【シモーヌ・ド・ボーヴォワール】老い【読書感想文】
この本は「老いるとどうなるか?」を教えてくれる本です。
老いの苦悩は4種類ある
老いとは中途障害者になることである
4種類とは「生理的」「文化的」「社会的」「心理的」です。
生理的とは
シンプルに、体の衰えのことです。
社会的とは
認知力や体力の低下によって仕事のパフォーマンスが下がり、定年退職や仕事を失うことです。
文化的とは
家族の中で「おじいちゃん」「おばあちゃん」という立ち位置になって
それらしく振る舞わなければならないということです。
心理的とは
心と体のギャップです。
老人は自分を責めやすくなる
老人になると、昨日できていたことが今日できなくなり
今日できたことが明日できなくなるということです。
当然「なんでこんなこともできないんだろ?」と苦しむことになります。
高齢者は若くて健康でなんでもできていた頃の元気な自分の記憶があるからこそ
今の自分との大きなギャップに苦しみ「不甲斐ない、情けない」という感じで
自分を責めてしまいやすくなります。
老人になると仕事のパフォーマンスが下がり、成果が出せなくなる
この社会は老人たちがまだ頭脳明晰で、身体が健康である限りは彼らを尊敬するが、老いぼれてしまうと厄介払いしてしまいます。
この世界では50歳、60歳になるとパフォーマンスの低下が見らるようになります。
このようにほぼすべての仕事はたとえ若いときに天才的な能力を持っていても、衰えていきます。
しかし、習得に時間がかかる仕事を選んでいると、なかなか仕事を失われないし、尊敬されて続けやすいということになります。
老いたら性欲はあるべきではない
生殖機能が減退あるいは消滅した個人は、それだからといって無性化されたわけではない。
そもそも性欲って食欲と睡眠欲と並ぶ三大欲求です。ムラムラするのは性器ではなく大脳だからです。
生殖につながらない性欲は「気持ち悪い」「無価値だ」という大多数の圧力があるからです。
そもそも「人の肌に触れたい」というのは誰にでもある当たり前の感情です。
にも関わらずとくに老人は性欲を表に出すと周りから白い目で見られてドン引きされてしまいます。
だからこの社会はもう少し老人の性欲に対して寛容になるべきです。
老人は職場にも家の中にも居場所がない
老後の世話は必ずしも歓迎されるわけではない。嫌だけど仕方なく介護をしている人も多い。
妻が夫から受けるストレスの中で最大のストレスだと言われているが「夫が家にいること」だと言われています。
このことから、老人になって家から全く外に出ないと家庭がうまく回らなくなるってことです。
だが本当に一番きついのは老人の一人暮らしになります。
老人ホームに生きたい老人などほとんどいない
集団生活なんてやってこなかった人間が、いきなり70歳、80歳になってから
別に一緒にいたいと思っていない人といきなり一緒に集団生活をすることを強いられるわけです。
ただ職場にも家にも居場所がないし、働けない
なおかつ家族と一緒に住んでも迷惑ばかりかけてしまうから仕方なく
老人ホームに入る老人がほとんどです。
老人の問題のある行動は、自分たちが抑圧されていることへの抗議です
問題行動というの、いわゆる老害みたいなことです。
高齢者が突飛な行動をするのは、自分の権利が剥奪されていることへの怒りや抗議のことです。
だからといって迷惑行為が許されるわけではないですが、迷惑行為の裏には、家族や社会の高齢者への不遇な扱いがあるということです。
老いは個人ではなく、社会全体が引き受けるべき課題です
高齢者が行きやすいように社会全体が手を差し伸べたほうがいいってことです。
いつの間にか気づかないうちにわたしたちも老人の一人になっていきます。
だから今の老人が「苦しい、きつい」と思う世界は
回り回って、いつか自分たちが「苦しい、きつい」と思う世界になります。