見出し画像

うつからの脱却、想像していなかった未来が訪れた

大学を卒業して、警察社会に身を投じた。意識はしていなかったが、一生の仕事にするつもりだった。父親が職を転々とし、経済状態がよくなかったので、反面教師にして、そう考えていたのだと思う。

やりがいはそれなりに感じていた。仕事も面白いと思っていた。しかし、55歳を過ぎたあたりから肉体的に疲労を著しく感じるようになった。
「疲れた」が口癖になっていた。燃え尽きてしまったのだろうか?
やがて、仕事の失敗が増え、自己嫌悪に陥るようになっていた。

精神的につらくなった。仕事の日、朝起きられない。やっと起きて身仕度をしても出勤ができない。自分ではよくわからない。とにかく苦しかった。

自分でもおかしいと感じ、心療内科を受診した。「うつ」と言われ、仕事を休むように指示された。職場に伝えると、半年間の休職になった。ほっとした反面、自分が情けない。職場では、どう思われているのだろうか?

抗うつ剤を処方された。これを飲むと身体がしびれ、動かなくなる。床に転がり、1日丸くなってじっとしている。廃人のようだった。死んでしまいたいと思うようになった。1日ずっと死ぬ方法を考えていた。

娘が心配して、幼い孫を連れてやって来た。孫を見ているうち、「死んではいけない、生きるんだ。」と思うようになった。

薬を減らし、規則正しい生活を送ることから始めた。少しずつ、家の掃除など家事をすると、少し楽になった。「警察を辞めて、他のことを始めればいいんだ。」と考えるようになった。

職場の上司が来春の退職枠に加えてくれた。半年の休職後、有給休暇を使い切れば、3月いっぱいまで足りる。職場に復帰することなく退職できる。

悔いはなかった。勤続35年、やり切った感はあった。人生の第1幕が終わりを迎える。

でも、辞めてからどうするんだ。「うつ」のまま、一生を終えるのか?

「うつ」のまま、終わりたくない。急に怖くなった。

人生の第2幕はないのか?

脳裏に浮かんだのは、医療に関わりたいという思いだ。きっかけは、寝たきりになった母親の言葉。意識はしっかりしていたが、右手しか動かせない彼女はある日、「殺してほしい」とホワイトボードにその右手で書いたのだ。

拘縮で関節、筋肉が痛む。
母親の姿を見るのは辛かった。
痛み止めのクリームを塗ってマッサージすることしかできなかった。

生前の元気な頃、「寝たきりだけは嫌だ」と言っていた。
もっと、自分にできたことはなかったのか?

倒れる前日、明らかに様子が変だった。
医学の知識があったら、助けられたかもしれない。

母親は助けられなかったが、身近な人を助けたい。

そんな気持ちから、医療に関わりたいと思うようになったのだ。でも、何をしたらよいのか、わからずにいた。

うつが少し落ち着いた頃、鍼灸師の番組を見た。一軒家で看板も出さず開業して患者さんを診ている。凄腕の鍼灸師だ。鍼治療で大抵の患者さんを治してしまう。施術が終わった時、患者さんの笑顔が特に印象的だった。

鍼灸師について調べた。専門学校に3年間学んで国家資格を取ればなれる。幸い、家の近くに専門学校があった。しかも、定期的に入学生を募集している。社会人枠もある。

人生、良い方向に流れて来たと思うと、生きる気力が湧いて来た。早速見学に出かけた。教員が優しく熱心に説明してくれた。心がわくわくした。

家に帰ると、妻が「お父さん、いい顔している。何かいいことあった?」と聞いてきた。妻に専門学校のことを話し、入学したいと言うと、「もう一度、夢を追いかけてみたら、人生まだ、半分よ。」と応援してくれたのだ。

うつを患っていると、面接試験はつらかったが、何とか無事終了し、合格発表と入学通知が来た。人混みには行けなかったが、うつはだいぶ良くなった。

定年退職まで3年、57歳で警察を退職した。
そして、地元の医療専門学校の鍼灸学科へ入学した。

入学式の日、人の多さに気分が悪くなった。隣にいた同じ年代の人が「若い人ばかりね、負けないように頑張りましょう。」と声をかけてくれた。話しをするうち、気分の悪さは消えた。同級生の友人ができた。これで安心して、勉学に励めるだろう。

しかし、少し考えが甘かった。東洋医学だけではなかった。
生理学、解剖学、病理学などの西洋医学のオンパレード
膨大な勉強量、記憶力の低下を呪いながら、必死に勉強した。

「うつ」のことは、考えなくなっていた。

人生の中でこれほど勉強したことはない。
勉強することが楽しかった。
歳を重ねた時の方が知らないことを知りたいという意欲に不思議に駆られる。

3年間の学校生活はアッという間だった。
国家試験に合格し、はり師きゅう師(鍼灸師)になった。
でも、資格が得られただけ単なる出発点

「うつ」は治った。
次の目標ができた。臨床を積んで治療家となることだ。

鍼灸接骨院に就職した。
訪問施術を担当した。
初めての患者さんはギランバレー症候群という難病
寝たきりの50代の男性だった。
末梢神経が障害され筋力が失われていた。
院長から長い付き合いになるからよろしく頼むと言われた。
ベッドから車椅子に移譲するのがやっと
握力が低下しペットボトルのふたの開け閉めができなかった。

男性は鍼治療を嫌がった。
パッドを貼って電気をかけた後、お灸をするしかなかった。
お灸は温泉に浸かっているようで気持ちが良いと気に入ってくれた。
手足や脊髄に沿って背部を丹念に施灸した。
週2回の訪問を数か月続けた。

ある日、車椅子から立ち上がることができた。
握力も戻って来たと言い、ついには自力歩行ができた。
加速度的に回復して1年後には職場復帰した。
長い付き合いになるはずが1年で卒業した。

何故回復したのか、わからなかった担当医からどんな施術をしたのか?照会があったが、丹念にお灸をしただけとしか答えられなかった。

私は鍼灸の力に心底驚き、この仕事に誇りと使命感を持てたのだ。

現在は開業して、主に高齢者の患者さんを診ている。
患者さんが「先生、楽になったよ」と笑顔で答えてくれるのがうれしい。

「うつ」の時は、全く想像できなかった未来。死んでいたら、何もかも終わっていた。心の持ち様で人生変わるのだ。

#想像していなかった未来

いいなと思ったら応援しよう!