![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/141649631/rectangle_large_type_2_24ee6bc4b1f666e4f04155513e851576.jpeg?width=1200)
「モブたちはどう生きるか」
個人史的な話をすれば、「耳をすませば」こそが「君たちはどう生きるか」という問いに対するアンサーだった。
「あなたは素敵です。慌てることはない。時間をかけてしっかり磨いてください。」
その時の宮崎駿は、そして近藤喜文は、当時の若者達へ向けてまだ「労働せよ」とまでは宣っていなくて、あくまでも「悩め」とだけ添えて、祝福した。
約30年経って今作を観て、結構笑った。
「もう時間がない」
誤配も誤配。当時若者だった私はもう「君たち」では当然なく、脳内の予測変換には「モブたちはどう死ぬか」という文字列がサジェストされる。
いや笑ってる場合じゃないんだが。
でも面白いんよなぁー、やっぱ変やわこの人。観念的な問いを続けながらも、肉を切る感触や帆を立てる過程などの具体的な労働を通して「体験と感触」を捉え直し、また別の、ゼットやアルファと名付けられた子どもたちを、それでもやはり、祝福する。
岡田斗司夫とかがする"考察"に意味も意義も感じない私のような人間はもう本当にいよいよ「お呼びでない」のだろう。
その後のNHKの特集で、宮崎駿にとっての高畑勲の巨大さが、自分の想像以上だった事を知る。
そこで一層、余りにも早かった近藤喜文の死を悼んだ。
モブはモブなりに生きる事にする。