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【悔しさの果て】温和に観える巨匠アーティストの実態に学ぶ

再現性のない精神論は無視。業界の成功者たちには、非合理な方程式が作用している。このトピックでは、「アーティストの抜刀術」を、知ることができる。この10年間に人生を消費しただけだと気付いているアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 損得の、一般認識と巨匠に相違あり。 』

連日多くのアーティストたちと接している中で、気になることがある。「損した」「騙された」「悔しい」という声があるのだがその人に限って、無名なのだ。ここ「アーティスト情報局」では自己啓発を扱わないので本件もただの事象に過ぎないだが少々、“本人の捉え方次第なのでは?”という想いがよぎる。当然、巨匠も著名も大御所もみなその過程において、同様の体験をしている。

だが成功者たちは“事象の捉え方”だけではない、方程式を生きている。彼らは「損を逃げる人々」を見送りながらそこを、ブルーオーシャンだと観ているきらいがある。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:女優が察したデヴィッド リンチ監督作「Dune」の危機状況

ヴェネチア映画祭でワールドプレミア上映されるドゥニ ヴィルヌーヴ監督の「Dune」は、デヴィッド リンチ監督の1984年「Dune」を振り返らせるきっかけとなっている。

この作品は、プロデューサーやスタジオが監督の創造的なビジョンに干渉したためにリンチ監督は自分の名前を消したがったことが知られている。批評家の間でも有名な失敗作だ。

キャストのフランチェスカ アニスが、当時を回想する。
「完成した映画の最初プレミア上映に行ったとき、映画冒頭で“王女がストーリーを説明”し始めたとき、あぁこの映画は危険だな、と思ったわ。“冒頭から詳細な説明”をしなければならないハリウッド映画には、問題があるのよ。もしデヴィッド リンチが自分の望む映画を作れていたら、それは素晴らしいものになっていたでしょうね。」

アニスが証言した。「たとえば、プロデューサーの“ディノ デ ラウレンティス”は当時、ビデオ販売を前提にしていました。デヴィッドの暗部が多い映画イメージを許さなかった。ビデオに移すためには、明るく照らさなければならなかったのよ。デヴィッドと撮影監督のフレディ フランシスは、常に制約を受けていて、デヴィッドは自分の作りたい映画を作れなかったと思うわ」

リンチ監督とデ ラウレンティスの間に生じていた不仲は、撮影現場には伝わっていなかった。「デヴィッドは、撮影現場の空気を壊すようなことはしない。彼はとてもプロフェッショナルで、自分の作業に集中するの。不仲を撮影現場に持ち込むことはなかったわ。」 - SEPTEMBER 01, 2021 IndieWire -

『 ニュースのよみかた: 』

巨匠映画監督デヴィッド リンチが、暴君プロデューサーの介入で映画を台無しにされた事実を、出演女優が証言、という記事。

とかく“私情”が入っているインタビュー記事ではあるが、大きく外れてはいないだろうなにしろ150作品以上をプロデュースして、インディペンデントの生きる神話 と称されたこの“偉大なるプロデューサー”はそのプロデュース作品本数以上の“逸話”に塗れている。

わたしは過去に試写会でちらりとお目にかかった程度の認識しかなく、それが善いか悪いかを判断する立場に無い。ただ、映画好きの父親に連れられた歌舞伎町で人生最初に観た映画が、彼のプロデュース作「キングコング(1976)」であったことは心象に熱い。余談だ、失礼。

『 巨匠の対応 』

彼ら成功者は損を逃げず、罠は体験とし、期待していないことから騙されることもない。そこだけ抽出すればなるほどの人格者論でありそれぞれに興味深くシェアしたいエピソードだらけなのだが、最重要なのは「悔しさ」の認識だ。

経験豊富な成功者は当然、よほどの事態にも動じようがない。とて、骨折した腕も蚊に食われればかくのが人間。

巨匠たちは、「不快」にはその場で全力の対処をして後に引き摺ることがない。“不快”や“悔しさ”を翌々日まで大切に慈しむことこそが不快なのだから、理にかなっている。だがその覚悟、ただならない。

『 それ、悔しいか? 』

繰り返すが自己啓発では、無い。ただの事象について、雑談だ。

巨匠は問う。「それ、悔しいか?」各国で何度も耳にしてきた言葉だ。

巨匠や大御所の多くは些細な事象に動じないことから一般的に、温和だと想われることがある。表向きはそう観えることも理解するがそれ、真逆だ。

“覚悟の彼ら”は常に刀の柄を握っており、居合いの抜刀に準ずる姿勢で生きている。目の前の不快が限界を突破した瞬間に備えている。著名精神科医曰く、巨匠に自死が多いのは状況から自分を責める“代理トラウマ(代理受傷)”によるというがわたしは、抜刀しないために世界を救ったのだと感じている。

温和に観えて実は隠剣の巨匠、恐れるならば正しく。
それでもその剣豪を観抜きたいなら、方法をお教えする。

『 剣豪の観抜き方 』

“失えないもの”の処分を終えている者ほど、強い。

豪邸を持たず執着を避けるために居場所を変えながら暮らし、私物が極端に少なく、交友関係が狭いにも拘わらずネットワークが強大な存在、それ、覚悟の剣豪である可能性が高い。

ルネサンス来アーティストたちは晩年にまで居場所を変え続けつまり、荷は少なかったことをご存じだろう。日本でいうなら画狂老人卍、つまり「葛飾北斎」など。北斎は93回引っ越している。その理由を知っている研究家は、少ない。

現代のアーティストほど、“動き”の鈍い時代は無い。

かつて親しかったフジテレビの映画プロデューサーの言葉が、耳にある。「脚本を自分で書く監督なんて、いらないよ。コントロールできないじゃん?」その通りであるただし現代ではもう、状況が異なる。

アーティストの性質は、二分しはじめている。
覚悟を生きるか否かである。中層は無い。

『 編集後記:』

閃輝暗点が邪魔だ。“せんきあんてん”と読む、ご存じだろうか。気がつけば視界の中に“し”の字型のブーメランが出現し、少しづつ大きくなりながら1時間程度で視界の外に消える。三角形にしたビスマス鉱石で構成されたようにド派手な虹色はメラメラと色を変えながら過程で、視界の邪魔をする。眼に見えているわけではなく脳の認識エラーであり、偏頭痛の前兆だとも言われる。

目を閉じても眼球を動かしてもついてくるそれは、芥川龍之介が著作「歯車」のなかで怯えた“光る歯車”の正体だと言われている。彼の遺作であることから“ヤバい症状”だと想われているがわたしには物心ついた頃からの観慣れた、センスの悪いブーメランだ。

そんなことはどうでもいい、邪魔だ。消えなさい。

悪趣味にギラギラした情熱と対峙しながら澄んだ心を求めつつ、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記