続くと、夜明けの光が暗示している。あのシーン、映画史きっての美しさ‥。

そして、男女のうつろいを描いた『台北ストーリー』の終盤、夜を走る車のヘッドライトが照らすのは、さまざまな建造物。その表面の凸凹を右から左へ、そして左から右へなぞっていく。ヘッドライトのビームが照らす光の部分と、その陰の部分。大都市のを行き交う人々の心情を表現する方法として素敵すぎる。

他にも、個人的には「窓」が好きだ。街を見渡せる都会的な窓、小さな家にすっぽりと収まっている庶民的な窓。その窓が取り込むのは、電飾の光だったり太陽の光だったり様々で、身をひそめたくなる夜には光を取り込まずにいてくれる。「窓」が会話劇の物理的なステージになっている。独創的でロマンチックです。


まあ、それっぽい分析をしてみたところで、視覚的な美しさと絶妙な人間関係の機微を感覚で捉えてこその醍醐味でしょう。作為のない物語に詰まっているのは、等身大な人間たちの素直な喜怒哀楽だ。そのひたむきさを愛したい。

ちなみに彼の作品でまだ観られていないのは『恐怖分子』『カップルズ』だ。『恐怖分子』はリマスター版のブルーレイが高騰しているし、『カップルズ』に至っては未ソフト化のようだ。さっきも書いたけど、昨今のリバイバル上映の幕の裏側で、エドワード・ヤン作品の再流通の準備が進められていますように。

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