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夢を叶え自殺未遂に至った私。退職の帰路にて思うこと。

ふわふわ、ふわふわ。

退職の手続きをした帰りの新幹線の中でそんな心境に至る。

手続きそのものは至って円満的だった。
渡そうと持っていった地元の手土産も、感謝の言葉とともに渡すことができた。

「これからどうなるのだろう」

そんな思いが頭を過ぎる。


私は幼少期から看護師を目指していた。
母が看護師であり、その旨を周囲の人々に伝えると必ず「凄いね」と言葉を貰えた。
だから自分も看護師になって「すごい」の言葉を受け取りたかった。
そんな理由。

看護師を志していた私はその目標を達成すべく勉学に励んだ。
結果、看護師になる以前に「すごい」の言葉を頂けるようになった。
それは、とても嬉しかった。

だからきっと、もうその時点でひとつの目標は達成されていたのだ。

そして、こちらは高校生の頃に抱いた夢なのだが、それは「ディズニーの近くに住むこと」。

中学3年生の頃からディズニーが好きになった。
ディズニーリゾートに自転車で来れる人がとても羨ましかった。
いつか自分もその心地を味わってみたいと思った。

その目標は今年の3月末に達成された。
あくまで、「住むこと」が。

コロナの影響でディズニーは臨時休業。
それでも仕事に行き続けねばならない。
帰ってきても愛しい家族はおらず、1人。
自分でした選択ながら、苦しかった。

7月1日に再開のニュースを聞いた時、スマートフォンを握る手が震えていたのを思い出す。
ついに夢が叶う、という喜びが溢れ出ていた。
チケットは限定数だったが、なんとか入手することができた。

私は夢見心地で初夏のパークへと足を踏み入れた。

しかし、そこには思い描いていたような心地よさはなかった。

今まで1人で来園したこともあった。
なのに、その時のように「楽しい」と思えなかった。
普段、家族と過ごしているから1人の時間が楽しかっただけであり、その時間が長すぎると自分は寂しくなるのだ。
そんな当然のことを、時間も・お金も・人生もかけて心底実感した。
そんな自分が情けなかった。

実際、1人で来園したディズニーではその寂しさを埋めるかのようにひたすら食事を詰め込むだけであった。心の底から笑顔になることはなく、兵庫に居る家族のことしか頭になかった。

とはいえ、これで私の2つ目の夢は叶った。

それを実感したその時、私は希死念慮に囚われた。
「夢を叶えた。でもお腹の底からなんとも言えない寂しさが湧き上がってくる。もうやることなんかない、存在している価値もないのだから死んでしまいたい。」

そして、自殺に至ったのであった。

自殺を図った次の日、
どのように職場まで向かい上司に事の経緯を説明し、実家へと帰ることができたのか、
記憶が定かではない。
しかし、棺に入った形でなく、この生身の身体と心で愛しい家族にあえることに深い安心感を覚えていた。

……。
そして、今はこうして新幹線の中でnoteを執筆している。
隣には手続きについてきてくれた弟がいる。
父にも母にも、手続きを終えた旨を伝えた。

皆、「よくがんばったね」と言ってくれる。

これからの不安も勿論あるのだが、退職したばかりというのに私は今も幸福感を抱いている。

私にとって家族とはとてもとても大切な、何にも代えがたい宝物なのだ。
皆と過ごす日々は、それこそ宝石より価値のある宝物である。

少しでもその日々をその想いを言葉にできるよう、これからも執筆を続けたい。
皆と生き続けたい。


彩り豊かな日々を経験し、瑞々しい言葉を表現できるよう祈りを込めて。

田原涼音

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