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『職業としての作家 — 作家志望者におくる』③恒産なきはむしろ有利な特権である

 近代以降の「職業」は人間的成熟と分離した。その事実を嗅ぎつける点では、作家(芸術家)とディレッタントは同じである。しかしその後で両者は袂を分かつ。

ディレッタントは「職業」を軽蔑しあらゆる職業的技術を猜疑する。が、作家(芸術家)は「職業」を軽蔑しながらも自己の内なる職人を黙々と育てている。

前者は否定のための否定を旨としそこに甘んじ、後者は肯定のための否定を旨とし矛盾に耐える。たんに感受する者と創造する者との差である。

けれども自己完成と分離した現代の「職業」概念のうちにあって、本質的に自己完成と不可分な作家(芸術家)という「職業」が生き残るのは容易なことではない。

「ひとは「職業」を通じて社会の恩恵に対して返済をおこなふ。しかもその「見返り品」はあくまで現存の社会にとつて直接、即座に、「役だつもの」でなければならない。来たるべき新しい時代を招来せしめるやうな、したがつて現在の社会を批判し、その崩壊を促すやうな行為は、その社会に関するかぎり「職業」として成立しえない。」

『職業としての作家 - 作家志望者におくる』福田恆存全集第一巻

「万事にわたつてただちに「見返り品」を要求する現代社会においては、作家で飯を食ふのは容易な業ではないのである ー くりかえして強調するが、一歩の妥協もなく純粋な作家たることを意思するかぎりでの話である。」

『職業としての作家 - 作家志望者におくる』福田恆存全集第一巻

「職業としての作家」ということ、それは現代において明らかに言葉の矛盾である。なぜなら作家(芸術家)とは、即座に「役立つもの」を提供する者とは真逆に位置する者のことだからだ。

作家とは、即座には役立たない、「人間的完成」という努力を日々黙々と続けている者のことである。

ゆえに、と福田は言う。常識的にはこの現代資本主義社会で作家たらんとするためには相当の恒産が必要であろうと。

しかし、と福田は言う。考え様によっては、恒産なきはむしろ作家志望者にとつて有利な特権でもある。

「革命的政治家たらんとするのでないかぎり、作家志望者はあくまでこの矛盾に耐へ ー といふより、すすんで矛盾のうちに身を置き、それを解決せんとする努力がいかに苦痛に満ちたものであり、そして日一日とこの努力が空しいものに化していくかを身をもつて体験しなければならない。ゆゑに恒産なきはむしろ作家志望者にとつて有利な特権である。かれはこの特権あるがために矛盾を深く痛感しうるのである。が、かれはあくまでこれを解決しようと努めなくてはならない。理想に殉ずるの美名をもって貧困に猪突するは、むしろ易きにつくといふものであらう。」

『職業としての作家 - 作家志望者におくる』福田恆存全集第一巻。


時代の矛盾を己れの矛盾として耐え忍ぶもののみ一流の作家たりえる。

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