『藝術の転落』いはば小説家とは人間完成の専門家であつた
この論文は昭和二十三年に発表された。前年に桑原武夫が書いた『第二藝術』に関して、福田は述べる。
桑原武夫は俳句を「第二藝術」とし、「第一藝術」たる小説と対照せしめた。しかし、桑原氏の頭にある小説の概念は、十九世紀の小説に基づいたものではないだろうか。福田の感じた違和感はここにある。
もはや二十世紀において、小説は、ひいては芸術そのものは、もはや十九世紀における優位から転落し始めているのではないか。結論から言えば、この論文における福田の主意はそういうことだ。
初めに福田は、ファン・メーヘレンというオランダの画家について話し始める。彼はフェルメールの偽作をつくって、画商に売ったかどで有罪判決を受けた人物である。それ以前にも、彼はインチキを疑われたことがあったという。当時、世界的な鑑定家が数人集まり、隣に本物のフェルメールを置きながら、仔細に点検したが偽作を証明できなかったという。またそれだけでなく、X線や化学的検査を適用しても、ついに判別できなかったという。
福田はこの出来事に、芸術に関わる重大な問題提起を感じとる。
メーヘレンの問題提起は、芸術家の個性や神秘性というものの存在に対する再考を促す。現在のAIにも直結する問題である。
そこで福田の論は、ことばの芸術である俳句及び小説へと移っていく。
小説も俳句もことばを素材とする。ことばというものは本質的に内在的であり、観念的なものである。その点、絵具という外在的、物質的なものを素材とする絵画とは性質を異にする。要するに、俳句や小説は、絵画などの造型美術が持ちえない自由を持っている。外界や物質に縛られない無限の自由を持っている。
また他方で、同じことばを素材としつつも、当然、俳句と小説とは性質を異にする。俳句はわずか十七音の世界である。しかし、小説には「人事がいりこみ、事件やプロットが介入する」ため、物質性の点でより豊かである。すなわち、俳句に比して、小説は、技術的な分析と還元がより困難である。
こうした理由により、と福田は言う。「十九世紀後半において、小説の創作はほとんど人間行為の最高なるものと見なされるにいた」ったのである。すなわち、「偉大なる小説家は人間精神の代表者であり、時代の良心であり、社会の指導者であ」り、「人間完成の専門家」だと見なされるにいたった。
十九世紀の小説の最大の魅力は、作家の「方法を意識しない試行錯誤」にあった。作家の主体的意思が社会の障碍にぶつかっていく。試行錯誤を繰り返しながら、摩擦を生じつつも、なんとか適応していく過程そのものに、小説の魅力というものが賭けられていた。そこには、あらかじめ定められた方法的意識や企画性などは存在しなかった。存在したのは生身の人間の「針の意思」だけだった。それこそが十九世紀小説の魅力であった。
それは言い換えれば、「製作と鑑賞との距離が小である」ということであり、「鑑賞者に自由と責任とを残してゐる」ということにほかならない。ここでいう「自由とは作品享受の自由であり、責任とは生活の責任である」。つまり、読者は小説を読みながら、作者とともに生き、責任を負いながら自らの生活を引き受けていたのだ。
だが二十世紀に入り、科学の勢力が飛躍的に高まった。それに伴い、人間概念も変容してきた。それを特徴づけるのが方法の優位である。
二十世紀的芸術を代表するものはやはり映画であろう。二十世紀的芸術の特徴、それは、製作者と鑑賞者の間の距離が大なることである。
鑑賞者は、製作者が製作したものを、製作者が意図した通りに鑑賞すればよいということになった。要するに、製作者の認識したものを、認識することだけが求められる。鑑賞者の側における「作品享受の自由」や「生活の責任」はもはや問題ではない。
結果として、芸術鑑賞は、芸術消費と呼べるものに変容していった。小説も同じである。
認識のたんなる手段としての小説は、もはや一般の読者を楽しませるような代物ではない。一般の読者は「面白い」読み物を求め始めるだろう。かくして小説は、映画と同様に、二極化していくだろう。写実と娯楽に。
いずれに芸術性が認められるだろうか。それともいずれにせよ「藝術の転落」であろうか。