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『突然死』【ショートショート】

 消毒液の香りが鼻を突き刺す。白くて明るい蛍光灯に照らされた部屋で、回転する丸いイスに座っていた。机の上の画面には、どこかのロゴが上下左右にぶつかりながら漂っている。
「お待たせしました」
 私と同い年くらい、つまり40代くらいの男が、白衣を着てやってきた。その顔はひどく疲れていて、それは私の診断結果が悪いことを無言で伝えてきているようだった。
「驚かないで聞いてくださいね」
「はい」これは相当悪いんだなと直感した。唾を飲み込む。
「結果は、大腸がんでした。でも、それほど問題はありません。かなり早期での発見でしたので、しっかり治療すれば治りますよ」
「えっ。じゃ、じゃあ。私は死なないんですね?」
「大丈夫ですよ。安心してください」

 スタジオでは、半円形のテーブルに沿うようにコメンテーター達が並んでいた。ベテランのアナウンサーが司会を務めるこの番組は、この国で最も有名な報道番組だった。
「朝から物騒なニュースが飛び込んできました。どうでしょうか、芹沢さん。インテスティン国が核兵器を完成させたとの情報がありますけども」
「インテスティン国は数年前から核実験を行なっていることを明らかにしています。ですから、核兵器をつくっていても何ら不思議はありません。それよりも、核実験自体は他の国においても確認されていますから、今回の件がきっかけになって次々に核兵器を完成させる可能性があることに注意が必要だと思います」
「なるほど。もし複数の国が核をもつということになると、どんな危険がありますか?」
「そうですね。そうすぐには危険はないと思いますよ。ただ、常に緊張状態になるわけですから、どこかの国が使ってしまうということがあると、この世界の存続に関わる事態になるでしょうね」

 病院の出口は自動ドアだった。出口は入口でもあるわけだから、入る時にも通っているはずだが、それどころではなかったのだろう。不安と恐怖に押し潰されて地面に埋まってしまうのではないかと心配になる。
 ピンクに染まっていた街は、夏の暑さを乗り越えて、今では赤や黄色でいっぱいになっていた。大腸がんと診断されたあの日から、半年が経とうとしている。肺に転移していることを知ったとき、私はしばらくその場から動けなかった。
 大丈夫だと言ったじゃないか。あの日の医師の言葉に怒りが込み上げてくる。足元にあった小石を力いっぱい蹴ると、縁石に跳ね返されて私の足元に戻ってきた。

 「これは大変なことになりましたね。半年前に芹沢さんはいち早く懸念をしていたわけですけど、この状況をどのように見ていますか」
「ラング国も核兵器を完成させたというのは、予想通りといえばそうなんですが、どうやら事態は思っていたよりも深刻になりそうです」
「と言いますと?」
「以前お話ししたように、これから緊張状態が続くことになります。しかも、両国の関係を考慮すると、いつ核戦争が起きてもおかしくない状況で、そうなればこの世界自体の存続に関わってきます」
 スタジオが静寂に包まれたとき、その一瞬は永遠のように長かった。少し遠くの方から走る足音が響いてくる。「速報です」その一言で、その場にいた全員が我に帰った。
「えー。ただいま、とんでもないニュースが飛び込んできました。先日、核兵器の完成を報道されたラング国が、インテスティン国方面に核ミサイルを発射したとのことです。到達時刻はおよそ40分後とされ——」

 目の前に小石があった。右頬はコンクリートに冷やされている。遠くの方で叫ぶ声が聞こえてきた。近づいてきているはずなのに、遠ざかっていくように感じる。こんな状況だというのに、私は安心感に包まれていた。死ぬんだろうな。そう思って目を閉じたとき、かすかに身体の中から声が聞こえてきた。
「我々はどうなってしまうんでしょうか。芹沢さん」


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