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戻れない道【随想】

久々に大学の同窓生のLINEグループが盛り上がっていた。
加わりながら、一抹の疎外感を覚える私がいた。

LINEグループは3年前の同窓会をきっかけにできたものだ。
50も半ばになった私たちは、学校の管理職をしている者、独身を謳歌し旅行三昧の者、優雅な専業主婦・・と立場は様々だ。

彼、彼女たちと話を合わせながら「こんなはずじゃなかったよね・・」と思う自分がいた。喩えると

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て妻としたしむ(石川啄木)

石川啄木「一握の砂」より

という心境であろうか。

同窓会があった3年前は細々とながらパートをしていた。自分のやりたい方向のパート先ではあったが、長くは続かなかった。そこを辞め別のパートに変わったが、そこでは大変なパワハラにあい辞めてしまった。そして得た結論は「田舎でちょっと学歴があり、少しICTがいじれて経済的にやや余裕のある女は、パートに行っても碌なことはない。」ということ。辞めた当初は投げやりになっていたが、ちょうどコロナ禍でもあり、家庭にいるのも悪くはなかった。

家庭にいる間に続けてきた史跡巡りが高じて、今の文章を書く自分がいる。それはあくまで趣味だ。お金にはならない。
SNSも好きだ。知り合った遠方の若い友人も多く、SNS上で楽しく付き合っている。

50半ばにしてこれでいいのか、とふと疑問に思った。


10年前までは地元の役所に勤めていて、定年まで勤め上げるつもりでいた。
家庭の事情で辞めざるを得なくなった。自分自身も限界に達していた。
23年間勤めたことは今でも誇りに思うが、だからといって今はただの主婦。後悔はないけれど、積み上げたものを一度リセットしてしまったんだなぁ、とあらためて思う。

彼、彼女たちは、積み上げてきたものをそのまま続けていく「安定の人生」なのだろう。これまで理想とされてきたような。
幸せになって欲しい。
そして私は、まだこれから何かを積み上げて行かないといけない。それは”シンドイ”けれど自分で選択したこと。「50にして迷う」上等ではないか。引け目を感じることはない。

「私は私の幸せを追求すればよいのです。」

窓の外では、モヤモヤした気持ちを浄化するかのように、急に雨が降り出した。


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ひとみ
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