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老いること、病と生と向き合うこと。

加藤諦三氏の言葉をこのお正月中にネットで見て、ほほうと。

<人は、一番甘えてる人、一番好きな人に、攻撃的になります。>

この一文を読んだ時に、スコットランドに戻ってしまってここしばらく会えていない友人の事を思い出した。

もう30年近く前になる、それは亡き夫の癌の闘病中だった。癌宣告をされても最初の数日間は受け入れられず、眠れない時間を過ごした。スペインで暮らしていたが、幸いにも良き友人に恵まれていた。スコットランド人の友人は盲学校の校長先生をして退職した人だった。夫の癌治療が始まった頃、その友人夫婦の家に食事に招待された。そのときに、彼女が "大事なことを一つ言わせてね、多分どちらもとってもこれから辛い時期を過ごすと思う。病人が一番辛くあたってしまうのが、パートナーとか同居している家族。自分の痛みや苦しみのイライラをつい出して甘えてしまうの。そして極端な話、男の人の場合、ときには暴力をしてしまうこともあるのよ。だから二人ともそんなこともあるかもしれないってわかっておいて、そしてそれは病気がさせてるのだって思ってね。"と私たち夫婦に言っていた。その時はそれが大事なことだと思わなかった。夫との仲もとっても良かったし、わたしは全面的に彼の闘病を支えるつもりだったから。

その夫の最後のクリスマス、スコットランド人の夫婦がクリスマスディナーを我が家に運んできてくれて、一緒に食べた。その席で、夫が彼女に、君の言葉があったから、カッとなることがあっても自制できたと感謝を述べた。わたしは毎日を乗り切ることに夢中で、彼女が言った言葉を忘れていた。でも夫が発した言葉で、ああ、そういうふうに彼が我慢していたんだなと初めてわかった。

スペインのご近所さんにイギリス人老夫婦がいた。ご主人が脳梗塞で車椅子暮らしだった。わたしはそのご主人の元気な姿は知らなかった。いつも午後は庭で車椅子で過ごしておられた。失語症のため、言葉はほとんどなく、口から出てくるワードはFxxx とか Sxxx という放送禁止用語のみ。それは、それははっきりとその言葉が出てくるので、いつも奥様が、ごめんなさいねとお詫びされていた。彼らを昔からよく知る友人は、彼は紳士で、病気以前にはそんな言葉を口にするのを聞いたこともなかったと。そして彼は、自分の思ったように行かない時には、妻を叩くこともあるということだった。もちろん車椅子だから、夫人は逃げれるし、立場もきっと強いだろう。でも言葉が出ないもどかしさは、きっとどうしようもないイライラとなるんだなあとその時に思った。

自分が怪我をして、長期の入院をして、車椅子や松葉杖を使う生活をして、新世界に入り込んだ。例えば、松葉杖を使って、エスカレーターに乗ることは恐ろしく難しかった。うまく乗り込めるか、転けてしまわないか恐ろしかった。同じく動く歩道も、最初の一歩がものすごく難関だった。そして動くスピードをもう少しゆっくりにして欲しいと思った。自分が健全者であった時には全く想像だにしなかった。人間って自分がその立場にならないと、気が付かないことばかりなのである。

今日本の高齢者社会。都会のエスカレーターや階段生活はお年寄りにとって、また障害者にとってハードルが高いだろう。身体の片側に障害があると、使える手足が限られている、それに加え、片側を急いで歩く人用に開けておくこと、これはとっても残酷で難しいことだということに 多くの人に気がついて欲しいと思ってる。若く、バリバリ働いている時は、一概にして心の余裕がないし、関心もない。ともかく自分の事だけに集中していないと他人のことに優しくしていると、日本の都会では暮らしていけないんじゃないかと思う。わたしは急いでいるのだから、もたもたそのあたりを歩く、子供、老人、障害者、そこをお退きなさい!になるのではなかろうかと思う。わたしもその当時、気が付かなかったということにおいては、同罪である。

わたしと陶芸家の親友には、大きな共通点がある。それはお尻に蒙古斑マークがあること。今の若い人たちは蒙古斑ってご存知であろうか。日本の子供達は今でもそれを持って生まれてくるのであろうか。。。それに関してはわたしはわからない。少なくともわたしの時代には、新生児の大半に蒙古斑の青いアザがお尻にあったと思う。それは大きくなると薄くなってやがて消えてしまう。ところがわたしも友人も同じあたりにいまだにうっすらと残っている。大人になれないまま、あちらの世界に戻ることになりそうだ。

アメリカを旅した時わたしと友人はこの事について少し調べた、それはアメリカインディアンには蒙古斑があるかどうかだった。陶器から見る民族の移動、インディアンや、南アメリカのインディオ達とは、かなり同じスタイルのものがあること。だから大陸がくっついていた時にはきっと同じ民族から枝分かれしているんではなかろうかと。カリフォルニア南のアメリカインディアンと音楽的な関わりがあった友人が彼らを紹介してくれた。そのアメリカ人の友人が嫉妬するぐらい、私たちはすぐに彼らと溶け込んでしまった。もちろん知りたいことについても答えてくれた食事にも招待してくれた。彼らももちろんこの蒙古斑を持っていた。なんかとっても嬉しい瞬間だった。私たちをファミリーと呼んでくれた。この件について、南アメリカのインディオについても知りたいのだけれど、いまだにそれを調べる機会はない。このコロナ騒ぎが落ち着いて、そのうちゆっくりグアテマラや、エクアドルを訪ねてみたい。実際にモンゴル班がある赤ちゃんを見たいなって思う。

閑話休題。病気になることも、老いることも全てがとっても自然な流れなんだと思っている。だから自然に、気持ちよく老いる努力はしているつもり。老いることはきっと誰かに迷惑はかけるだろう。家族でなくっても、介護をしてくれる人や、病院や。それもきっと自然なことなんだろう。もちろん自分の身体そして健康には気をつけて、運動もして、できる限り自分のことをしていくような力は保っていたい。でも病気や事故は、ときとしては自分の思意に反して突然やってくる。

スイスでわたしも夫もEXITという安楽死の協会にも名前を置いている。そして自分がどのように終末を迎えたいのかを、可能な限り指示をしてある。子供も直接の家族もいない私達、やっぱりはっきり示しておこうと夫とは話し合った。このような手続きをしたとしても、病状によってそれがスムースにいくとは限らない。でも少しでも元気である時にしておこうと、いざ自分が病気になってしまった時には、そういうことをする余裕があるかどうかがわからないから。

盲腸に始まり、胃潰瘍、子宮筋腫これらは30年近く前の話だから全て開腹手術、子供の頃は心臓神経症そしてパニック症候群、病気経験も十分に豊富。夫の癌治療で明け暮れた数年、脳梗塞の友人そのリハビリに明け暮れた数年間。そしてちょうど10年になるが、交通事故で失ったわが踵。30回近い皮膚移植の手術。車椅子生活と松葉杖生活。大量の輸血。 おまけに最近では白内障の手術まで加わった。本当に盛りだくさんな病気とのお付き合いである。病院に入院したこともない、手術をしたこともない人にとっては、よく生きているわねえと言われるから。

わたしにとって、若さの象徴ってのは、ぴちぴちしたみずみずしい肌、赤ちゃんの摘んでもすぐに元に戻る柔らかい肌。そしてよく見える目。どうしてこんなものが読めないわけ。。って若い頃、両親を見ていてよく思った。でも、いつの間にか暗いところでものが見にくくなったり、かすんだり、疲れたり、視野が狭くなったり。肌はカサカサになりシワ、シミが出てきて、なんだかたるみが出てくるし。肩、腕、膝、腰、首などのどこかの関節が痛くなってなかなか治らない。更年期障害でホットフラッシュが出る。歯の調子が悪くなる、髪の毛が細く薄くなってくる。なんという人生の罰ゲームって思うこともある。

それでも、今この世に生きている事、生かされている事にとっても感謝をしている。幼少期から青年期いつも生きるという事が不慣れで、不器用で無様だった。でも残りが少なくなると共に、生きることがとっても楽になった。自分にも誰に対して期待もしないし、そのままで受け入れることができる。足の事故をして、動きが不自由であったり、困ることも多いのだけれど、なんだかそれすらありがとうって言える。そしてとっても怖がりで用心深い長女気質のわたしが、気がついたら怖いものが消えてしまっている。なんとラッキーなことではないか。

若い頃より、身体的な問題があっても今が良い。もちろんあの頃の肉体もちょっピリ未練があるかな、でも不安定だったし、人間的には本当に未熟だった。今が良いと言えるのは、やっと辿り着いた結果の幸福なのだ。その幸福は単純でちっぽけなものなのだ。追い詰められずに、大きく深いため息ができること、そして信頼できる夫がいて犬がいる。そんなことなのだ。日本では若い人の死亡一番ランクが自殺である。そんなニュースを知る度に死にたくなる人に言ってあげたいと思う、もう少し頑張ってみようよ、歳を取った時に悪くなかったな、ここまで来れて良かったな、、って思うかも知れないからって。

2022年、もうひと月が過ぎた、寅年は私たちにどんな未来をくれるのであろうか。足掻くことなく、流れに乗りながら今年も無事に乗り切れればいいなあ。願わくば、大きな自然災害を避けることができ、そしてコロナウイルスも終焉に向かってくれるといいなあと思っている。そうすれば日本に戻って大事な友達や家族に会うこともできるから。