どうして今、地理学なのか
「最近、地理学の自主ゼミ始めたの」。
友人にこの話をすると、だいたいは怪訝な顔をされる。それもそのはず、私は3月に卒業を控えた大学生であり、4月からは地元の金融機関で働くことになっている。これから必要となる資格ならまだしも、ぜんぜん関係のなさそうな地理学なのか、というか地理学ってなんやねん!そう思われても仕方がないだろう。
今回は、地理学を学び始めた3つの理由について考えていく。一本目がたくさん見られたため自分の中で投稿のハードルが上がっているため、ハードルを下げるための記事である。単なる自分語りになるが、ワクワクを共有できたら幸いである。
理由① 地理学の使う道具が好き
一つ目の理由は、地理学で分析をする時に使う道具が好きだからだ。それは2つあって、フィールドワークと地図である。フィールドワークとは、観察と記録によって問題の発見や検証を行うという事だ。
なぜ好きなのか考えてみる。無自覚ではあるが、フィールドワークを初めて行ったのは、2020年2~3月に復興創生インターンで訪れた福島県葛尾村だった。1ヶ月現地に滞在して、全く知らなかった世界に実際に触れる事で一つ一つ学ばせてもらった(最後に提案を行った)。そのプロセスは不器用そのものだったが、一連の経験は私の歩む道を全く変えてしまうほどに大きなものだった。
インターンの前、私は経済学部生らしく経済学と統計学の基礎を学んでいた。その動機は、単純に憧れだとかそんなものだったと思う。しかし、それ以降、考え方が大きく変化した。初めて「私は何をしたいのか・それはなぜか」という問いを持ったのだ。そんな時に出会ったのが、文化人類学者の田中利和先生である。第一印象は「大学というより経営者みたい」だった。実際、自らの働きかけでエチオピアに、日本の地下足袋と掛け合わせた新たな文化を芽吹かせる事を研究テーマにされている。経済学部の先生方は、なぜやりたいのかとか、これが楽しいとかを表立って語る事は少ないと私は思う。その問いにぶち当たった私の目には、学問の世界でそれを語る田中先生が際立って映った。
葛尾村での経験と田中先生との出会いが、だんだんと私の行動を変える事になる。その後何度も葛尾村を訪れたし、田中先生からたくさんの事を学び、そして背中を押していただいた。その積み重ねの結果、フィールドワークは自分と切り離せないものになったのだ。
もう一つの分析道具、地図とも深い縁がある。もともと地理という科目が好きだった。中学高校と授業内容が難しくなる中で、地理だけは最後まで楽しく学んだ。だから地図、特に当時は世界地図を見るのが好きだった。そこから月日は流れ、2021年6月、私は散策マップを作る事になる。
その背景はいつか記事にするとして、実は私は最初、散策マップの作成に乗り気ではなかった話をしたい。ざっくり言うと地域貢献と交流の促進を目的にチームで企画することになっていて、私は地域の特産品を扱う物産展を提案した。ただ、これがややこしくて、話の順番は本当は逆で、物産展を提案したところ、その目的に賛同して仲間が集まって来た。そこで、目的について議論を重ねるうちに、物産展よりも散策マップの方が良いという事になったのだ。私としては、提案した案で、しかも「物産展チーム」というチーム名にもなっているほどだったため、納得するのに時間がかかったという訳だ。
こちらが成果物だ。地域のお店の選定・交渉から内容・デザインまで全てをチーム6人で行った。数え切れないほどお店に通い、その魅力を見つけられるだけ見つけた。その結果掲載店舗は14店にのぼった。最も胸を張れるのは、その膨大な作業の全てを皆が主体的に行った事だ。いろいろあるその要因についてもまた今度。結局ここで何が言いたいかと言うと、散策マップを作るという過程全てが、本当に楽しいものであったという事だ。それは、今後もいろんな場所で散策マップを作り続けたいと思うほどに。このように、私と地図には不思議な縁があるようだ。
理由② 自分にフィットしたから
二つ目の理由は、自分にしかできない表現ができるから、と言えばかっこいいのだが、自らの状況にフィットしたから、の方が適切だろう。つまり、すでに決まっている今後の仕事との相性が良さそうだからだ。
もちろん、地元の金融機関、要するに地銀を適当に選んだわけではない。自分の持つ少ない情報の中から、価値観に最も合いそうな会社を選んだつもりだ。一方で、今の私は同じ仕事をひたすらやっても疲弊しないでいられるほどの目的意識は持ち合わせていない。だから、仕事オンリーにならない、仕事にも仕事からも生きるような趣味みたいなものが必要だと考えていた。
そんなタイミングで地理好きの一回生Yくんと出会い、私たちは意気投合した。その場で12月からの自主ゼミの開講を約束し、実際に毎週3時間に及ぶ議論(と雑談)を交わすようになった。
自主ゼミ開講をその場のノリで決定して以降、私にとっての地理学の意味の探求が始まった。理由①で述べたような事は学び始めてから分かった事だ。最初の動機になったのが、仕事と関係がなさすぎないけども打ち込める趣味を得る事だった。Yくんは、就職活動の説明会の手伝いをしていた時に京都信用金庫の人事の方がこのように言っていたのを聞いたという。
「銀行員という専門家としてだけでなく、土地を理解すること、土地に合った見方で向き合う事が大切だ」。
この言葉は、老舗企業の多い京都に拠点を置く信用金庫ならではの発言だろう。だから全ての銀行でこの考え方が重んじられているとは思わない。でも支店で勤務する事になれば、その土地の商売の特徴を知る事にはなるだろう。産業の形態、働く人たちの考え方、抱えている課題など。このような事に触れる事は、地理学的には格好のフィールドワークの現場になる。ここから得た気づきをその地域を理解する事に繋げたり、地域を知る事がその地域に住む人への向き合い方を変えるかもしれない。最初は仕事で疲弊しないためという後ろ向きの理由だったが、銀行員かつ地理好きという自分なりの目線を持てるのではないかと期待している。
理由③ やり続ければ面白い未来に
三つ目の理由は、何の理屈もない、ただの希望的観測である。
自主ゼミを開講する際、大学の地理学の教授に教科書ややり方について相談した。そこで先ほどの散策マップを見せると、このような言葉をいただいた。
「それを100枚作ったら本になるよ」。
100枚作ったら本になる。この言葉に私は、得体のしれないゾクゾクする感情に襲われた。支店を移るごとに作ったとして、100枚なんて作れる日が来るだろうか?それは無理だろう。それを専門にすればできるかな?いや、同じ作り方ではきっと採算がとれないだろう。50枚だって無謀な数字だ。でも、そこを目指してずっとやり続けていれば、同じくらい面白い未来にたどり着けるんじゃないだろうか。教授のつぶやきをきっかけに、本気でこんな事を思ってしまった。
最も、妄想だけで満足してしまう弱さは誰よりも自覚している。でも、地図だけは作り続けたいと思う。その場で出会った人と共創するプロセスは、一度経験したら止められないほど楽しい。面白い未来を期待しつつ、私は地図を作っていきたい。
まとめ:日常を面白く
この後何を書こうかと悩んだまま3週間が経過してしまった。結局私は何がしたいのか、まだうまく言えない。今はこの熱量が続く限り突っ走りたいと思う。ここではその一部を表す言葉として、第1回自主ゼミレジュメの最後の言葉を引用したい。
「地理学を学ぶことによってもたらされる最大の贈り物は(能力的な成長ではなく)、誰でもが、その後の人生をより豊かに過ごすことができるようになり、そして、私たちの眼によって眺められているものが何であるのかを正しく理解し、評価できるようになる事である。(p.25ハゲットの言葉の要約)」第1回自主ゼミレジュメp.7より
日常を面白くする試みは、まだ始まったばかりだ。
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