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嘘から出た真は、嘘か真か?

嘘です。


 ズバリ、結論から申し上げました。
 嘘から真は出ません。嘘からは嘘しか出ないのですが、出た嘘を真しやかに真に置き換えて解釈したに過ぎません。つまり、嘘をもって真に寄せていったとでも申しましょうか。嘘は嘘なのです。どこまでいっても嘘。一方、真の方は真が出る準備が整ったところでもって、満を持して真の登場と相成ったワケでございます。真の方は嘘から出たつもりなど、毛頭も毛根もございません。もしも、本当に嘘から真が出たとしたら、その嘘は実は嘘ではなかったということになりまして、真が嘘をついて嘘のフリをしていただけで、実は真であるというのが真の姿であるという嘘をついていたということになるのが真の真相なのです。けれど、これを真の嘘とも表現できますし、嘘から出た真という様に見て取れなくもなくはないですが、それでもやはり嘘からは、あくまで嘘しか出てこないのです。嘘から真が出てしまっては、因果律が狂います。嘘の種を蒔いて、真の花が咲くことはないのですよ。真に真の花が咲いたのなら、蒔かれた種である嘘は、嘘であるという体の嘘をついた真の種なのです。嘘と真の関係性には、量子もつれのような現象は考えられません。真という結果を受けて真がスタンバイするのではなく、仮にどれほど周到に嘘に見せかけられた真であっても、ちゃんと嘘ではない真が用意されていたからこそ、結果的に間違いなくそこに真が存在するのです。しかし、このような些末ことを丁寧に証明してみたところで、面白くも何ともないのですから、決して真面目に考えてはいけないというのが、嘘のような真の話なのであります。同様の理論で、鳶は鷹を生まないとも言えますが、これはそもそもイマイチな親とデキのいい子の関係性を擬した譬喩的表現であって、人間であるなら人間しか生まないですし、鳶や鷹が生まれたら、それは嘘というのが真なのです。いや、もしも、嘘じゃなくして、鳶や鷹が生まれたら、貴方は人間じゃなくして実は鳥だったというのが真です。当然ですが、サビだって身からは出ませんよ。まぁ、出るとしたなら、垢とか皮脂とか老廃物が真でしょうね。なので、嘘から出た真については、嘘から出た真『のようだ』と言うのが、卒のない真と言えるでしょう。
 …嘘なんですけど、これが真なのです。いや嘘ウソw冗談ww嘘から冗談もでますけど、瓢箪から駒は、タネを仕込まない限り出ませんって噺です。


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